介護保険サービスを市場として捉える


目  次  はじめに〜利用者と事業者の「取引」 
1.一般市場の機能 
2.介護保険の制度での市場機能 
3.今後に向けて 
はじめに〜利用者と事業者の「取引」   
 

介護保険制度は、様々なファクターから成り立っており、その立場によって介護保険のもつ意味も異なっています。要介護者やその家族などの利用者にとっては、人間らしい生活に欠かせない介護サービスが安価な費用で利用できる制度です。国民一般にとっても基本的に同じで、万一、自分や家族に介護が必要になったときの安心のための制度です。国や地方自治体にとっては、国民や住民の福祉の向上を図るという責務を果たす上で重要な制度の一つですが、年々、増大を続ける財源を確保することに頭を悩ましています。
 それでは、介護サービスを提供している事業者にとってはどうでしょうか。最大公約数として、それぞれの理念や目的に沿って事業活動を行う場を与えてくれる制度ということになるのではないでしょうか。そして、その活動の仕方は、利用者が事業者を選び、両者の契約に基づいてサービスが提供され、定額制の下とはいえ利用料も支払われるということで、市場で行われている取引とよく似ています。しかも、施設サービスを除いて株式会社等の参入が認められているため、一層、市場に近い状態になっています。
 そこで、この小論では、介護保険の制度の下でサービスが取引される場を介護保険市場ととらえ、一般市場と対比させてその特性を明らかにするとともに、それが事業者にどのようなものとして立ち現れているのかを考察してみました。 

 
1.一般市場の機能〜競争を通じて価格が決まり商品(サービス)の質が保たれる   
   一般のモノやサービスは、市場を通じて売買されています。いうまでもなく、売買を媒介するのはお金です。あるモノやサービスを手に入れたいと思う人は、ここまではお金を払ってもよいという予算を立て、自分の希望に合ったモノやサービスが売られていないか市場で探します。他方、あるモノやサービスを売りたいと思う人は、これだけは欲しいという価格を提示して市場に出します。そして、買い手と売り手、両者の思惑が一致したときに売買が成立します。買い手にとって売り手が付けた値段が高すぎる場合、逆に買い手が用意した予算が売り手にとって低すぎる場合には、売買は成立しませんが、買い手がどうしても欲しくて予算を増やしたり、売り手がどうしても売りたくて値段を下げたりすれば、取引の可能性が出てきます。直接交渉で価格を決めることもあるでしょう。
 ここまでは当たり前のことですが、その背後に見落とされがちないくつかの点があります。まずそれを確認しておきましょう。 
 
(1)ニーズは購買力と価値観により需要となってあらわれる    
   社会福祉の分野では、ニーズという言葉がよく使われますが、これは需要の前提とはなりますが、需要そのものではありません。需要は、あるものをお金を払って手に入れたい状態にあることで、もっと言えば、別のものに先んじてお金を払ってでも手に入れたい状態になっているときに発生します。欲しいと思ってもお金を払わなければニーズがあるというだけで需要ではありません。しばしば、高齢化社会になって介護需要はいくらでもある、と言われますが、ニーズのことを言っているに過ぎない場合が多いことに注意をする必要があります。
 ニーズを需要に変えるのは、購買力と価値観です。どんなに欲しいと思っていてもない袖は振れませんから、購買力が必要なことは自明です。価値観というのは、限りある購買力を何に振り向けていくのかという選択の基準です。通常は、生活必需品から順番に割り振っていきますが、最近の若者の中には、食費を切りつめて携帯電話の料金に充てている人もいると聞きます。これが価値観の問題です。
 このことを介護に当てはめると、一般市場で扱うには困難があることがわかります。まず、介護サービスは相対的に高価です。1回1回の介護サービスの対価はそれほどでもありませんが、問題は、介護が必要な期間がどのくらい続くか分からないことです。全体でいくら必要になるのか、正確なことは誰にも分かりません。さらに、どのような介護サービスが適当か、またその質は適切かということについても、専門知識を持っていない利用者にはなかなかわかりません。これでは、資金をどれだけ用意したらよいのか、また、資金があっても、それをどのように使ったらいいのか、なかなか判断できません。介護保険が必要になる根本的理由はここにあります。 
 
