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間の宿)鏡の宿かがみのしゅく
          
  「鏡の宿」 は東山道八十六駅(うまや)の一つで、平安時代末期から
大変栄えた宿場であったが、中山道が整備されると宿場の指定から
外され 間の宿 となってしまった。
 しかし、本陣・脇本陣が置かれ紀州侯の定宿となるなど宿場の機能は
しっかりと果たしている。

平成22年11月8日  ある時から突然 蛙 が鳴かなくなってしまった池がありました。
コメント:鏡の宿は「間の宿」であるが、本陣・脇本陣が置かれ宿場の機能がしっかり果たされていたこと。
     また、「源義経が元服した地」、さらには「平家終焉の地」でもあることから新たな
ページを設けた。また、背後の鏡山は歌枕でもある。

 武佐宿を出てかれこれ1時間、住蓮坊首洗い池や住蓮坊古墳を見て、八幡社にお参りし、着いた所は横関川渡し跡。

 説明板に安藤広重の「木曽街道六十九次の内・武佐」(左)が描かれているが、渡し舟ではなく舟橋となっている。水量が少なくなると杭を打って舟橋としていたのだそうだ。

 今は渡しも橋も無いので「横関川」(右)に沿って土手上の道を500mほど歩き、横関橋を渡ったらすぐに右へ曲がり渡し場跡付近から西横関の集落へと入っていく。

 若宮神社や浄泉寺などを見ながら西横関集落をてくてくと。

 ほどなく国道8号に合流し、すぐに国道477号と交差するが、交差点の左向こうに「道標」(左)が1本。「是よりいせみち ミなくち道」と刻まれている。ここは東海道水口宿を通ってお伊勢参りへの道である。

 国道477号を横断し、数分先の善光寺川橋を渡ったらその先で左の旧道に入ると、そこは「鏡の里」と呼ばれる間の宿。「旅籠 亀屋跡」(右)や京屋跡などと記された案内板が。

 再び国道8号に合流するがその少し手前に「石仏群」(左)が。 散在していた石仏が集められたのだろうが、なんとなんと双体道祖神も見える。花が手向けられ大事にされているようだ。

 国道沿いにも旅籠跡の案内板が見えるが、道路際の広場奥に「源義経宿泊の館跡」(右)と刻まれた石碑が建てられている。

 承安4年(1174)3月、金売り吉次に伴われて鞍馬寺より奥州に下向する牛若丸は、「鏡の里」の宿駅長(おさ)であった澤弥伝の旅籠「白木屋」に泊まり、その夜元服して源九郎義経と名乗ったのであった。

 鏡宿は平安末期から鎌倉、室町時代まで宿場としての賑わいを見せていたが、中山道が整備されると宿場の指定から外され 間の宿 に。

 しかし紀州侯の定宿であったり、皇族や将軍家の御名代や多くの武士が宿泊することから茶屋本陣ではなく、れっきとした「本陣」(左)、「脇本陣」(右)が置かれていたが、これは異例中の異例だろう。

 元服した牛若丸は鏡神社参道の松枝に烏帽子を掛け鏡神社へ参拝。源九郎義経と名乗りを上げ源氏の再興を祈願したのだとか。

 その「鏡神社本殿」(左)は室町時代に建てられたもので、国指定の重要文化財となっている。また烏帽子を掛けたという松は明治6年に倒れてしまったが、参道に保存されている切り株はその一部。

 街道に戻り1〜2分歩くと「源義経元服の池」(右)が見られる。説明板には「東下りの途、当 鏡の宿にて元服加冠の儀を行う。その時使いし水の池なり」と記されている。

 元服池の対面に「道の駅 竜王かがみの里」があるので疲れた足の休憩には最適。旧中山道は道の駅先から左の旧道に入り、
明治天皇聖跡碑を見たりしながら7〜8分歩くと再び国道8号に合流。

 合流点のガソリンスタンド先から左に入る細い草道を進むと「平家終焉の地」(左)と刻まれた石碑と塚がある。

 平家終焉の地は壇ノ浦とされているが、実は総大将の平宗盛父子ら数名は捕らえられ、この地で源義経によって処刑されている。首は京都に送られたが、胴はここに埋められ塚が建てられたのであった。

 塚の西方に見える池は「蛙不鳴池(かわずなかずのいけ)(右)と云われている。宗盛父子の首を洗った「首洗い池」と続きで、以降、蛙が鳴かなくなったのだとか。 コメント:首洗い池は埋め立てられ今は無い。

蛙不鳴池から10分ほど国道を歩いて浄勝寺前から右の旧道に入り、立場があった大篠原の集落を通って再び国道へ。

 国道に合流すると道の向こうに「西池」(左)の長い堤防が見える。

 この池は雄略天皇の御代(413年頃)、近江国に48の用水池を掘らせた時の一つと云われている。今は水が落とされているが、田植え時期には満々と水が湛えられるのだろう。

 西池の堤防で思わぬ秋を発見。「ススキとオトコエシ(男郎花)(右)のツーショット。そこに割り込んだセイタカアワダチソウが邪魔だねー。

再び国道をてくてくと約10分。正連寺の先から再び右側の旧道に入っていく。

 旧道に入って数分、ポケットパーク」(左)に愛宕山碑や常夜灯が建てられている。 そのすぐ先に真新しい橋があり、下を家棟川が流れているがごくごく普通の川。

 ところが解説版を読むとビックリ。かつては橋の代わりにトンネルがあり、その上を川が流れていたのだそうだ。つまり天井川だったのだ。

 橋を渡り道成りに進んで「子安地蔵堂」(右)で一休み。今は扉の奥深くに安置されているが、極彩色等身大の地蔵様は平安時代末期(12世紀)の造像だとか。

 ほどなく桜生史蹟公園に到着。この周辺は古墳の宝庫。銅鐸なども出土しており古墳巡りで一日を過ごすこともできそうだ。

 中山道沿いにも古墳が1基。直径30mの円墳である「甲山古墳」(左)が見られる。

 甲山古墳のちょっと先、「公民館の屋根に銅鐸が」(右)。 近くに「銅鐸里桜生(さくらばさま)」と看板が出ていたが「銅鐸の里」とはロマンチックだね〜

ここまでくると守山宿が近い。守山宿の次は東海道との追分の宿である「草津宿」。京都が目の前に近づいてきた。


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