13歳のこども・6


 一時間目と二時間目の間の10分休みは、リョーマにとって格好の昼寝(朝寝?)時間だ。朝練で疲れた体に鞭を打って退屈な授業を耐え、ようやく得られる安息。窓から涼しい風が送られてくる十月の教室内は、まさしく居眠りに適した場所だった。文化祭が終わり部活も新体制になって、大方の予想通り部長に就任したリョーマは、慣れない雑事にお疲れ気味なことも相まって、ここのところの10分休みは毎回すっかり睡眠時間にあてていた。だから今日も、授業最後の起立・礼・着席の勢いのまま机の上につっぷしたのだが、しかし、いつものように熟睡することは出来なかった。重ねた両手の甲に額をつけて、リョーマは目を硬く閉じたまま眉をしかめる。廊下が変にうるさいのだと気付いた時、「えちぜんくーん」と声が掛かった。能天気に明るい声に反射的な苛立ちを覚えながら、リョーマはのっそり身を起こす。ノロノロと緩慢に呼ばれた方向に目を向けてみれば、同級生の女子以上に能天気な顔で桃城が大きく手を振ってみせた。気の良い大型犬のような3年に、リョーマの周りにいた女子は小さくキャーと色めきたつ。桃城の後ろにわずかに見える廊下では、ギャラリーのようなものまで発生していた。そういえばこの人は青学男子テニス部の部長だったんだっけ、とリョーマは今更に関心する。下級生の憧れの先輩であっても可笑しくないが、けれど、今自分が同じ立場に居るというのはとても変な感じ。うすらぼんやりと考えをめぐらせながら、リョーマはずるずると廊下に体を引っ張っていく。リョーマのあからさまに面倒くさそうな態度に、桃城は仕方がねえなぁと笑った。
「引退した先輩がわざわざ来てやってんだ、もうちょっと喜べよ」
「……引退も何も、桃先輩は部活に来てるっしょ。毎日毎日飽きもせず」
「おっまえ、冷てぇなあ。邪魔だっつんならもう行かねーよ」
「そんな事言ってないっスよ、勝手に拗ねないで下さい迷惑だから。で、何の用っスか」
「その、毎日毎日来ちゃいねーヤツの、話だよ」
「海堂センパイ?どうしたの」
 頭から被ったジャージもそのままに、半分以上目を閉じたまま緩慢に応じていたリョーマは、桃城の謎掛けのような曖昧な言葉を聞いて静かに目を開けた。なげやりな声のトーンが突然真剣味を帯びて、哀しいかな不遜極まりない後輩に慣れてしまっていた桃城はかえってビックリしてしまう。思わずまじまじとリョーマを見下ろす(まだ辛うじて、見下ろせている)と、リョーマはあからさまな苛立ちの目で桃城を睨みあげた。早く言えといわんばかりのリョーマに桃城は少しだけ身をすくめ、そして予想していた以上の過剰な反応に内心首をひねりながら話始めた。放課後になれば必ず会える後輩にわざわざ会いに来た理由はあるのだ。
 けれどリョーマは聞いて直ぐ、ハーと深いため息をついた。そしてまともに桃城の相手をしようとした自分を後悔した。再び半眼閉じた目でリョーマはうろんに桃城を眺める。聞き手の変化を桃城は敏感に察知し、ムッと顔をしかめた。リョーマはもう一度ため息をつく。
「オレの睡眠時間返して下さいっス……」
「んだよ、ソレ。だって変だろ?ふつう入院なんかしてたら馬鹿になんだろ、なのにアイツ、ホンット訳わかんねーよ」
「桃センパイなら、そうかもね」
「ああ!?どういう意味だ」
「まんまッスよ、海堂センパイ真面目だから。時間あれば勉強するんじゃないの?」
 リョーマはふいと横を向いて、教室の出入り口に肩を当ててもたれ掛かった。気だるそうな態度に紛れて視線が落ちる。桃城曰く、今朝、講堂に中間試験の成績順位が貼り出されて、海堂が総合六位に入っていたのだという。そんなことをわざわざ伝えに来たのかとリョーマは暇な先輩に呆れ、けれど変にテンションが高いままの桃城に、本当に言いたいのは別なのだと気が付いた。別に気付きたくもなかったのだが。成績の上がったライバルにやっかんでいるだけの人なら楽だったのにと、リョーマはため息が止まらない。
