中山道の歌枕 歌枕
注:中山道の旅で訪ねた歌枕であって、中山道沿いの全ての歌枕ということではない。    

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佐野の舟橋
群馬県高崎市上佐野町
 川に舟を並べ、上に板を敷いた仮橋が都人にとってはロマンチックな橋と見えたのだろう。
多くの歌人が「佐野の舟橋」を題材に詠んでいるが、恋歌が多いようだ。

上毛野佐野田の苗の群苗に事は定めつ今はいかにせも
   万葉集巻14東歌3418

上毛野佐野の舟橋取り放し親はさくれど吾はさかるがえ
  万葉集巻14東歌3420 

いつみてかつげずは知らん東路と聞きこそわたれ佐野の舟橋  和泉式部続集350

東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひわたるを知る人のなさ    後撰619



波己曽山(妙義山)
群馬県安中市・富岡市・下仁田町 
 今はこの名称の山は無いが、妙義神社の古称が波己曽社であったことから、
妙義山が波己曽山ではないかと云われている。

草枕夜やふけぬらん玉くしげ波己曽の山は明けてこそ見め    能因集121

かうづけや波己曽の山のあけぼのに二声三声鳴くほととぎす   信生法師集26

碓氷の山
群馬県安中市・長野県軽井沢町
 中山道最大の難所である碓氷峠だが、古代より東国と都を結ぶ重要な街道の一部であった。
碓氷峠の見晴台に万葉歌碑が据えられている。

日の暮れに碓氷の山を越ゆる日はせなのが袖もさやに振らしつ万葉集巻14東歌3402

ひなくもり碓氷の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも万葉集巻20防人の歌4407

白妙に降りしく雪の碓氷山夕越えくればしかも道あり     宝治百首・定嗣

山の名は碓氷といえどいくちしほ染めて色濃き峰の紅葉葉    千曲の真砂

妻とふたり 碓氷の坂を とほりたり 落葉松の葉の 落ちそめしころ    斉藤茂吉

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浅間山
野県・軽井沢町・御代田町・群馬県嬬恋村
 平安時代と江戸時代に大噴火を起こし、甚大な被害をもたらした浅間山であるが、
都人は、浅間山の煙を歌の材料にしてしまったようだ。 

信濃なる 浅間の嶽に立つ煙 をちこち人の 見やはとがめん 伊勢物語・在原業平

雲はれぬ浅間の山のあさましや人の心を見てこそ止まめ  古今和歌集・巻第十九

信濃なる浅間の山も燃ゆなれば富士の煙のかひやなからん  後選和歌集

いつとなく 思いに燃ゆる我が身かな 浅間の煙しめる世もなく   西行

吹き飛ばす 石も浅間の 野分哉   松尾芭蕉

千曲川
甲武信ケ岳を源流とし、新潟県に入ると
信濃川となる。
暴れ川として旅人を悩ませた川であるが、都人には 千曲 という響きが良かったようだ。
  
信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ 万葉集巻14東歌3400

君か代は千曲の河のさざれ石の苔のむす岩と成つくすまで 式子内親王

ちくま川春ゆく水はすみにけり消えていくかの峰のしら雪   順徳院

和歌ではないが
千曲川いざよう波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
      島崎藤村 旅情より一部抜粋

望月の牧
長野県佐久市望月
 平安時代、朝廷に献上する馬を飼育する 望月の牧 は名馬の産地として全国にその名を
とどろかせており、多くの歌人が、望月を題材にした歌を残している。

逢坂の関の清水に影見えて いまやひくらむ 望月の駒 拾遺和歌集・紀貴之

あづま路をはるかに出づる望月の 駒に今宵は逢坂の関    源仲正

嵯峨の山千代のふる道あととめてまた露わくる望月の駒  藤原定家・新古今集

望月のこまよりおそく出でつればたどるたどるぞ山は越えつる 後撰1144


諏 訪 海(諏訪湖)
長野県岡谷市・諏訪市・諏訪郡下諏訪町
 御神渡りで有名な諏訪湖であるが、平安時代からすでに都人は「おみわたり」を
題材にした和歌を詠んでおり、魅力的な現象と捉えていたようだ。

