13歳のこども・5


 校舎の角を折れたとたんに、スパン・スパンと小気味良い音がふたりの耳に飛び込んでくる。テニス部の練習はとっくに始まっていて、コートとその周辺はもう賑やかな熱気に満ちていた。リョーマは、海堂がまぶしそうに目を細めるのを、斜め後ろから盗み見る。ひきつれた頬は微笑んでいるようにも痛みをこらえるようにも見えたけれど、間違いなく後者だと、確信していた。近づいてくるリョーマと海堂に気づいた何人かが、フェンスの中で声を上げる。一斉にこちらを向く視線に、リョーマは弾けるような衝動に駆られた――目の前のフラリと泳ぐ背中を押し退けて、自分の背中に隠してしまいたいような。無遠慮な好奇心でいっぱいの他人から、海堂を遠ざけたいと思った。けれど心の速さに体はついていけないで、リョーマはビクリと身を竦ませただけだった。
「海堂!」
 ガツンとぶつけるように伸ばされた腕が海堂に届いた。ふたりの姿を見つけて駆け寄った、その勢いのまま桃城は海堂に抱きつく。海堂は踏ん張りきれずにグラリと体を傾げ、ぐっと眉をひそめたが、桃城を押し退けはしなかった。きつく肩に回された腕と目尻に滲む涙が発する力強い感情に、海堂は気圧される。肩口から伝わる、桃城の高い体温に、まるで別の生き物に触れているような違和感を覚えた。生きていることを濃厚に感じさせる存在感に圧倒されて、海堂は桃城のなすがままになっていた。リョーマは桃城と海堂の一連のやりとりを一番近い場所で見ることとなり、そして苛々と舌打ちをする。
(いつものアンタなら、とっくに振り払っているのに)
 桃城の無邪気な無神経が、おかしいくらいリョーマの神経に障っていた。海堂の怪我の程度はリョーマも桃城も知らなかったことで、桃城にとっての海堂は足掛け三年のライバルだ。事故から半年振りに姿を表した海堂に感情を高ぶらせて抱きついてしまうのも理解出来なくはないし、それが海堂に負荷を掛けることに気が回らなくても、無理のないことかもしれなかった。それでも苛々とリョーマの心がささくれたのは、海堂がされるがままに目を伏せたからだ。痛みを堪えるように歪んでいた顔は表情を消し、一切の感情をうかがわせない。それは以前見慣れていた海堂の、無愛想な無表情とは全く違うもののように、リョーマには見えた。
 けれど、海堂の無反応もリョーマの苛立ちも置き去りにされてしまって、テニスコートの周辺は沸きかえった。3年と2年は久々に並んだ部長・副部長の図に喜び、1年は初めて見る副部長を興味津々で見つめていた。通り掛かりの学生すら、ざわめきと派手な抱擁シーンになにごとかと覗き込んでいく。海堂は注目を集めることをプレッシャーに感じるほど繊細な性質ではなかったが、様変わりした今を興味本位でまじまじと見られて面白い訳がなかった――それでも、自分から桃城を引き剥がそうとはしなかった。リョーマは抗わない海堂と気付かない桃城、ふたりともに苛立ちをつのらせる。
 そしてテニスコートのざわめきが納まったころ、ようやく桃城は顔を上げ、照れたように海堂から身を離した。桃城の目元は赤く染まり、海堂の白いシャツは肩のあたりにポツンと肌色を滲ませていた。
「よお。おかえり」
 万感の思いを込めたように、桃城は言った。周りの気の早い連中は桃城の涙声に誘われて、じんわりと目を潤ませる。不運な事故から戻ってきた仲間を迎える感動的な場面が繰り広げられようとするのに、リョーマはズルズルと後ろに下がった。自分と海堂の荷物を抱えたまま部員たちの輪を抜ける。天真爛漫に自分たちだけで盛り上がっている皆が、リョーマには気持ち悪く思えた。
 海堂は桃城の言葉に一瞬目を合わせると、すぐに視線をそらす。桃城は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「なんだよ、ここはタダイマとか言っとけよ!相変わらずノリの悪いヤツだな」
「うるせぇ、悪いかよ」
「……悪くねえよ、バカヤロウ」
「バカはテメェだ」
「あーハイハイ、言ってろよ」
 いつものケンカ寸前の遣り取り、というには桃城はあんまり嬉しそうで、3年と2年は桃城の嬉しさが伝染したように笑い、1年はいつもと違う部長の様子をきょとんと眺めた。海堂は能面のように表情を凍らせた無表情だったが、部員のほとんどは、それすらもいつも通りの風景が戻ってきたと喜び、安堵して眺めた。その輪から外れたところで、リョーマはひとり、眉間に皺をよせていた。
(何やってんの、桃センパイ)
 ライバル同士の感動の再会場面がようやく終わると、次は同学年の手荒い出迎えが海堂を待っていた。あちこちから手が伸びて軽くこづかれたり、気安いからかいの言葉が飛んできたりするのに、海堂は相変わらず表情の消えたままではあったが、何回に一回かは義務を果たすように「うるせぇ」だの「やめろ」だのを繰り返す。その度に海堂を囲む輪に笑いがおこった。それは無事に戻ってきた仲間を迎える、和やかな図のようにも見える。だから、囲まれた主役が喜んでいないことにはリョーマしか気付かなかった。
(何やってんの、桃センパイ。海堂センパイが本当に嫌がっているの、分かんないんッスか)
 リョーマは内心、冷えた目で桃城をなじる。軽すぎる面も確かにあるが、周囲の良く見渡せる、とても気の付く人だとリョーマは桃城を認めていた。それだけに今の桃城は、リョーマにとって信じられない無神経に写った。けれど、自分自身が不安に苛まれる15歳が、本当に相手の気持ちを汲み取ることは難しい。あるいは年齢の問題ではないかもしれない――人を理解することは、どれだけその人を深く考えられるかの一点に掛かっているものだ。自分と同じ深さで桃城が海堂を考えていると、リョーマが考えたことが間違っていたのだが、リョーマはそれに気付かないまま苛立ちの対象を海堂にまで広げた。
(海堂センパイも何してんの、嫌なら振り払えばいい、怒鳴ればいい、アンタらしく。何でそんな――大人しく、してんの)
「何でだよ……」
 たまらない苛立たしさと理解できない混乱に、リョーマは思わずつぶやきを漏らす。地を這うような低い声は沸きかえるなかで異様なもので、前に立っていたカチローが耳聡く聞きつけた。涙ぐんだ笑顔のまま、カチローは海堂を振り返る。目の前の光景に純粋に感動している仲間の顔に、リョーマは大声で叫びたい感覚に突き動かされた。ぐるぐると腹の底であばれる衝動を、リョーマは何とか押さえ込もうと全身に力を込める。
「リョーマくん?」
「オレ、着替えてくるから」
「え、ああ、うん……」
 カチローに不思議そうな目で見送られながら、リョーマはくるりと背を向ける。片方の肩にはリョーマのラケットバックが、もう片方には真新しい学生鞄がひっかかっていた。

NEXT



(20050509)

BACK


 リョ海なれそめ話5話目。まだ自覚症状はありません。