切手は二度勝負する
現代美術作家は現世のあらゆるものを作品化した。政治社会現象から身近なエピソード
まですべてがモチーフになったが、遂には郵便制度そのものを作品の一部とした河原温の
ような作家まで現れた。郵便制度というものは、近代文明がもたらした地球規模のシステ
ムであることは言うまでもないが、文明はデザインに出番を作り、更に芸術文化にも登場
の機会を与えるようになった。郵便制度と表裏一体となって進化した切手は今までは産み
の親である郵便事業とは個別に独自の価値体系を作り上げてしまった。そこでは多くのデ
ザイナーや画家たちが質の高い切手制作に関わっていることは周知の事実である。
文明社会ではすべてのものが存在理由をもっているが、ひとたび使用目的が達成される
とその時点でそれらは廃品となる。ところが切手というのはそこから更にもう一つの出番
が待っている。使用済みではあっても、別の価値観が支配する場に再登場する切手という
ものは極めて特殊な存在であると言えるだろう。
伊坂義夫は切手収集家ではない。しかし、時間と空間を駆け巡ってきた郵便物に大きな
関心を示し、遂には役目を終えた郵便物の外装を表現の対象として取り上げるに至った。
印刷物である切手を更に版画という印刷物に転化させているが、その間には人間が介在し
ていることを見逃してはならない。封書には、人々の生活と感情、そして背景にある社会
的構造とそこに流れた時間が凝縮されている。インクで書かれた変色した宛名や日付印で
消された切手からは過ぎ去った時間と何人もの手を経て旅をしてきたであろう郵便物の記
憶、そして手紙を見た人々の喜びや驚きや秘められた人生などが連想される。そうした伊
坂の作品には作り物ではない事実の重みと広がりゆく幻想をない交ぜにした魅力が溢れて
いる。