(2)利益追求の動機が競争のなかで品質向上と価格低下をもたらす   
   一般市場に参加している売り手は、株式会社のような営利法人です。その目的は出来るだけ多くの利益を確保することです。しかし、だからといって、品質の悪いものを高く売りつけようとするという目で見るのは正しくありません。中には、そのような不届きな会社もありますが、一般的には、品質の良いモノやサービスを提供しなければ、他の売り手との競争に負け、市場から消えてしまいます。
 より良いものをより安く提供すること、これが市場でモノやサービスを売るときの基本です。ただし、営利法人にとっては、より良いものをより安く提供することそれ自体が目的なのではなく、利益を確保するための手段だということです。だからこそ、利益を確保するという明確な目的を達成するために、彼らは品質向上あるいは価格引下げに必死に取り組むのです。その結果、買い手である消費者も利益(便益)を受けることになります。
 このような相互利益の関係が成り立つのは、市場で競争が行われているからです。競争がないと、手段でしかない改善努力は、たちまち失われてしまいます。近時、某電力会社が横暴に振る舞うと非難されていますが、電力会社がそのような態度をとることが出来るのは、地域内の電力の供給をほぼ独占しているからです。
 
(3)利益の意義〜永続的な活動の原資   
    営利法人は、その法人の設立に資金を提供してくれた投資家に報いるために利益を配分します。それが営利法人にとって至上命題なのですが、だからといって、利益の全部を投資家に配分してしまうわけではなく、将来より多くの利益を得るために、あるいは持続的に利益を得続けるために、資金の多くを振り向けます。その対象は、事業拡大、設備投資、技術開発など様々ですが、中でも重視されるのが人材育成です。どのような最新技術やアイデアも、それを担う人がいなければ生きません。まともな企業ほど、職員の教育研修や労働条件の改善に取り組んできました。(過去形にしているのは、残念ながら、最近はそうでもなくなってきているからです。)このように、営利法人は、存続・発展のために必要な投資や経費への資金振向けを考慮しながら、利益配分を行っているのです。
 続けて、非営利法人の場合について述べておきます。介護保険市場では、非営利、営利の別なく同一のルールの下にサービスを競う状況になっていますので、営利法人と対比させて見た方が分かりやすいからです。
 非営利法人は、利益の獲得を目的とせず、公益の実現を目的とする法人です。営利法人が利益を出して投資家に還元するのに対して、非営利法人は、資金に余裕があれば、公益の実現のために使うことを第一に考えなければなりません。しかし、このことは、非営利法人が一切利益を必要としないということではありません。上記のとおり、営利法人が存続・発展のための資金を利益から捻出しているのと同様に、自らの存続を担保し、活動を継続するための原資として一定の利益(注)を確保する必要があります。非営利法人も単に収支が相償えばよいというのではないのです。
(注)   非営利法人に利益という言葉を用いるには若干の抵抗があります。しかし、企業会計でいうところの利益とは、収益から費用を差し引いた余剰を意味しており、社会福祉法人会計基準でも名称だけが違う(事業活動収支差額ないし増減差額)だけで、収益から費用を差し引いて経営状況を判断する点では全く同じ仕組みになっています。したがって、ここでは営利法人、非営利法人に共通する一般的概念として、利益という言葉を使うことにしました。 
 
