盲人のうそ・8





 柳生柳生やぎゅう!
 室内に満ちる声は一方的で、呼び掛けられた当人の応答は途切れていた。それでも仁王の呼ぶ声は止まらず、次第に言葉は名前ではなくただの音になる。やぎゅうやぎゅうやぎゅう。仁王の声も徐々に弱まり、祈るような呟きが続く。どこか狂ったような悲痛な音のBGMは、本部に詰める者たちの心を一層重くした。
 たち籠める沈んだ空気に幸村はふっと眉を寄せ、そしてうんざりした顔を作って仁王に話しかける。ただし顔は画面に向けたまま、彼の指示の元で動く者たちの行動を見張っている。
「あのさあ、仁王。知ってるだろうけど、この回線って、メンバー全員で共有しているんだよね。他の人はまだ任務遂行中なの。命懸けなの。君のわめき声なんていい迷惑なの。士気が低下するから止めてくれない」
 普段よりも早い口調で言うだけ言ってしまうと、幸村はマイクをヘッドセットに切り替えて室内のスピーカーは切ってしまう。どれだけ喚こうが拾わないように排除して、ようやく仁王に目を向けた。接続の切れたマイクにうつ伏せる様に身を屈めた仁王は幸村を見ないまま、けれど呟きは途切れていた。幸村はその姿ににっこり笑う。いつもの通り綺麗に口角の上がった笑顔だが、刺々しく苛立った気配は部屋中に伝わった。
「一体何が不満なの?君の任務は柳生がきっちりやってくれたのだから問題無いじゃない」
 ゆらりと仁王が身を起こす。青ざめた肌色が今にも倒れそうはなのに、幸村に向けて見開かれた目は爛々と怒りを溢れさせていた。伏せた背中を痛ましいのと情けないのの半々で眺めていた真田は、その横顔のアンバランスにぎょっとする。重心の置き所が分からないような不安定な形で体を固定させて、仁王は幸村に低く唸った。
「問題、あると。柳生な戦闘員じゃない。戦う訓練ば受けてきた人間じゃない!あんな、いつ死ぬか分からない所い行かせるなんて、問題が!!何ぞ考えとうよ!?」
「戦闘員だよ」
 幸村は、喉に貼りついた声がだんだん怒りに高ぶっていく仁王を、言葉と同じくらい冷ややかに見つめた。笑みにたわんだ目の奥は哀れみすら込めて仁王に向けられる。けれどその言葉は、仁王をさらに追い詰める事実を伝える。柳生が仁王に伝えないと決めた事実。幸村には仁王が知ろうが知るまいが瑣末事だったから、柳生の意思を尊重した。そして、今この状況においては、伝えることが柳生の望み。そこに自身の望みを加えて幸村は言葉を続ける。
「何ね?」
「柳生は、戦闘員だよ。体術も火器の扱いも君に引けを取るところなんか無い。むしろ任務を遂行する際の冷徹さは高く評価しているよ。あるいは君以上に。柳生が後方支援に回っているのはヘリや車の操縦と整備とび抜けているためと情報の整理が得手なため、それに柳生の希望があったためだ。知らなかったの?」
「………………そんなん、何も――」
 仁王が知らないのを承知の上で、幸村はさも意外そうにたずねる。仁王は言葉が理解出来ないように、らしくない鈍い反応を返した。別に仁王を責めたところで何のメリットがある訳ではなかったが、何も柳生を知ろうとせずにいた仁王に腹立たしい気持ちもあって、幸村は駄目押しの一言を放った。
「ふうん。パートナーのくせに仁王は柳生のこと、何も知らないんだ」
 柳生が隠そうとして隠したら分からないだろうけとね、と心の中では付け加えて、幸村は仁王を見た。青かった肌からいっそう血の気が引いて、ろうで出来た人形のように白く固まっている。しばらく幸村はその姿を眺めたが、それ以上の反応は無いと分かるとあっさり興味を無くした。ヘッドセットの位置を軽く整えると、会話の間も絶えず届いていた報告に指示を出すため矢継ぎ早に連絡を取り始める。穏やかな声が的確な指示を飛ばし、途端忙しなくなった室内で、仁王はひとり呆然と立ち尽くす。
 美しく整った部屋の隅から虫が這い出してきたような、堪らない不快感と裏切られた衝撃、それを呼び込んだ自分自身への腹立ち。無条件に信じていたものが覆されて頭の中がぐらぐらと揺れる。吐き気がするような浮遊感を感じて、仁王は思わず口元に手をやった。混乱の中でひとつのフレーズが仁王の頭を埋め尽くす。
 オレが見てきた柳生は、何だったんだ。