諏訪の海の氷の上の通ひ路は 神の渡りて解くるなるけり   源顕仲

諏訪の海や氷を踏みて渡る世も神し守らば危ふからめや   宗良親王

春をまつすわのわたりもあるものをいつをかきりにすへきつららそ   西行

東なる諏訪のみわたりいかならん こほらぬ西もあやうかるへき   藤原為家

木曽の桟
長野県木曽郡上松町上松桟
 「木曽のかけはし太田のわたし、碓氷峠がなくばよい」と詠われたほど難所の「木曽の桟」であるが、危ういものに興味津々の
都人にとっては格好の題材であった。

波とみゆる雪を分けてぞこぎ渡る木曽のかけはし底もみえねば   西行

わけくらす木曽のかけはしたえだえに行末深き峰の白雲   藤原良経

なかなかに言ひもはなたで信濃なる 木曽路のはしのかけたるやなそ  源頼光

桟や いのちをからむ 蔦かづら   松尾芭蕉


寝覚めの床
長野県木曽郡上松町寝覚
 木曽川の激流が創りだした渓谷美は中山道随一。浦島太郎が玉手箱を開けて目を覚ましたことが地名の由来とか。
古来から多くの歌人に詠われた歌枕であった。

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谷川の音には藤も結ばじを目覚めの床と誰が名つくらん    近衛摂政家照公

浦嶋のよはいをのべよ のりの師は ここに寝覚の床うつして   綾小路宰相有長

岩の松ひびきは波にたちはかり旅の寝覚ノ床ぞ淋しき   貝原益軒 

こんな歌もありました
桟の名は残れども命をからむ蔦もなく寝覚の床のあさ衣木曽の川波静かなり
                                                     鉄道唱歌/中央線58番 
                                            

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青墓
岐阜県大垣市青墓町
 青墓は、平安末期から鎌倉時代にかけて東山道の宿場として大変賑わった宿場で、保元物語や平治物語にも登場するが、
今は「中山道 青墓宿]と記された標柱が
さびしげに立っているだけである。

一夜見し 人の情にたちかえる 心もやとる 青墓の里    慈円

垂井の泉
岐阜県不破郡垂井町垂井
 木曽路名所図会に「この清水は特に清冷にして味ひ甘く寒暑の増減なしゆききの人渇をしのぐに足れり・・・・」と記されており、
垂井清水(垂井の泉)が大きく描かれている。今も滾々と湧き出る清水は清冷なり。

あさはかに 心なかけそ 玉すたれ たる井の水に袖もぬれなむ
   一条兼良

昔見し たる井の水はかわらねど うつれる影ぞ 年をへにける   藤原隆経朝臣

我が袖の しずくにいかがくらべ見む まれにたる井の 水の少なさ  参議為相卿

葱白く 洗いあげたる 寒さかな   松尾芭蕉

不破関(ふわのせき)
岐阜県不破郡関ヶ原町松尾
 壬申の乱(672)の翌年、天武天皇は不破道の重要性から関を設置し通行人の取調べを開始したが、延暦8年(789)には
関が閉鎖され関守が置かれるのみとなった。このころから歌枕として多くの人に知られるようになっている。
 
不破の関 朝こえゆけば霞たつ 野上のかなたに鶯ぞなく    藤原隆信

人住まぬ 不破の関屋の板庇 あれにし後は ただ秋の風     藤原良経

あられもる不破の関屋に旅寝して夢をもえこそとほさざりけり    大中臣親守

秋風や 藪も畠も 不破の関    松尾芭蕉

関の藤川(現藤古川)
岐阜県不破郡関ヶ原町
 壬申の乱(672)で大海人皇子(天武天皇)と大友皇子(弘文天皇)がこの川の両岸で対峙したと云われている。
また、かつては不破関の近くを流れていたことから「関の藤川」と呼ばれ、多くの歌人が詩歌に詠んでいる歌枕でもある。

美濃の国 関の藤川絶えずして 君に仕えんよろず代まで   古今和歌集

我ことも君に仕えんためならで渡らましやせきの藤川   阿仏尼 (十六夜日記)
(我が子ども)
神代より道ある国につかへける契りもたえぬ関の藤川    九条道家

吹出でて風はいぶきの山の端にさそひて出づる関の藤川    西行

 
                                                   

