13歳のこども・2


 9月1日の始業式。暦は秋でも暑さのおさまる気配は無く、二学期のはじまりは夏の延長線上にあった。ひさびさに登校した生徒もいれば、部活漬けで真夏の校舎はお馴染みになっているものもいる。男子テニス部の部員はもちろん後者だったが、しかし、彼らの夏はとうに終わっていた。桃城の率いる青学は、都大会四位、関東大会初戦敗退。全国大会には出場さえ叶わない有様だった。「手塚のいない青学は敵じゃない」とささやかれ続け、それを否定することもできなかった。桃城やリョーマは彼ら自身は一敗もすることなく、けれど二人でどうなるものでもなかった。層の薄さを指摘されるたびに桃城は自身の力量不足を実感して歯を食いしばり、リョーマは不在の海堂を思い出した。他の部員も皆、苦い思いを噛み締めて、彼らの夏は終わったのだ。7月の、夏休みさえ始まっていなかった頃のことだ。そのあとの、公式試合のない夏の部活は単調で、どこか緊張感に欠けていた。明るい笑顔で部活を盛り上げる桃城は自分を責め続けていて、時折ひどく暗い顔で「海堂に会わせる顔がねぇ」とつぶやいた。リョーマはリョーマで桃城の背中を眺めながら、これから自分はどうやっていけば良いのかを考えた。
 そして海堂は春のあの日以来一度も学校に来ることなく――もちろん部活に現れることもなく、夏を終えていた。直接本人から連絡を受けたという竜崎が皆に伝えたのは、入院は三ヶ月ほどですむがリハビリが何時まで続くかは分からない、ということだった。新聞の地域版にも載った海堂の事故は、本当に不運としか言えないものだったらしい。下り坂から飛び出した自転車を自動車がぎりぎりで避けて突っ込んだ、その先にランニング中の海堂がいた。塀と自動車に挟まれて死ななかったのが奇跡、日頃鍛えた反射神経があったからこそ助かった、非常な幸運だ、と記事は短くまとめていた。
 死ななくて良かった、のは本当だとリョーマも思った。海堂とは特別に親しい訳ではないけれど、大切な仲間で少しは尊敬する先輩でそれなりの世話を掛けている自覚もあった。海堂がいなくならなくて良かった、そう思ったのだ。けれど、ホームルームの終わった三年の教室を、戸口から覗き込んで見つけたものに、リョーマは愕然と思い直した。海堂本人にとっては死んだほうが遥かにマシだったのじゃないか。
 一瞬ではあったが、リョーマが本気でそう思うくらい、海堂はすっかり面変りしていた。教室の一番奥の一番後ろ、出入りしやすく静かな席の周りにできた人だかりの、その真ん中に海堂はいた。長い入院生活せいなのだろう、練習でよく焼けていた肌は青白く変わり病人そのものに見え、全身にしっかり身に付けていた筋肉はしぼんで一回りも二回りも小さく見えた。制服の半袖から突き出た腕の、骨の形が分かるギョッとするほどの細さに、リョーマはひどく動揺する。声を掛けることも出来ず戸口に立ち尽くすリョーマに、彼のテニスバックを見付けた三年の女子が、笑顔で海堂の肩をたたいて指差した。海堂は彼女の気安い仕草を払いのけるでもなく、素直に指の示す先を見た。
 海堂はリョーマを見つけると、ほんの少しだけ目を見開き、けれど直ぐに視線を下げた。リョーマが海堂の変わりように驚いたように、海堂もリョーマの変わりように驚いたのだ。中学生の半年は長い。そして、遅めの成長期の真っ只中にいるリョーマにとっては特に長かった。ただ身長が伸びただけでなく、全体の体つきがしっかりし、海堂がリョーマを初めて見たとき感じた華奢な印象は一変していた。元より不遜な目付きはさらに自信を増しているように見えて、リョーマがどれほど強くなったのかを思い海堂はゾクリと興奮する。けれど次の瞬間に衰えた自分を思い出して、興奮はすっと引いていった。強くなったリョーマと肩を並べて競うことの出来ない自分への苛立ちが入れ替わりにやってきて、海堂は何度目か分からない苦しさに奥歯を噛み締めた。
 海堂は自己嫌悪を噛み潰して立ち上がる。周囲を掻き分けるようにして戸口に向かう足取りは、ゆっくりではあったが確かなもので、リョーマは思わず息をついた。事故や怪我の程度を細かく聞けるほど近しい関係ではなく、実際にどのくらい酷いかもリョーマは知らなかったが、他人の手や杖の助けがなくても大丈夫な様子にほっとしたのだ。それは、けれど、助けがなくても何とかなる状態になるまでの海堂の努力を、ただ見ていないだけではあった――クラスメイトが取り囲むのをおいて海堂が自分の元に来る様子は、リョーマに少しだけ優越感を与えていた。それがリョーマの普段の、生意気なほどの察しのよさを鈍らせたのかもしれない。
 だから、戸口まであと1メートルというところで海堂がバランスを崩したとき、リョーマは何があったのか分からなかった。左足の力を入れ損ねた海堂が、斜め後ろに大きく体をかしがせる。海堂の無表情が大きく目を開き口元が歪んでガクンと高さを下げたのに、リョーマはようやく慌てて手を伸ばした。肩を掴んで引き寄せる。たまたま彼らを見ていた周りの生徒は一瞬動きをとめ、何事もなかったのを無感動に見ると再び各々の作業や会話に戻った。
 けれどリョーマは自分が間に合ったのに安堵するよりも早く、掴んだ肩のあんまりな頼りなさを手のひらで感じる。夏服のシャツ越しに伝わる感触は哀しいほど薄くて、半年で一回りは大きくなった自分の手が力を込めれば壊れてしまいそうにすら思えた。ついさっき遠目に海堂を見たときよりずっと大きい、生々しい感覚に、リョーマは海堂がどういう状態なのかをようやく実感した。

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(20050331)

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 リョ海なれそめ話2話目。いまだ会話なし。