2.介護保険の制度での市場機能〜購買力が付与され、価格機能が働く。公定価格制と参入規制の功罪    
    介護保険市場は、介護保険制度によって創設・維持されていることからいって、純粋な市場ではありません。しかし、その枠内ではかなり市場機能の良さが発揮される仕組みとなっています。事業者にとっては、公共サービスに伴う規制を受ける一方、一般市場よりも活動しやすい面もあります。事業者がこの市場の一方の構成員として事業を継続するには、介護保険の制度をよく知るだけでなく、この制度がよって立つ原理を理解する必要があります。  
(1)制度への加入は強制、サービスの利用は契約で   
   介護保険は社会保険なので、制度への加入は法律に基づいて強制されており、個々人の自由意志に委ねられてはいません。しかし、各個人は要介護者になると介護サービスを受ける権利を獲得し、この権利を事業者との自由な契約を通じて実現することができます。加入強制は、誰にでも起こりうる困難に共同で対処するために不可欠の仕組みであり、集合的な契約(社会契約)とみなすこともできると思います。   
(2)要介護者が得るのは購買力   
   要介護者が得る介護サービスを受ける権利の本質は購買力の獲得です。要介護者が購買力を持つことで、ニーズは需要となります。その需要を満たすために介護サービスを利用するのですが、どの事業者と契約するかは自由なのですから、普通のものを買うのと大きく変わりません。費用は保険で出してくれるけれどもサービスの範囲は決まっているというのは、カタログの中から好きなものを選ぶギフトに似ています。利用者負担は引き替え手数料のようなものでしょうか。
 購買力というからには、それはお金と同じです。実際には、要介護者に現金が支給されることなく、直接、サービスが届けられます。(事業者は、費用の9割を保険者から、1割を利用者から受け取ります。)。しかし、介護保険の経済的な機能としては、要介護者に現金が支給され、要介護者がその現金を元手にサービスを利用するのです。このことを現金給付の現物給付化といいます。これは医療保険も同じです。 
 
(3)定率の利用者負担が価格機能を果たす   
   価格機能ということの意味は2つあります。まず、市場で買うことのできる他の商品に優先して、どの程度介護サービスを必要としているかがはっきりします。費用の9割は保険で賄われ、本人は本当の価値の10分の1しか負担しないでいいのですから、たいがいの人は適量の介護サービスを選ぶはずです。それでも、無駄には使わないでしょう。また、1割でも自分のお金を使うのですから、よりよいサービスをしてくれる事業者を捜すでしょう。こうして事業者間でサービス競争が起こり、全体のサービス水準が向上します。価格をテコとして、資源の効率的な使用と品質の向上を実現していくところが市場メカニズムの本質ですが、我が国の介護保険制度はこれにかなり近い仕組みとなっているのです。  
(4)要介護度に応じた支給限度額があるが、期間には制限がない  
   介護保険の優れている点として強調しておかなければならないのは、介護給付は要介護状態が続く限り終期なく行われると言うことです。これは民間保険ではほぼ実現不可能です。給付がいつまで続くかわからない、つまりリスクの大きさがわからないからです。こうした芸当ができるのは、一定年齢以上の国民全部が保険集団に加入し、かつ公費が注入されることにより制度の永続性が担保されている社会保険制度だからこそです。   
(5)サービスの対価は、公定の介護報酬額により定まる   
   以上、介護保険市場を一般の市場になぞらえて説明してきましたが、はっきりと違うところもあります。その一つが、サービスの対価が公定の介護報酬額を通じて公定されていることです。介護報酬はなぜ公定される必要があるのかということと、公定されている介護報酬の額は適正かということを相互に関連させて考えてみます。   
(6)介護報酬額はなぜ公定価格になっているのか   
   介護報酬については、適正な額よりも低いのではないかということに関心が集中しています。しかし、これは適正な額がそれ自身で存在していることを前提にした議論で、介護保険が公定価格を採用しているから起こる現象です。自由な市場では、価格は需要と供給との相対関係で決まり、その額が高いとか低いという議論自体が成り立ちません。取引の当事者がお互いに納得したから売買が成立したのであり、現に実現した価格が適正な額なのです。
 それではなぜ、介護保険は公定価格を採用しているのでしょうか。その説明はあまり試みられていないようです。そこで、介護報酬が実際にどのような機能を果たしているかを確認するところから辿っていくことにしましょう。
 介護報酬の額は、現に介護サービスを提供している事業者の経営実態を調査して、一定の利益が確保されるように決められています。もっとも、経営実態が反映されるのは、在宅サービスとか施設サービスといった大枠までで、個別の介護サービスについての介護報酬の単価は、その時の政策の方向性によってかなり変動します。それでも、全体として見れば、介護報酬は、サービスを生産するために必要になる人件費、物件費をカヴァーし、さらに一定の余裕を見た水準に設定されている、少なくもそうした建前で決められています。
 ところで、介護保険の事業者には、一定数以上の職員を配置し、施設等の基準に合致することが求められます。これはサービスの質を保つための措置です。サービスの質を直接測定することは困難ですが、一定数以上の職員や専門家がいれば、サービスの質も一定以上になっているとみなせるからです。したがって、介護報酬が人件費、物件費を色濃く反映して設定されていることは、事業者が職員配置や施設等の基準を守り、サービスの質を保つための経済的条件を整えていると言えます。
 介護報酬をサービスの質に関する規制をクリアーできるように設定することは、同時に、サービスの量を確保することにもつながります。介護保険は、利用者に、要介護度に応じて一定量のサービスを利用する権利、すなわち購買力を付与し需要を生みます。しかし、実際に利用できるサービスの供給がなければ、その需要は満たされません。サービスの供給量は介護報酬の額に連動しています。最低限、サービスの質に関する規制をクリアーできる額でないと、事業者はサービスの供給を止めてしまうでしょう。逆に、そこそこの額ならば、需要は既にあるのですから、供給は自ずと確保されるはずです。
 このように、介護報酬には、介護保険が想定したサービスの質と量を同時に確保する役割が与えられています。これが、介護報酬を公定する理由と考えられます。
 