 暗い空からぬっと突き出るように、ヘリが降りた。黒く鈍く光る、どこか禍々しい印象のある機体から、ひょろりと細長いシルエットがふたつ、並んで現れた。学生そのものの頼りなさとその声の明るさは、彼らが誰かの命を摘んできたことと酷い違和感があった。たまらずヘリポートに駆け上がった仁王は半分夜に混じったような彼らに必死で目を凝らす。上がった息が大きく胸を押し上げてうっとうしい。
「どーみても仁王センパイに見えんスけど、柳生センパイ、なの?ほんとに?」
「フフ、やり方は追々教えて差し上げます。でもその前にヘリですね、私は今日、死ぬかと思いました」
「えー!?割とオレ的パーフェクトだったんスけど、今日」
「何がどうパーフェクトなのか理解出来ません」
 同僚というよりは先輩後輩の意識が強い彼らの会話はどこか家族的で微笑ましい。のんびりと仁王の後を追って上がってきた幸村が、彼らを見てやれやれと笑う。けれど仁王は、ふたりの、正しくはその内のひとりだけの姿を追うのが精一杯だった。仁王自身とそっくり同じ姿が仁王とは違う歩き方で、ゆっくりと近づいてくる。
「あ!仁王センパイ!と、幸村部長。みんなまだなんスか?オレ達が一番?」
 暗い屋上の先に仁王と幸村の姿を見つけて、まだ装備を身に付けたままの赤也はガシャガシャと機材を鳴らして駆け寄る。忠犬よろしく見上げられて流石の幸村も苦笑ぎみだ。そして幸村の目はそのまま、赤也の後ろに流れる。
「そうだよ、お疲れ様。柳生はひさびさの割に良く動けてたんじゃない?安心したよ」
「それはどうも。ありがとうございます」
「オレは?」
「赤也は、もっとちゃんと頑張れるよね」
「えー……」
 赤也の不満そうな声と、幸村と柳生の笑う声。緊張感から開放されて他愛なく続く会話は目の前で続いているのにどこか別のところから聞こえてくるようで、仁王は呆然と彼らを見た。下まぶたから弧を描く柔らかい笑顔。自分は決してこんな顔では笑えないと仁王は思う。これが無くかもしれなかったかと思うと、爪先から血が凍って頭から闇に呑まれるような怖気が全身を貫く。思わず身を震わせた仁王を幸村がチラッと振り返る。
「まあ、作戦は成功だし柳生は仁王にお灸据えられたし、良かったんじゃない?」
 幸村の視線に誘われて、ふたりの視線が仁王に向く。そしてがちりと噛み合う、同じ形をした顔の、けれど全く違う眼差し。柳生の微笑みがすっと引いて、何とも具合が悪いような、痛ましいような表情が浮かんだ。けれど仁王は変わらず柳生を見つめる。ヒリヒリと、小刻みに肌を刺すような沈黙。
 そして、そこだけ時間が止まったような瞬間の後、仁王は柳生に背を向けた。駆け去ろうとする背中を三人は一瞬見送って、はっと気付いたように柳生が駆け出す。赤也と幸村の目の前を通り過ぎる1秒もない時間に、解かないままの柳生の装備がカチリと小さな音を立てた。仕込んだ刃物の擦れ合う音だ。
 物騒な音だけを残して行ってしまった彼らを見送って、赤也と幸村は顔を見合わせる。
「……大丈夫、なんスかね?」
「……大丈夫、なんじゃない?駄目だったら駄目で、まあ、オレには悪くないし。どっちに転んでも構わない、かな」
 怯えたように顔を強張らせた赤也の問いに、幸村はこくんと首を傾げて答える。善良そのものに見える表情と仕草で彼らがどうなろうが構わないと言ってのける上司に、赤也は改めてこの人は鬼だと背筋が寒くなった。
 そして赤也が幸村への畏怖を新たにしている間にも、順調に役割を果たしたものたちが次々に帰還した。前線組も後方支援組も一通り揃って、幸村は彼らの首尾を把握する。そして皆、仁王と柳生の姿が無いのを確認して回線越しに聞いた一部始終を思い出し、現在進行形であろう修羅場にため息を吐いた。あーあ、と苦笑と心配を半々にして噂する声を聞きながら、赤也は今更に気付く。
「ねえ、でも、柳生センパイが戦闘員になれたのに希望しなかったのって、何でスか?」
 思わず口に出てしまった赤也の疑問。
 さりげなく聞きつけた幸村はちらっとだけ笑ったが、何も言わず沈黙を守った。





(20061104)


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 幸村さま万歳。