盲人のうそ・1





 バリバリバリという轟音。月の無い夜空はそれを大きく響かせた。その音に空だけでなく地も揺れる。見えない巨人に闇のハンマーを叩きつけられたような衝撃と共に、それまで小康を保っていた青学軍第一駐屯基地は一斉に警戒態勢を敷いた。けたたましいサイレンと機械たちの起動音、急いた人の声。それら混乱の雑音は、けれど、全ては上空のヘリコプターから届くホバリング音に打ち消される。時間を置かず空へと向けられる探照灯。幾つもの光の柱が狂ったように夜空を飛び回る。それでも敵の影は見あたらない。虚空を呑んだ様に静かな様子の空から、耳をつんざく轟音ばかりが響く。それは基地の者たちの恐怖と混乱を煽った。
 そして上空で操縦桿を握る男は、見当はずれに自分たちを探す光の束に一安心してミラーに目を遣る。機動性を重視した小さなヘリコプターの内部は、当然ながら人が収まるスペースなど最低限しか用意されていない。この機ならば武装した兵士が四人、膝を突き合わせてなんとか入る程度だ。窮屈で不自由な思いで戦場に運ばれる兵士たちは、それ故闘争心を煽られる。争いに馴れた彼らはお互いに軽口を叩きあいながらも痛い位の殺気で機内を満たしていた。当時は直に戦闘に加わっていた男も、その緊張感に痺れるような高揚を感じるのが常だった。操縦士に転向した今となっては全く違っていたけれど、それは役目が変わったからというより、機体に乗る男に原因があるようだった。ミラーの中で、後部に居た男がフッと目を開ける。
「何ね、柳生。もう着いたと?」
 後部スペースをひとりで占領して、のんびりと寝転がっていた男が身を起こす。体の下からは鮮やかな色彩の毛布が見えていた。戦場に向う機内に不似合いなそれは、男が枕代わりに持ち込んだものだ。見咎めた同輩が遊びにでも行くつもりなのかと非難すれば、コンディションがどうのこうのと物柔らかく言葉を連ねてあっという間に丸め込んでいるのを、機体の主――柳生は少し離れた所から眺めていた。柳生は邪魔にならない限り兵士の私物に文句はつけない性質で、それが生誕30周年を迎えた仔猫の毛布であろうと問題はなかった。ただ、自分は機内備品の軽量毛布のほうが好きだと思っただけ。
「あと1分半で予定時間です。仁王中尉、降下準備をお願いします」
「準備なんぞ10秒で終わる……けど、うん」
 ほんの一瞬昔のことを思い出した柳生は、手元のアラームが伝える振動で秒読みを開始する。作戦前に気を散らすのは危険だった。同乗の兵士、仁王にも注意を喚起する。仁王が曖昧に頷いたのを鏡越しに確認すると、柳生は改めて計器類に目を走らせる。仁王を地上に下ろすため、高度の調整に入った。正面の視界は闇。加えて彼らを探す幾つもの照明。誰にも負けないテクニックを自負する柳生でも緊張する瞬間だった。増して仁王は斥候を兼ねている。彼が失敗すれば、この後全ての作戦が狂う。柳生は湿った操縦桿を握り直した。首筋をつうっと汗が流れていく。誰にも言ったことはなかったが、頭の奥がジリジリと痺れる緊張感は、性的な快感に似ていると、柳生は思っていた。限界のその先まで我慢を重ねて、呼吸が出来なくなるまで自分を苛めて、そして到達する。仁王の降下ポイントまでもう間もない。柳生は、細く長い息を吐き出して高まる緊張を逃がした。そして早口に、けれど微かに声を揺らして言う。
「マルヒトマルマルにポイントで待機しています。遅れたら見捨てますよ」
「嘘ばっかり。待っちゃうくせに」
「待ったことなんて有りません」
「だってオレ、遅れたことばないっと」
 仁王をちらりとも見ない柳生をミラーで眺めながら、すっかり装備を整えた仁王が震える声を雑ぜ返す。にやりと笑う口元はフロントグラス越しの暗闇を見つめる柳生には確認できなかったが、知っていた。底の見えない相棒兼恋人の、どこまでも飄々とした性格が、この時ばかりは神経に障る。柳生は本当に小さくだが舌打ちをした。
「とにかく。きちんと居て下されば問題有りません」
「それな敵さん次第とね」
 刺々しく言い切った柳生の言葉を、いっそ楽しそうな仁王の言葉が追いかける。そして仁王が開閉口に手を掛けた途端、バラバラバラという轟音と顔が痛いくらい強い風がヘリの内部に飛び込んでくる。真っ直ぐの髪を四方に乱されながら、柳生はただ前だけを見ていた。緊張で紅潮した顔は、さっきの言葉に強張っている。当たり前の事実を突きつけられて動揺する柳生が、仁王には可愛かった。機体の縁に足を掛け、吹き上がる風を受けながら、再び表情を崩す。
「だーいじょうぶ。遅れたことななかよって、言っとろうが。待ってろよダーリン」
 そして、これ以上ない位の素早さで操縦席に身を寄せると、ヘルメットとイヤフォンとマイクの狭い隙間を縫って柳生の頬に唇を押し付ける。最後にペロリと舌が肌を撫ぜていった、それを柳生が理解した時にはもう仁王は機内に居なかった。そのかわりガザザザザッと風を切る音がイヤフォンに飛び込んでくる。反射的に機体を安全地帯に移動させるべく操縦を開始しながら、柳生は長い長い長い雑音に耳を澄ます。それは突然途切れて、バサリと翼を閉じるような音。仁王が走り出す。足音はさせない。ただ仁王の付けた集音機に当たる空気の揺れで、柳生はそれを感じる。
 自分の任務の半分は無事に片付いた安堵にほっと四肢の緊張を解く。けれど恋人を単身戦場に送り出した恐怖に身を震わせる。自分で運んでおきながら、怖いも何もあったものじゃないのに、と柳生はひとり自嘲する。それでも柳生は自分の仕事が好きだったし、他の人間に仁王を預けることは絶対に出来なかった。任務の度、自分がばらばらになりそうだと思う。今はただ、イヤフォン越しに聞こえる仁王の微かな呼吸音に神経を研ぎ澄ますのが出来る全てだった。
 地上の照明も届かない暗闇を飛びながら、柳生はぽつりと呟く。
「あなたが死んだら、後を追いますからね」
 火照った頬の、仁王の舌がなぞった部分だけ、ひんやりと熱が奪われていた。




(20060304)


NEXT
ブラウザを閉じて戻ってください


 におやぎゅ軍物パラレル、始めてみました。
 仁王→戦闘員で中尉、柳生→仁王付きのパイロットで少尉。
 でも(色んな意味で)仲良しなので上下関係はなあなあになっている設定です。