財団法人 大田区産業振興協会 (発行:2000.3月)「本文のまま」
ものであり、こじんまりとしたアトリエをイメージさせる。
足踏み轆轤(ろくろ)が回る音、轆轤の中心部から突き出た金属パイプ、その先で回転する
黒色の小さな円盤。その表面にはメッシュ状の凹凸があり、僅かに曲面が付けられている。
そこに荒削りされたレンズが置かれ、両指がそっとあてられる。
少しずつレンズが磨かれていく。
いつしか、それは美しい曲面をもったレンズへ生まれ変わる。
繊細で精密なニュートン原器が誕生するのである。
今やレンズはカメラや顕微鏡、双眼鏡、天体望遠鏡などの主要パーツとして生活に身近な
ものとなっている。こうした高性能のレンズはその凹凸のカーブに厳密な精度が要求される。
一方それを安く提供するためには量産しなければならない。この要求に答えるのがニュートン
原器であり、レンズの曲面を測るものさしといえる。形状は普通のレンズと同じだが、
精度はミクロン(0.001ミリ)を越える高精度。
レンズメーカーはこの原器を製品と重ね合わせて、ニュートンリングの状態を見る事で、
製作レンズが規格を満たしているか否かを検査する。
ニュートンリングとは凹凸のレンズを重ねて光りを当てると生じる同心円状の
縞模様のことである。両者に隙間がある場合、光が反射干渉して、光が強めあうとこと
は明るく、打ち消しあうところは暗くなって縞が生まれる。その隙間が大きいほど、
その縞模様の本数は多くなる。こうした性質を利用するのである。
伊坂社長は自社の特色を「凹凸の共擦りにある」と語る。顧客が片方の原器を所望す
る場合でも、凹凸レンズをセットで製作する。片方を納品し、もう片方を保存しておく
のである。この理由について、「その方が(納品が)早い」と説明するが、自社技術へ
の自信の表れでもある。自ら製作したこの原器がスフェロメーターと呼ばれる測定器と
共に別の繊細な曲面を確認するため用いられるのだ。
原器はその大きさと曲率により千差万別。当社の棚にはレンズの半径と曲率がラベル
された数多くの原器が収められている。
「この技術は今後も必要とされるでしょう。ただ、最近は注文も厳しいし、精度への
注文も厳しい」という。例えば、顧客からの注文でλ/20の曲面精度を持つ原器を
製作したことがあった。λは赤色光の波長で.632.8nm(1ナノメートル=0.001ミクロン)。
人の感覚ではλ/8程度が限界であり、その測定も機械により行われた。検査器の精度も
λ/20。まさに、人の感覚を越えた限界への挑戦であった。
ものづくりは「新しいものへの取り組みが面白い」「人が(レンズを)磨く中に創造力
がある。創造は本当に難しい。絵を描くこと、音楽を生み出すことと同じように新しい
アイデアを生み出さなければ」ということだ。
リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した逸話で語られるニュートンだが、
光学の分野でもニュートンリングなどにその名を残している。彼は数式の中で光りを表現したが、
それを(有)伊坂光学研究所は原器の中で表現しているのである。
「こうしたことは、技術的な経験ではないという感じを今持っています。
生きてきた環境も大事なのではないかということです。
若い人は様々な経験をしてもらいたいですね」と同氏は未来を作るものたちにも声援を送るのである。