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伊吹山
岐阜県と滋賀県の県境
  詠まれている 「さしも草の伊吹山」 は、美濃・近江国境の伊吹山とも、下野国の伊吹山(今はこの名の山は無い)とも
いわれているが、都人にとっては近江の伊吹山の方が身近だったのではないだろうか。

さしも草 もゆる伊吹の 山の端の いつともわからぬ 思ひなりけり   藤原頼氏

かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを  藤原実方

今日もまた かくや伊吹のさしも草 さらば我のみ もえやわたらん     紫式部

思いだに かからぬ山のさせも草 誰か伊吹の里は告げしぞ    清少納言

注:さしも草→艾(もぐさ)

醒ヶ井(さめがい)
滋賀県米原市醒ヶ井
 「古事記」「日本書紀」にも登場する「居醒の清水」から由来した醒ヶ井は、東山道時代からの宿駅で、
多くの旅人が立ち寄り歌を詠んでいる。

むすぶ手に 濁る心をすすぎなば 浮き世の夢やさめがいの水   阿仏尼

水上は 清き流れの醒井に 浮世の垢を すすぎてやみん   西行

わくらばに 行きて見てしか 醒が井の 古き清水に やどる月影   源実朝

旅やどり 夢醒ヶ井の かたほとり 初音も高し 鶯が端   能因法師

不知哉川(現 芹川)
  いさやがわ
写真の場所:滋賀県彦根市大堀町
 中山道を横切る不知哉川(現 芹川)は、
犬山郡の霊仙山を源とし、彦根市を通って
琵琶湖に注いでいる
鳥籠山(現 大堀山)
 とこのやま
滋賀県彦根市大堀町
鳥籠山という山名は今は無いが、芹川と中山道が交わる地点の小山(大堀山)ではないかと云われている。
 
 不知哉川(いさやがわ)と鳥籠山(とこのやま)はセットで詠われることが多い。場所は諸説あるが現芹川と大堀山ではないかと言われている。

  淡海路の 鳥籠の山なる不知哉川 日のころころは 恋つつもあらむ   巻4−487

  犬上の鳥籠の山なる不知哉川 不知とを聞こせわか名告らすな   巻11−2710

  あだに散る 露の枕に ふし侘びて 鶉鳴くなり 床の山    俊成卿女

  ひるがをに 昼寝せうもの 床の山    芭蕉

老蘇森(おいそのもり)
滋賀県蒲生郡安土町東老蘇
 万葉の昔から和歌に詠み込まれてきた名高い森で、森の奥深くには奥石神社が鎮座している。
また、東山道/中山道を行き交う多くの旅人が足を留め、旅の疲れを癒した森でもある。

東路の 思い出にせむほととぎす 老蘇の森の夜半の一声   大江公資

のがれえぬ 老蘇の杜の紅葉ばは ちりかひくもるかひなかりけり   兼好法師

夜半ならば おいそのもりの郭公 今もなかまし 忍び音のころ   本居宣長

身のよそに いつまでか見む東路の おいそのもりに ふれる白雪   賀茂真淵

鏡山(かがみやま)
滋賀県蒲生郡竜王町
 鏡山は標高385mのなだらかな山だが近江名山の一つに数えられ、遠く万葉の昔から多くの歌人に詠われてきた。
今もハイキングコースとして人気があり、多くのハイカーが訪れている。

鏡山 君に心やうつるらむ いそぎたゝれぬ 旅衣かな   藤原定家

花の色を うつしとどめよ 鏡山 春よりのちの 影や見ゆると   坂上是則

うち群れて いざ我妹子が鏡山 越えてもみじの 散らむ影見む   紀貫之

くしげなる 鏡の山を越えゆかむ 我は恋しき 妹が夢見たり   大伴家持

「鏡山と鏡新池」の写真は、HP「川柳とウォーク」を運営しております寺沢様から提供していただきました。

野洲川(やすがわ)
滋賀県
甲賀市・湖南市・栗東市・野洲市・守山市
 鈴鹿山系の御在所山から流れ出た水は、滋賀県南部を流れて琵琶湖に注いでいる。
河口はかつて派川が八つの州を造っていたことから「八州川」と呼ばれていたが、いつの頃からか野洲川となった。

