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第61宿醒井宿さめがいじゅく
 東山道の時代から宿場町として栄えていた醒井宿は、木曽路名所図会に
『この駅に三水四石の名所あり 町中に流れ有りて 至って清し 寒暑に増減
なし』 と記されるほど、清らかな水が流れることで知られた宿場である。
 この清らかな水は今でも変わらず、旅人を癒してくれる。

平成22年5月6日   宿場内を流れる地蔵川は、ハリヨとバイカモ(梅花藻)が生息するそれはそれは清らかな流れである。

 ・小川の関跡から右側の土道に入った旧中山道は鬱蒼とした杉林の中を通っていく。まさに「江戸時代の道」
 ・ほどなく車道に合流すると、小さな祠の中に沢山の「地蔵様」が。よく見るとほとんどが細長い石、「鰯の頭も信心から」ですかな。
 ・その先の大石は「中山道碑」
 ・旧中山道はこの先で国道に最接近するが、すぐに国道から離れ、梓川橋を渡って横河駅があったという「梓集落」へと入っていく。
 ・梓川沿いに進んだ街道は突き当たりで左へ曲がり「国道21号」に合流する。

 国道を5〜6分歩くと「中山道碑」(左)が据えられている。旧中山道はこの先で国道から分かれ左の旧道へ。

 八幡神社前を通り過ぎて数分、名神高速のフェンス前に比較的新しい「一里塚跡碑」(右)が据えられているが、ここは116番目の「一色一里塚」があった場所。

 街道はこの先で、左に名神高速、右に国道21号と東海道線に挟まれるようになるが、その先の坂道を下るといよいよ醒井宿である。

 坂を下ると見事なクランク道となるが、ここは「東の枡形道」(左)。ここには江戸見付(番所)が設けられていた。 枡形道を抜けると2階の軒が低い家が並び、旧宿場街の雰囲気が味わえる。


 ほどなく見えた鳥居は日本神話の英雄「日本武尊」の伝説が残されている「賀茂神社」(右)

神社の崖下から清水が滾々と湧き出しているが、ここを「居醒の清水」(左下)と呼び、次のような伝説が。

 伊吹山に住みついた大蛇を退治するよう命ぜられた日本武尊。見事に大蛇を切り伏せたのだが、大蛇の毒に犯されやっとのことでこの清水にたどり着いたのであった。この清水で体を冷すと、不思議なことに高熱がとれ、さわやかな体調に戻ったそうだ。
 名づけて「居醒の清水」(左) 。醒井宿三水の一つである。

 また醒井宿四石のうち三石がここで見られる。
清水の湧水口近くに「蟹石」(左写真 柱の間)が。鳥居右側の流れの中に日本武尊が腰掛けたという「腰掛石と鞍懸石」(右)がある。

四石目の影向石は源海寺にあるそうだが、今は埋没して見られない。
 

 賀茂神社隣の「延命地蔵堂」(左)に祀られているのは総高270センチの半跏像(はんげぞう)。鎌倉時代の作と云われているが、当初は水中に安置されていたことから、尻冷し地蔵とも唱えられていたそうだ。


 居醒の清水から流れ出た湧水は「地蔵川」(右)となって宿場の中を流れている。清澄な水を好むという「ハリヨ」が棲み、15度前後の湧水でしか生息しないという「梅花藻」が群生する清流は他に比類が無い。

 地蔵川に沿って少し歩くと「本陣跡」(左)と墨書された標柱が建てられている。今は「樋口山」という料亭となっているが、当時の関札(せきふだ)が今も残されているそうだ。
 関札:大名が宿泊する際に、本陣入り口に掲げる大名の名前を記した木札。


 本陣跡の先、地蔵川の向こうに見える建物は「問屋場跡」(右)。この建物は江戸時代初期の建築と推定されているが、修復されて資料館となっている

 問屋場跡の向かい側、白壁の軒卯建がひときわ目を引く建物は「ヤマキ醤油」(左)。 明治時代後半の創業ということだが、深い味わいの味噌と醤油は醒井の湧水で仕込んでいるのだとか。


 その先の石灯篭後ろは「旅籠跡」(右)。といってもこの建物は昭和初期に建てられたもので、今は料理旅館となっている。風情ある庭を眺めながらの昼食は結構人気があるようだ。

 旅籠跡の先、明治天皇御駐輦所と刻まれた石碑が立つ門は 「江龍家表門」(左)。庄屋を務めていた江龍家の屋敷は本陣並の規模を誇っていたそうだ。


 江龍家の脇を通って路地を奥まで入ると、国の天然記念物に指定されている「御葉附銀杏」(右)の大木が見られる。樹齢150年というこの木の銀杏(ぎんなん)は葉の上につくという珍しいもの。

 街道に戻って数分、三水の二つ目である「十王水」(左)が見られる。

 地蔵川の中に「十王」(左)と刻まれた燈籠が立っているが、その奥は平安中期、高僧・浄蔵法師が水源を開いたという湧水で、近くに十王堂があったことから十王水と呼ばれるようになったという。

 旧中山道は醒井大橋を渡って左に曲がっていくのだが、ちょっと寄り道。 右の居醒橋を渡って数分、洋風モダンな建物は、今は醒井宿資料館となっている国登録有形文化財の「旧醒井郵便局」(右)。

 醒井大橋まで戻り数分歩くと三水の三つ目となる「西行水」(左下)がある。
 西行水の上に小さな五輪塔があるが、これを泡子塚と呼んでおり西行にまつわる伝説が。

 西行法師が東遊の折、茶店で休憩したところ茶屋の娘が一目惚れ。西行が去った後、娘が西行が飲み残したお茶の泡を飲むと不思議にも懐妊し男子を出産。西行法師が再び茶店に立ち寄りこの話を聞き、「もし我が子なら、元の泡に返れ」と念じると、子はたちまち元の泡となったのだった。
 西行は「実に我が子なり」と、この所に五輪塔を建てたという。後にこれを「泡子塚」と呼ぶなり。
 
 西行水を後にして道なりに10分、県道を横断した先に「六軒茶屋跡」(右)の案内板が建てられている。その後ろに茅葺がトタン葺きに変わってしまったが、当時の名残りの一軒が。

 ほどなく国道21号に合流。この国道が怖い!歩道が無いのに、大型トラックが列をなして通り過ぎていくのだ。

 数分歩くと丹生川橋を渡るのだが、この辺りは歴史上最大規模の内乱である「壬申の乱」(672年)の戦場となった場所。大海皇子の本隊軍と大友皇子の本隊軍が激突した「横河の古戦場跡」(左)でる。

 旧中山道は丹生川橋を渡り数分したら右の細い道に入り、河南集落の中を通っていく。

 かれこれ20分ほど歩き、国道21号を横断して数分、路地を入ると田んぼの彼方に八幡神社が見えるが、ここに元享3年(1323)建立という700年近く前の「石造九重層塔」(右)がある。

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