Spider. /4




 簡単に言えば従兄弟なのだと、柳生は言った。
 蛍光灯がふたりだけの部室を照らす。長椅子に並んで座ったオレと柳生の足元には、ぼんやりしたお互いの影が重なり合って見えていた。柳生はオレの方をみないまま、珍しく壁に背を預け、首をカクンと折り曲げて、膝の上で組んだ手を見つめるようにして話す。戸籍上では従兄弟で、かつ兄弟なのだと言う。母親同士が姉妹、父親が同じ人だから、従兄弟で兄弟だ、と。
 オレは何を言われているのか分からなくて、柳生の横顔をまじまじと見つめた。柳生は目だけ動かしてちょっとオレを見て、諦めたように笑う。口の端を少し吊り上げるような笑い方は、なるほど鏡の中で見覚えのある顔で、気が付いてみればオレと柳生は呆れるほどよく似ていた。
 柳生の両親が結婚して、柳生を妊娠して、けれど直ぐ後に仁王の母親となる女性が妊娠、その相手は柳生の父親で女性は柳生の母親の妹だった。柳生の母親は離婚し、柳生の父は柳生の母の妹と再婚した。それが仁王の両親で、その時の子供が仁王。柳生はそう説明した。
「ちょっと、待て。オレ、姉ちゃん居る」
「貴方のお母様は当時ご結婚なされていたそうですから」
「何、それ……」
「耳障りの良くない話では、ありますね」
「待てよ」
 訳が分からなくて混乱した。両親のこと、姉のこと、そして柳生のこと、今まで当然にあった関係が本当は違っていた。そういう意味の言葉を柳生は言った。頭がぐるりとして目が回る。思わず柳生の言葉を遮ると、オレを哀れむような、自分も辛いような顔で柳生が笑いかけてくる。
「もう、ずっと昔におきたコトです」
「じゃあ何でオレに教えた!!」
 柳生が強情な子供をあやす声を出したのに、オレはもうたまらなくなって叫ぶ。昔のことだと言うのなら、わざわざオレに伝える必要はなかったはずだった。顔にべったりと哀れみを貼った柳生の、上辺の優しさ。優しい声と笑顔は、けれど、心を深く荒らそうとしている。
「昔に終わったのではなくて、今も続いているからでしょう。別にワタシだって、貴方や貴方のご両親をどうこうしたいと思っている訳じゃない。何も知らない貴方が、自分から、ワタシに突っかかってきたのでしょう?」
 柳生の声は突然、冷ややかに響いた。エアコンの暖房のような生温さが白刃の鋭さに変わる。あの日向かい合った柳生の声だった。落ち着いて丁寧なくせに、奥のところで相手を嘲る。ひどく抑制された苛立ち。オレの言葉を鼻で笑う声だった。
 柳生は一度言葉を切ると、伏せていた目を上げた。がちりとぶつかる視線に思わず身が竦む。柳生は頬の片方を吊り上げて、らしくない笑い方をした。
「正直な言ってしまえば、いい迷惑でしたよ?何もかも分かったような顔をして、人の生活をいきなり掻き回してくれて。貴方が本当に何も知らないのだと判った時には、申し訳ないけれど呆れました。……ずいぶんと、おめでたく育てられていらっしゃるのですね?」
 そうでなくとも混乱している所に、わざと怒りを煽るような挑発的な言葉。大量の油を注がれて、オレは目がくらむ程の衝動にられた。頭に血が上る。不愉快な言葉ばかりを吐き出す口を、どうしかして止めたかった。思考が停止するような、真っ白な一瞬。
 ガタン!と大きな音が鳴った。次いで柳生の詰まった声。オレの両手は柳生のシャツの襟を掴んで、柳生の背を長椅子に押し付けていた。寸の足らない長椅子から出た柳生の頭は無理な体勢にそらされて、襟で絞められた喉は益々苦しそうだ。半ば柳生の体に圧し掛かるようにして、オレは柳生の言葉を止めた。柳生は咽るのだが、肺の真上にオレが乗る形になっているので、全て中途半端な呼吸になっていた。試合中にも染まらない頬が赤くなり、喉のあたりでドクドクと血が流れているのが襟を掴んだ指から伝わってきた。柳生の体温を感じるのは初めてだった。思っていたよりずっと高い。良く出来た人形のようなヤツだから、作り物の冷たさを想像していた。意外な感じがして、親指でそっと喉のあたりの肌をなぞった。熱くて、そして指にぺたりと吸い付いてくる。汗に濡れていた。そのぺた、ぺた、とした感触がいかにも生き物らしくて、オレは何度かくっつけたり離したりを繰り返す。これが、従兄弟で兄弟で、そして柳生の汗と肌と体温だった。
「……っ、に、おっ!」
 親指のしたで喉が動いた。酷く苦しそうな声が聞こえてきて、そしてオレはようやく自分が何をしているのか気付いた。逆さになった柳生の顔は赤いのを通り越して青くなり、肺に酸素を入れようと必死になって出来ない呼吸を繰り返す。オレはあわてて両手を離し、その途端、体がひっくりかえって部室の床に叩きつけられた。したたかに尻を打つ。椅子の上ではオレを押しのけて体を起こした柳生が、片膝を抱きこむようにして空気を吸い込んでいた。時折ひどく咽る、苦しそうな呼吸。
 ごほ、ごほ、という低い音と、ヒュともキュともつかない詰まった声が冷え切った部室を満たす。安い照明は影ばかり作って、身を縮めてなんとか呼吸を整える柳生は今にも壊れそうに見えた。オレは何も出来ないで、床に尻もちをついたままの格好で柳生を見上げていた。ただ見ていることしか出来なくて、柳生が息を詰まらせるたび苦しくて仕方ない。眼鏡の奥にポツンと浮かんだ涙を見た時、オレはもうどうしたら良いのか分からなかった。
 柳生が何も悪くないのは分かっていた。いや、今やっと分かったのだ。柳生は知っていただけだった。そして、何かを隠したいのだ。らしくない露悪的な表情と、苛立ったような半疑問。オレは柳生が潜めておきたいところを抉っているのだ。そっくりの顔を並べていることが柳生の昔を暴く。
 柳生の呼吸がようやく落ち着いて、上下していた肩が次第に動きを小さくする。膝の上に乗せられていた頭がゆっくり持ちあがって、柳生は顔を上げた。まだ少し赤い顔に、涙の流れた跡。茫然と柳生を見上げたままだった視線がぶつかる。何か言わなければと思えば思うほど、喉が絡んで言葉が出ない。けれど間違いなく、オレは柳生に謝らなければいけなかった。


