江戸時代[1858(安政5)年]の大地震で発生した鳶山崩れで崩れた土砂から、
常願寺川下流の富山平野を土石流災害から守るための砂防工事が現在まで脈々と続けられています。 一般にはこの地域に立ち入ることはできないのですが、 立山カルデラ砂防博物館主催の見学会に運良く当選し、現地を訪問することができました。 立山カルデラに入るためにはトロッコに乗車しますが、これもなかなか面白い乗り物です。 この見学会に参加するには博物館を見学することが条件とされていますが、 当日または前日にも見学しておくと現地の様子の予習となってより楽しめます、というか理解が深まります。 |
トロッコで富山地方鉄道立山駅前の博物館横から水谷の工事基地まで約1時間の乗車となります。 途中、スイッチバックが全部で42段あり、中でも樺平のスイッチバックは18段で高低差200mとスケールが大きいです。 営業用の鉄道でこんなところはもちろんありません。 |
車庫から出るトロッコ 2001年8月8日
続行で貨物運搬中 2001年8月8日 | 樺平スイッチバック 2001年8月8日 |
トロッコの終点水谷にて 2001年8月8日
トロッコの終点のある水谷平は砂防工事の基地として、夏の間は作業員の宿泊施設などが立ち並びます。 冬はたたむことができるようにプレハブです。また、作業員の慰安設備として露天風呂がありました。 |
天涯の湯(建物は脱衣場) 2001年8月8日
かつては立山温泉があり賑わっていたそうです。 1969(昭和44)年の水害とアルペンルートの開通により温泉は閉鎖され、 浴槽跡のみが痕跡をとどめています。泥鰌池は温泉客がボートを繰り出して 遊ぶところだったようですが、この池も安政の鳶山崩れのさいにできました。 この後ろ山の上は立山黒部アルペンルートの弥陀ヶ原なのですが、 直線距離はすぐ近くなのに標高差は600m程度もあります。 |
立山温泉跡 2001年8月8日
泥鰌池 2001年8月8日
砂防工事の真っ只中の地区の中にある展望所から、鳶山を見たのが下の写真です。 中央の山と左側の山が崩れていて、それぞれ「小鳶崩れ」「大鳶崩れ」といわれています。 現地で見ると、そこから出た土砂が今にも流れ出してくるかのように堆積しています。 実際に降水量が10mmくらいになると土石流が発生するそうです。 この地にたどり着くまでの道も、通常では考えられないような道で、自然の猛威を実感できます。 人類が生き続ける限り、この砂防工事が必要だと思わせるには十分でした。 |
多枝原平 2001年8月8日
Copyright (C) Tetsuya Iwasaki 2001-2005 | 2001.10.23作成 2001.10.23 Ver.1.0 |
---|