天の川 安の川原に定まりて 神の競ひは 禁む時無きを    
万葉集巻10-2033

我妹子に またも近江の安の川 安寐も寝ずに 恋ひ渡るかも 万葉集巻12-3157

うち渡る 野洲のかわらになく千鳥 さやかにみえぬあけぐれの空  源頼政

近江路や 野ぢの旅人急がなむ やすかはらとて遠からぬかは   西行


野路の玉川
滋賀県草津市野路町
 「野路」は平安から鎌倉時代にかけて栄えた宿場で、ここに湧く泉は多くの旅人の喉を潤してきたという。
その泉の水が流れる「野路の玉川」は日本六(む)玉川の一つとして歌枕に詠まれた名勝であった。
また萩の名勝としても知られ、 萩の玉川 として「近江名所図会」や歌川広重の浮世絵でも紹介されている。

あすもこむ 野路の玉川萩こえて 色なる波に 月やどりけり   源俊頼

さをしかの しからむ萩の秋見へて 月も色なる 野路の玉川  新拾遺集・仲光


瀬田の唐橋(からはし)
滋賀県大津市瀬田
 琵琶湖に架かるこの橋は「瀬田の長橋」とも「瀬田の唐橋」とも呼ばれ、交通・軍事の要衝で、何度も
戦乱の舞台となっている。一方、近江八景「瀬田の夕照」で知られる日本三名橋の一つでもある。

まきの板も苔むすばかり成りにけりいくよへぬらむ瀬田の長橋  (新古今)

望月の駒ひきわたす音すなり瀬田の長道橋もとどろに   平兼盛

ひき渡す瀬田の長橋霧はれて 隈なく見ゆる望月の駒   藤原顕季

五月雨に かくれぬものや 勢多の橋  芭蕉


琵琶湖(びわこ)
近淡海(ちかつあわうみ)/鳰海(におのうみ)
滋賀県/米原市/彦根市/草津市/大津市
 古代には、都から近い淡水の海ということで近淡海(ちかつあわうみ)と呼ばれていたが、
のちに鳰(かいつぶり)が沢山いたことから鳰海(におのうみ)とも呼ばれていた。
琵琶湖と呼ばれるようになったのは江戸時代に入ってからである。

淡海の海夕波千鳥汝なが鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ   柿本人麻呂

鳰の海や霞のをちにこぐ船の まほにも春のけしきなるかな 式子内親王

石山や鳰の海てる月かげは 明石も須磨もほかならぬ哉   近衛政家

鳰の海や月のひかりのうつろへば浪の花にも秋は見えけり  藤原家隆


逢坂おうさか
滋賀県大津市大谷
 山城と近江の国境にある峠道で、東海道、東山道から都に入る交通の要衝であった。古代より関所が置かれており、
別れなければならない場所であるのに「逢う」という字が含まれていることから、どういうわけか都人には好まれたようで
多くの歌人が詠っている。

これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関   蝉丸 

夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ   清少納言

名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな  三条右大臣

逢坂の 関に流るる岩清水 言はで心に 思ひこそすれ   読人知らず

わきて今日あふさか山の霞めるは立ちおくれたる春や越ゆらむ    西行

鴨川かもがわ
京都府京都市  
 京都の代表的な川で、桟敷岳(さじきがだけ)を源とし京都市街を流れ下って淀川に合流。上流部を賀茂川とも
称しているが、古くから、多くの歌人が鴨川(賀茂川)を題材にして詠っている。

鴨川の後瀬静けく後も逢はむ妹には我れは今ならずとも   万葉集2431

誰がみそぎ同じ浅茅のゆふかけてまづうちなびく賀茂の川風   藤原定家

みそぎする賀茂の川風吹くらしも涼みにゆかむ妹をともなひ   曾禰好忠

ちはやぶる賀茂の社の木綿襷(ゆうだすき)一日も君をかけぬ日はなし 読人不知


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