精神障害者の人権の向上に向けて
〜30年の差を縮小するために〜
1 改善しない障害者の人権 | ||
昨年9月に内閣府が発表した「障害者に関する世論調査」は、注目に値する。 この調査は、平成24(2012)年 7月から 8月にかけて、3000人(有効回収数1,913人)に対して行われた。「障害のある人に対し、障害を理由とする差別や偏見があるか」についての問いに対して、「あると思う」が56.1%、「少しあると思う」が33.0%で、前回の平成19(2007)年の調査ではそれぞれ52.0%、31.0%であり、それに比べて増加している。 この結果は、私の最近の感覚とも一致する。近年家族・親族、地域社会、会社のつながりは、脆弱になった。以前であれば、社会的弱者は、これらのつながりによって援助されたが、今日では一人で放置され、社会的に排除されたり、孤立したりする。 障害者も、この状況に置かれている。最近、都市部を中心に孤独死や孤立死の事件が発生するが、障害問題が絡んでいる場合が多い。障害者の人権状況は、決して好転していないのである。 |
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2 30年は遅れた日本の精神障害者の人権対策 | ||
昭和59(1984)年 8月、私は、在英日本大使館勤務を終えて帰国した時に保健医療を担当する局に配属となった。当時の局の最大の問題は、栃木県宇都宮市の精神科病院で発生した精神障害者に対して暴行を加え、死亡させた事件の対策であった。ジュネーブから国際法律家委員会委員が来日して調査を受けるなど、日本における精神障害者の人権状況について内外から厳しい批判に晒された。 イギリスから帰国した直後であったので、日本と欧米と精神障害者の人権対策について比較してみると、日本が欧米に比べて30年は遅れていると思った(注1)。 欧米にも精神障害者に対する根深い差別は、存在する。これを一歩一歩改善してきた。 イギリスでは第2次世界大戦前、精神障害者は、人里離れた老朽化した病院に隔離され、悲惨な状況に置かれていた。これを改善すべく1959年に精神保健法などを制定して精神障害者の人権擁護の法制度を整備してきた。また、精神障害者に対するコミュニティケアの一環として医療、福祉の総合的なサービスの提供が行われてきた。 これに対して日本の精神障害者対策は、昭和25(1950)年の精神衛生法、39(1964)年のライシャワー・アメリカ大使刺傷事件を受けての翌年の同法の改正に見られるように治安対策の要素が色濃く見られた。 当時の地方自治体の条例には、精神障害者の教育委員会の傍聴の禁止、図書館や武道館などの公共施設の利用禁止を定めていたのには驚いた。 平成元(1989)年から 3年まで私は、厚生省で生活保護行政の担当課長だったが、今日と同様に生活保護受給者には精神に障害を有する人が多かった。しかし、当時の福祉行政は精神障害者を対象にせず、保健所など保健医療行政で扱う分野とされた。私は、福祉事務所などによる福祉サービスを身体障害や知的障害と同様に精神障害者に対しても行うべきであると主張したが、当時の福祉行政関係者からは積極的な賛同を得られなかった。 そこで学識経験者による検討会を設置し、意欲のある自治体でモデル事業を試み、福祉事務所での精神障害者に対するサービスの取り組みに努めた。 |
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3 障害者差別解消法への期待 | ||
その後、昭和62(1987)年の精神保健法への変更、平成 7(1995)年の精神保健福祉法への変更などによって日本における精神障害者に対する人権擁護対策は、前進した。 法律による障害者差別の禁止は、すでに1973年にアメリカで制定された「リハビリテーション法」504条に見い出せる。1960年代の公民権運動、女性解放運動、障害者自立運動の流れを受けてM.スウィツァーが中心となって1973年に「リハビリテーション法」が制定された。同法504条に「連邦政府から補助金を受けている会社・団体は障害者を差別してはならない」と規定され、相当な効果を発揮した(注2)。 これが1990年の「障害をもつアメリカ人法」(Americans with Disabilities Act:ADAと略称された)の制定につながっていく。ADAは、障害者の人権法制史上重要な位置を占める。この法律は、障害の範囲を広く規定し、雇用、交通、公共的施設、電話利用などでの障害者差別を禁止している。この法律は、日本の福祉関係者にとって衝撃的だった。当時障害福祉関係者が集まれば、必ず話題になった。 その後イギリスでも障害者差別禁止法が1995年に制定され、雇用、教育など多岐の分野で障害者差別が禁止されるなど欧米各国では障害者差別を禁止する法制度が飛躍的に整備された。私は、日本と欧米の精神障害者の人権擁護対策の30年の差が容易に縮小しないと苛立った(注3)。 このたび制定された障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消を推進する法律)がこの差を縮小させ、念願の障害者権利条約の批准に発展していくことを期待したい。 |
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4 ソーシャルインクルージョンが決め手 | ||
法律だけでは精神障害者の差別を解消するわけではない。前述したように今日の差別には社会的排除や孤立が根底にある。これを解決するためには精神障害者が地域社会の一員として暮らせるようにする対策が必要である。これには人権啓発活動だけでは効果がない。就業、教育、余暇活動など具体的な事業によって社会とのつながりを作らなければならない。それによって精神障害者は、社会の一員となる。これがソーシャルインクルージョンである。 しかし、精神障害者の就業率は17%と、他の障害に比べても著しく低い。これを高めていくためには福祉工場のような公的職場、民間企業の就業とともにソーシャルファーム(社会的企業)に普及が必要になってくる。私が日本で2,000社のソーシャルファームの設立に努力している所以もここにある。多くの同憂の仲間によって着実に前進している。 |
注1 | 炭谷茂著「私の人権行政論―ソーシャルインクルージョンの確立に向けて」(解放出版社2007)89〜110頁 藤井克徳・田中秀樹著「わが国に生まれた不幸を重ねないために―精神障害者施策の問題点と改善への道しるべ」(萌文社2004)の序文で私の発言が紹介されている。 |
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注2 | 上田敏著「リハビリテーションの歩み その源流とこれから」(医学書院2013)285〜292頁による。同書は障害者の人権の歴史を学ぶ貴重な文献である。 | |
注3 | 炭谷茂著「差別なき共生社会へ」月刊誌「済生」2013、 7月号 5頁 |
炭谷 茂 (公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会会長、 日本ソーシャルインクルージョン推進会議代表) |
この記事は、NPO法人日本障害者協議会の機関誌「すべての人の社会」2013年8月号に「谷間の障害と言われた精神障害」と題する連載の第2回として掲載されたものです。ただし、ページの体裁は、当サイトの編集者によります。 同誌の編集者のご了解を得て転載しました。ご好意に感謝します。 |
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