(7)介護報酬の額は適正か   
   介護報酬を公定する理由がそうであるならば、なおさら、介護報酬の額をもっと高くすべきだという声が高まるでしょう。これについては、半分はそうだと思いますが、半分は俄には賛成できません。
 そうだと思うのは、賢明かつ良心的経営をしている事業者でも、介護保険の枠内に留まる限り従事者の低賃金に依存する経営から脱却できていないという現実があるからです。このことは、介護報酬の全体的水準が低いことの傍証にはなると思います。
 その一方で、現在の介護報酬の下でも高い利益を出している事業者は少なくありません。同じ介護報酬でも利益率が異なるのは、サービス単位当たりのコストが違うからで、さらにその原因としては、規模の利益が働いているからです。このように、経営効率に差がある場合には、一概に介護報酬が低いとは言えません。
 ここが公定価格制の悩ましいところで、介護報酬を一律に設定すると、不効率な経営をしている事業者を温存してしまいますが、かといって自由な競争に委ねてしまうと必要な量のサービスを確保できなくなる恐れがあります。規模の利益が働く産業では、効率的な経営を行っている事業者は、事業を拡大するほうが合理的です。そうすると、競争が激化して、不効率な経営をしている事業者は次第に淘汰されていきます。当事者には厳しい結果ですが、産業全体としては効率性が向上し、モノやサービスをより安く提供できるようになります。しかし、公定価格として一定額が維持されると、よほど不効率な経営をしている事業者でない限り生き残ることになり、公定価格が高止まりする原因となります。他方、介護サービスには、利用者のいるところでしか生産できないという特性があり、急速な事業拡大は難しい面があります。したがって、事業者の淘汰が進むと、一時的にではあれ、サービスの供給量が減って、利用できなくなる人が出る恐れがあります。そこで、公定価格は、多少経営効率が悪い事業者も存続できる水準に設定する必要があると考えられます。
 介護報酬には、サービス類型毎に設定されている額の間でアンバランスがあるという問題もあります。例えば、施設サービス系と在宅サービス系、既存のサービスと新規に導入されたサービスの間で、同等の条件で事業を営めるものになっているかどうかということです。そこがアンバランスだと、全体としては妥当だとしても、個々の事業者にとっては介護報酬が低いという現象が生じます。
 ただし、介護報酬は特定のサービスの供給を増やしたり抑制したりするための政策手段としても使われており、それをどう理解すべきか、難しい問題があります。他の分野の例として自然エネルギーの開発・利用を促進するために、買取り価格が高めに設定されています。介護報酬も基本的に同じですが、その変更があまり頻繁に行われると、その不安定性が経営上のリスクになってしまいます。
 