「…………ごめんなさい」
 擦れた声が狭い部室に響いた。柳生は表情のない顔でじっとオレを見る。その一言が宙に漂って、パシリと時が止まった気がした。もう一度、ごめんなさい、が室内に響いて、オレはようやく唾を飲み込んだ。
「なんで柳生、謝るの」
 絡んだ喉を無理矢理動かして、何とか言えたのはそれだけだった。子供のようなつたないものになってしまう。じいっと見上げてくる柳生の視線にオレは頬が熱くなった。誰よりも自由に言葉を使える自負があっさり崩れて、理解する。オレが今まで綺麗にこなしてきたもの達はみんな、初めからその程度のものだったこと。汚れないで終わりに出来るラインを無自覚に選んで、そして容易くこなす自分の姿に満足していた。余裕をなくすほど必死になることなんて一度もなかった。だからこそ、今、こんなに無様だ。
「……なぜ、って。ワタシが言わなければ、貴方は知らずにすんだのに」
「だから、なんで、それで謝るの」
 謝らなければいけないのは自分なのに、謝られてしまう違和感。柳生の理由は説明が足りなくて、同じ言葉を繰り返した。柳生が何を答えるのか分からなかった。相手が読めない恐ろしさ。他人に媚を売る奴等の気持ちが分かった。何も分からなくて不安だから、相手にへつらってでも安心が欲しいのだ。オレも出来ることなら恥も何もなく、柳生に頭を下げて許しを請いたかった――沢山のことを許してほしかった。柳生に謝られてしまっては、叶う話ではなかったけれど。
 柳生は心底気まずそうに、顔を歪めて、言った。
「……なぜ、って。貴方が泣いているから」




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