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第64宿高宮宿たかみやじゅく
 高宮宿は多賀大社の門前町として、また近江上布(麻布)の集散地として
大変栄えた宿場で、天保14年
(1843)の宿村大概帳によると、戸数830余、
人口3560人余と本庄宿に次ぐ大きな宿場であった。
 町並みには今でも往時の面影が残っている。

 

平成22年6月9日   懐かしいね〜 提灯専門店がありました。

 鳥居本宿を出て途中あちこち寄り道しながら1時間半。踏切手前の街道際に「高宮宿碑」(左)が建てられている。碑の横にはノッポな常夜灯」(左)も。

 宿碑後ろの線路は「近江鉄道本線」(右)。単線で、なんともローカルな感じがするのだが、中山道を旅する者にとっては貴重な交通手段。

 近江鉄道が運行されていなかったら大変な苦労をして歩かなければならない。

 踏切を渡って数分、交差点向こうにある小さな御堂の中には「木之元分身地蔵」(左)が祀られている。由来は定かではないが、木彫りの地蔵菩薩は木之元の浄信寺にある地蔵の分身だそうだ。

 さらに6〜7分歩くと「座・楽庵(ギャラリー兼喫茶室)」と記された看板が目に入るが、ここは高宮布(近江上布)の仕入れ問屋「布惣跡」(右)。

 高宮布は周辺で産出した麻布で、室町時代から貴族や上流階級で珍重され、江戸時代には近江商人によって全国へ広まっていった。

 布惣前の鳥居奥は鎌倉時代末期の創建という「高宮神社」(左)。拝殿も立派だが、八棟造りのような本殿が素晴らしい。

 拝殿に行く途中に通る随身門(楼門)は嘉永2年(1849)のものだとか。その随身門横の「笠砂園」「芭蕉句碑」(右)がひっそりと据えられている。

   をりをりに 伊吹を見てや 冬篭り   はせを
                    ふゆごもり

 江戸時代には大変な賑わいだった高宮宿も今は静かなたたずまい。旧宿場町の「町並み」(左)には卯建の上がった古民家が並び、往時の賑わいを偲ばせてくれる。


 町並みの中に「提灯店」(右)がありました。都会では全く見かけなくなったが、なんとなく郷愁をさそう店頭に1枚撮りたくなった。

ほどなく見えてくる大きな鳥居は「多賀大社一の鳥居」(左下)。寛永12年(1635)に建立されたもので柱間8m、高さは11mもある。

 多賀大社は古事記にも記載されている歴史ある神社だが、ここからは1里弱、ちょっと遠いので機会があったら。

 鳥居前を通り過ぎた先、右側に「紙子塚がある小林家」(右)が見える。縁あって小林家に一泊した 芭蕉 だったが、寒い思いの夜に一句。
    たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子   芭蕉

 後で芭蕉と知った主人は新しい紙子(紙の服)を贈り、古い紙子を庭に埋めて塚を作ったのだそうだ。

 紙子塚のすぐ先が2軒あった脇本陣のうちの1軒、「塩谷脇本陣跡」(左)で、問屋場も兼ねていた。  

 コメント:ここを小林脇本陣と解説した紀行文がいくつかあるが、地元の人に確認したところ塩谷脇本陣跡で、小林脇本陣跡は はっきり分からない ということであった。

 脇本陣跡の左先に立派な門構えが見えるが、ここは「小林本陣跡」「本陣門」(右)のみが往時の姿を今に伝えている。

 道路を挟んで本陣跡の向かい側にある円照寺に明治天皇ゆかりの松がある。その名を「止鑾松(しらんのまつ)(左)。明治天皇ゆかりにしては小さな松だなと思ったら2代目の松でした。

 北陸御巡幸の帰途、円照寺に泊まることになった明治天皇だが、松が邪魔をして乗り物が通れない。役人が松を切れと命じたが、住職は抵抗。天皇にお伺いを立てると「歩くことなどいとわず」の返事。住職は、天皇の乗り物「鑾」を止めたので「止鑾松」と命名。

 
鑾松の隣、本堂前に「徳川家康腰掛石」(右)なる石が柵に囲われている。大阪の陣遠征途上に腰掛けた石 とのことである。

 円照寺を出て数分、犬上川に架かる橋は「無賃橋」(左)。

 彦根藩は、増水時の川止め解消のため地元の富豪に橋を架けることを命じ、一般からも寄付を募って橋を架けたのだが、この橋は渡り賃不要であったことから「無賃橋」と呼ばれるようになったのだとか。

 無賃橋の北詰に「むちん橋地蔵」(右)が祀られている。由来記によると「昭和52年(1977)、橋脚改修工事の際、脚下から発見。これぞ最初に架橋されたときの地蔵様と、ここに祀った」のだそうだ。

 無賃橋を渡った中山道は、法土町(ほうぜちょう)、葛籠町(つづらちょう)を通っていくのだが、その途中に足利尊氏の子、議詮の妻妾にまつわる「産(うぶ)の宮」(右)という小さな小さな神社がある。

 「産の宮」は街道沿いの「産の宮井」横を奥へ入り、突き当たりを右に曲がった所。

 街道をもう少し先まで歩くと、再び中山道松並木が。この辺は僅かの区間であるが畑の中の道。気持ちよく歩くことができる。

 ほどなく鳥居本宿の入り口で見た「おいでやす彦根」と同じモニュメントがあり、今度は「また おいでやす」(左)と刻まれている。機会があったらまた来ますよ。

 「また おいでやす」のちょっと先に「筧がある休憩所」(右)が設けられている。筧(かけい)から流れ落ちる水を東屋の中から眺めていると飽きないから不思議だなー。

 疲れも取れたし、汗も引いた。もう少し歩くと間宿「石畑」、その先は「愛知川宿」。もう少し頑張ろう。.



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