 
 (8)参入規制は妥当か  
   介護保険市場が純粋な市場と大きく違うもう一つの点は、参入規制があることです。具体的には、施設サービスは、社会福祉法人あるいは医療法人(特別養護老人ホームは社会福祉法人のみ)しか行うことはできません。最も規制のきつい特別養護老人ホームについて公式見解を見ると、心身の障害により介護を必要とする要介護者にとって終の棲家であり、その事業実施に当たり高い公益性・安定性を担保する必要があるため、とされています。公益性の観点から営利法人が外され、NPO法人などその他の非営利法人も安定性が担保できないから任せられないということです。
 しかし、在宅介護サービス、居住系サービスにはNPO法人のみならず株式会社などの営利法人の参入が認められており、これを住宅と結びつけた特定施設の指定を受けた有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅は、いまや特別養護老人ホームと機能的に大きく変わらないことからすると、ちょっと奇異な感じがします。もっとも、事実上の民間参入が果たされているのであるから、大きな問題ではないという見方もできますが。
 社会福祉法人には、建設費のかなりの部分に補助金が支給されるうえに、税制上の優遇措置があって固定資産や収益に課税もされません。しかし、実際問題として、多額の初期投資を必要とし、それを利用者の負担で賄うことができないとすれば、補助金がなければ特別養護老人ホームは成り立ちません。理念的なことは別にしても、特別養護老人ホームの入所待機者が非常に多い現状を踏まえれば、特養サービスの供給を政策的に支援することは必要と言えます。ただし、いつまで特養経営の独占を認めるのかという論点は残りますし、あまりに手厚い保護をすると不効率な経営を温存し、資金を投入した割には供給が増えずに、本来の政策目標を達成できないということにもなりかねません。
 一方、在宅サービスは完全に自由化されていますが、これまた問題があります。隣同士で利用しているヘルパーステーションが違うのが常態になっていますが、移動時間のことを考えただけでもロスが大きすぎます。初期投資が非常に少なくて、参入障壁が低く、過当競争になりやすいからです。そもそも、介護サービスは、利用者の住んでいるところでしか生産できないので、他の商品と比べて事業のエリアが本来的に狭いという性格があります。他の商品と全く同じに扱うには無理があるのです。 
 
 (9)公正な市場運営を確保するための措置   
   介護保険制度の下では、所定の基準を満たす事業者だけが参加を認められます。そうして事業者が提供する個々のサービスの内容は、対価として受ける介護報酬額に応じて規整されています。利用者は、事業者が指定基準と報酬算定ルールを守っていることを前提にサービスを受けるのです。もしも基準やルールにそむいて低品質のサービスを提供する事業者があらわれた場合には、そのルール違反の行為は是正されなければなりません。場合によっては、指定取消しによって市場からの退場を求められることもあるでしょう。公正なルールの遵守は事業者の責務であり、市場が公正に運営されるのを保証するのは、報酬支払者である介護保険者および行政当局の責任です。
 介護サービスが通常のサービスと違う点は利用者が不十分な情報しか持っていないことです。事業者には、指定基準への適合や報酬算定ルールの遵守に加え、詳しい情報公開や契約内容の丁寧な説明、苦情窓口の設置が求められています。さらに、弱い立場にある利用者は、ケアマネージャーや成年後見人たちが支援します。介護保険市場では、このような何重もの措置によって公正な市場運営の確保が期されているのです。
 
3.今後に向けて〜事業者はその活動を通じ制度への安心感を培う  
 

介護保険市場では、要介護者が購買力を保有し、ニーズが需要化しているため、事業者は、一般市場のように自ら需要を喚起する必要はありません。事業者は、需要に適合したサービスを提供することで、高い利益を得ることは難しいものの、賢明な経営をしていれば市場から退場を迫られることなく、自らの目的を達成することができます。
 同時に、事業者は介護保険制度のステークホルダーの一員として、制度の将来に影響を与えることができることも強調しておきたいと思います。公定価格の下でも、事業者はサービスの向上圧力に晒されると述べました。それは、差し当たっては他の事業者との競争に勝つためですが、その行動を通じて介護保険市場全体のサービス水準を向上させる結果をもたらし、ひいては国民一般に、介護が必要になっても大丈夫という安心感を提供することになります。つまり事業者は、目前の顧客の満足度を高めることで、自らが拠って立つ場としての介護保険市場を維持し、発展させる営みに参加しているのです。
 介護保険が国民全員の保険料拠出(40歳以上)と税金を主たる財源としていることからすれば、国民の支持を得ることが介護保険制度存続の絶対的条件です。このなかで事業者は、上記のとおり介護保険市場における事業活動により、介護保険制度の安定に寄与する役割を担っているのです。
 

 
2012.9.17 宇野  裕 
執筆者紹介 日本社会事業大学専務理事
元 福祉医療機構審議役、社会保険大学校長
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