「でもよ、今まではそんなこと無かったんだぜ」
「……時間がなかったからでしょ」
「何でだよ」
「…………桃センパイ」
 分かっていないように振舞う桃城が、リョーマはいっそ憎らしかった――桃城本人が直視したくなくて、リョーマに肩代わりさせているようなものだ。ため息だけではやり切れなくて、気付けば舌打ちまで飛び出していた。一方が眉をしかめもう一方が舌打ちをする新旧部長の姿を他の部員が見ていたら、一体何事かと慌てただろう。その位、ふたりの空気は急速に重くなっていた。ギャラリーをなしていた女子たちも、ひとりふたりと群れから外れていく。見物人が減るのに合わせるように沈黙が落ちる。
 突然成績の上がった海堂は、つまり、それだけ勉強に時間を当てていて、それが以前テニスに当てられた時間だったことは、ほんの少しでも海堂を知っている人間ならば想像できた。海堂の生活のほぼ全てに近かったテニスが奪われて、ポッカリ空いた時間。机に向かう海堂がどんな思いでいるのかを考えれば、“学年六位”の響きにリョーマはむしろ苦しくなったし、桃城も同じ苦しさを感じていた。だからこそリョーマの安眠をぶち壊しにして伝えにきたのだが、当の桃城は自分が苦しいとは認めていなかった。ただ海堂が変だと、自分はそれだけを言いにきたのだと思っている。人と巻き込むわりに自分を守るのが上手だと、リョーマは唇をゆがめた。
 二学期から学校に戻ってきた海堂は、けれど始業式の日に顔を出したきり、ほとんど部活に現れなかった。未だに自分がレギュラー扱いなのを知ってレギュラーを外れると伝えに来たことはあったが、桃城を中心にほとんどの部員がそれを認めず、海堂は説得に負ける形で引退までレギュラーとして在籍し続けた。他の三年に引っ張ってこられた引退式では、青と白の鮮やかなコントラストをひどく重そうに羽織っているように、リョーマには見えた。海堂の硬直した無表情は、笑顔と涙で湧き上がる周囲から明らかに浮き立っていた。けれど桃城を筆頭に、海堂が居ることを喜ぶ部員たちは、それに気付かなかった。
(今更ちょっと気付いて寂しがられても、困るんだけど)
 リョーマは苦々しく思う。海堂本人を無視して盛り上がった後でようやく違和感に気付いて、二度と埋まらないらしい距離が寂しいと言われても、リョーマはどうすることも出来ない。うん寂しいね、という同意を桃城が望んでいると分かっていても、相憐れむような情けないことをしたくはなかった。海堂を心配する顔で自分を慰めるのは絶対に嫌だと、リョーマは思う。
 お互いが押し黙ったのは、そう長い時間ではなかった。キンコーンと二時間目の開始を告げるチャイムが鳴り響いたからだ。後輩の教室まで遠征している桃城はパッと身をひるがえす。それは明らかに逃げる態勢だった。
「続きは部活ん時だな、じゃあな!」
「……ッス」
 続きなんてあるのかよ、と顔をしかめたリョーマの返事は恐らく桃城に聞こえてはいなかった。桃城はあっという間にリョーマの視界から消えて、おそらく教師が2年8組にたどり着くより早く席についただろう。リョーマは再びジャージを頭に被って自分の席に戻りながら、桃城が走っていった背中に何となく既視感をおぼえる。
(海堂センパイも、オレ見てたかな)
 リョーマは桃城が、海堂の教室を訪ねた自分に重なって思えた。机にべったりとうつ伏せながら目を閉じ、そして考える――走り去る桃城を見送った自分は何も感じなかった。けれど、海堂は何を思ったのだろう、と。

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(20050522)

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 リョ海なれそめ話6話目。やたら桃城の扱いが悪いんですが、嫌いなわけではありません。