盲人のうそ・2





『―――なんだ――とりだ。良い度胸―』
『どうっ―ことな――よ?』
『あっ――余裕!――ってムカつ――も』
 途切れ途切れの軽口に混じる、空気を切る音、鈍い炸裂音、笑い声。片耳のイヤフォンに手を添えながら、柳生はそれに聞き入る。どちらのものか分からない低い呻き、押し隠すように吐き出される深い息。ボ・ボと集音機に当たる空気が短いリズムを作る。それは仁王の動きが忙しくなった証拠だ。柳生は時計に目をやる。遭遇から約2分でようやく戦闘は佳境に入ったようだった。敵とコミュニケーションをとってから行動に移す仁王の遣り方は時間が掛かる。そして得られる情報は少ない――もっとも、少ないとはいっても敵方の情報は貴重で、だからこそ仁王が斥候をふられるのだが。
 定石から外れた戦い方は仁王らしく、メリットも多い。けれど、と柳生が眉をひそめた時、何かが地面に擦れる嫌な音が耳を痛くした。ザリ、ザリと不快な音が届くのに柳生は静止したまま、ただ機械越しの仁王に集中する。相手を倒したときに巻き込まれたのか、あるいは攻撃を受けたのか。前者であってくれればいいと願う柳生は、次に荒い息遣いを聞いて、ぼそりと呟く。
「馬鹿な人だ」
 マイクに拾われないくらいの小さな声で吐き捨てて、柳生は機体の移動を始める。そして本部に呼びかけた。
「柳生です。幸村くん、聞こえていますか?」
『うん、聞いてるよ。どうかしたの?』
「仁王くんが負傷しました。応援のため私も現場にむかいます。許可を下さい」
『え、何で?』
 作戦の全体をモニターしている幸村は、仁王と敵の一部始終を柳生と同じように聞いていたはずだった。それをひどく不思議なことのように聞いてくるのだから、相変わらず性質の悪い人だと、柳生は苦々しく思う。否定ではなく質問してくる辺りが特に。回線は全員が共有しているから、会話は全員に筒抜けで、前線の仁王も勿論聞いていた。出し抜けに笑い声が響く。
『なーに言うか、こんなの何でもなかよ。柳生な余計な心配せんと、予定通り待っとり』
『だってさ、柳生』
「しかし!」
 やはりこの展開になるのかと、柳生は幸村の遣り方に厭らしさを覚えるのと同時に舌を巻く。飛びぬけた駆け引きの巧さが幸村の力だった。人の不安や焦りを見逃さずに確実に弱点を突く。今の遣り取りならば柳生の不安、仁王の自負、お互いの愛情。思いがわずかに理性を眩ませた部分を狙って最小限の言葉で思い通りの展開を作っていく手際は身内としては頼もしい限りだが、それが自分たちにまで発揮されるのだから堪らない。柳生は反論を試みつつ、内心では諦めかけていた。
『仁王が負傷したのは分かっているけど、動けない程じゃないでしょ。接触も済ませたし、後は離脱するだけじゃない。問題ないよ。そもそも怪我したのだって仁王が遊んでたからいけないんだよ。柳生が気にしてあげる必要は無い』
『ハハッ、よく分かってらっしゃるのう。さすが本部長様じゃ。ちゅー訳だから柳生、とっととヘリの高度上げ。お前さんが見つかってしもうたら元も子もない、な?』
 幸村が淡々と挙げた理由を、荒い息の仁王が認める。苦しげなのを隠すようにおどけてみせる言葉は、自分がむしろ仁王の負荷を作っているを柳生に気付かせる。これ以上は何も言えなかった。了解したこと、予定通り機体を差し向けることを伝える。
『良い子だね、柳生』
 幸村のあやすような声が掛かったが、柳生はもう応答しなかった。操作パネルの青白い光を浴びながら、まっすぐ夜空を睨みつける。耳を覆うイヤフォンは、荒い息を無理矢理整えて仁王が再び走り出したのを伝えていた。時折漏れる大きな吐息は、堪えきれない痛みのせいだろうか。それを聞く度、柳生は心臓が捻じ切られるように痛むのを感じた。



 ガシャンと、柳生が旧式の鉄錠を下ろす。大きく重い使い勝手の悪いそれは、結局のところ一番安全だと柳が判断したため立海軍の宿舎はみなこの形状の錠前を使用していた。外出から戻ってくる時には大きな鍵が不便極まりないが、確かに一度中に入ってしまえばこれ以上安全な形は無かった。施設のシステムが狂っても万一ハッキングされても、あるいは火災が起きても、室内は完璧な個室だ。柳生はホ、と息をつく。これで明日になるまで、仁王は無事だった。
「あーあ、つっかれたのう!」
 先に入っていた仁王は、ワンルームの室内に置かれたベットに無造作に座りこんでいた。体中をほぐすように大きく伸びをする姿は、自分の住処にたどりついて毛づくろいを始める猫のようだった。気ままに寛ぐ獣の姿に、柳生はようやく笑顔を見せた。




(20060312)


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 幸村様全開です。