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第46宿大井宿おおいじゅく
   (後半)
 大井宿を出た中山道は次の大湫(おおくて)宿まで3里半(約14km)
十三峠と呼ばれる上り下りの繰り返しが続く山中の道である。
 ちょっと距離が長いが、往時のままの草道や石畳道が残っており、
景色も良いので楽しみながら歩けるコースである。

平成21年12月2日   「ちんちん石」とは珍なる石だが。

 前回、雨でリタイアした「西行塚碑」(左)の前から再出発。今日は快晴、気持ちよく峠越えが出来そうである。

 この先の中央線踏み切りを渡り、すぐに左へ曲がって中央高速の下を通って旧中山道へ。

 坂道を上っていくと「是より西 十三峠」(右)と刻まれた石碑が建てられている。ここからが、中山道 美濃路の中の難所中の難所「十三峠」(13ケ所の峠があるという意味)

 十三峠へ入ってすぐの右側、細い道を上っていくと「伝西行塚」(左)がある。塚の上の五輪塔は室町時代末期のものだそうだが、歌聖西行法師の供養のために造られたと伝えられている。

 西行がこの地で入寂したという伝説が古来からあるが、大井宿の長国寺に伝わる「長国寺縁起」に、終焉の様子が細かく記されているそうだ。

 塚から西側の道を下っていくと「芭蕉句碑」(右)が。
 西行の わらじもかかれ 松の露  芭蕉

 西行塚から街道に戻ったら十三峠最初の坂である西行坂を上っていくのだが、これが結構きつい。

 上りきって見通しが良くなったところに「槙ケ根一里塚」(左)が左右とも当時のまま現存している。

 一里塚の先は「尾根道」(右)で見通しがよく、柔らかな初冬の陽を浴びて歩くのはなんとも気持ちが良い。左側の山肌は桜百選の園と名付けられたハイキングコース。春は素晴らしい桜が見られるだろう。

やがて車道に合流すると茶屋槙本屋跡・茶屋水戸屋跡などの標柱があるが、街道はすぐに車道から離れ右の砂利道に入っていく。

 砂利道に入って100mほど歩くと「槙ケ根立場跡」(左)の広場であるが、先ほどの茶屋跡を含めて9戸の茶屋があり、また伊勢神宮遥拝所もあったことから、大変賑わっていた場所である。

 明治に入り鉄道が開通すると旅人は全く通らなくなり、今は街道歩きのマニアとハイカーだけが通る山中の道となってしまった。

 立場跡の外れに「追分道標」(右)が建てられているが、ここは伊勢・名古屋へ行く下街道との追分。上街道(中山道)を通るより4里ほど近かったことから、たいへん賑わった街道であったそうだ。
 

 雑木林の中の緩やかな坂道を下っていくと、右側の高台に「姫御殿跡」(左)と刻まれた石碑が立っている。

 ここは祝峠といい、展望がよいので旅人にとって格好の休憩地であったそうだ。お姫様が通行するときは、ここに仮御殿を建てて休憩されることが多かったのだとか。

 姫御殿のちょっと先に「首なし地蔵」(右)が鎮座している。
 昔、中間(ちゅうげん)二人がここで一眠りしたのだが、一人が目覚めてみるともう一人が首を切られ死んでいるではないか。回りを見回したが犯人が見当たらない。怒った中間は「黙って見ているとはなにごとだ」と刀で地蔵の首を切り落としてしまったんだとさ。

 首無し地蔵の先からはかなり急な下り坂。ここを「乱れ坂」(左)と呼んでいる。 大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女性の裾も乱れたので「乱れ坂」。

 乱れ坂を下ると小さな集落に入るが、ここに「石州さま」(右)と記された標柱が建てられている。「石州さま」?なんだろうか。

 街道は お継原坂 を上って 竹折村高札場跡前 を通り、その先のY字路で左側の草道に入り、さらに かくれ神坂 を下って、次の 平六坂 を上り 平六茶屋跡、びやいと茶屋跡前 を通っていく。
  

 ほどなく「紅坂一里塚」(左)が見えてくる。この一里塚も、左右ともほぼ当時のまま現存しているという貴重な一里塚。

 一里塚の先から石畳道を下っていくと、途中に「ぼたん岩」(右)なる変わった岩が露出している。上から見ると、石片が丸く層を作っており、さながら大きな牡丹のよう。

 ここから でん坂、紅坂 を下って数軒の小さな集落に入り、うばが茶屋跡、馬茶屋跡 前を通って、黒すくも坂 を下っていく。

 黒すくも坂を下った先に小さな小さなな神社があるが、ここは「佐倉宗五郎大明神」(左)。傍らに 佐倉宗五郎碑 が。 佐倉宗五郎といえば下総国(現千葉県)の人。何故ここに。

 元禄年間、岩村藩で農民騒動が起こりそうになり竹折村の庄屋田中氏が将軍に直訴。農民達は救われたが田中氏は打ち首に。佐倉宗五郎事件に似ていることから農民たちが佐倉宗五郎の名で祀ったのではないかと。

 道路反対側、三社灯籠奥の神社に「芭蕉句碑」(右)がある。
  山路来て 何やらゆかし 寿美連草  はせを

 街道に戻り よごれ茶屋跡 の前を通って藤川を渡り県道に出ると、道路向こう側に見えるのは「藤村(ふじむら)高札場跡」(左)。

 高札場があったということは、この辺りに集落があったということだが、ここは「深萱(ふかがや)立場」(右)があった場所。道路際に説明板が建てられている。立場本陣を含めて10余戸の人家があったそうだ。

 その先で右に入ると中山道説明板がありベンチが置かれている。街道は集落の前を通って再び山の中へ。

 右へ曲がって3〜4分、西坂を上っていくと「ちんちん石」(左)と記された標柱が。標柱脇を入った奥の墓石の前にその石がある。

 不埒なことを想像しては駄目ですよ。 小石で叩くとチンチンというかカンカンというか、そんな音がするので「ちんちん石」。松井田宿の先に「茶釜石」があったが、同じような音がする。

 暫く歩くと柿の木が1本。葉の落ちた枝に何百という柿の実が付いている。あまりに見事なので思わず1枚。

 中山道はこの先も上ったり下ったりの連続であるため、何ヶ所かに茶屋があったようだ。

 ちんちん石の先から みつじ坂 を上り、三城峠を越えて 茶屋坂を下ると県道に合流。ここから瑞浪(みずなみ)市である。 瑞浪市に入ると瑞浪側を向いて「中山道碑」(左)が建てられている。

 中山道碑の先から坂を上り、大久後の向茶屋跡の前を通って新道坂 との分かれ道を左側の旧道に入り、観音坂 を上ると東屋があるのでちょっと休憩を。

 さらに先へ歩き、灰くべ餅の出茶屋跡前 を通って、大久後の観音堂前 から 権現坂 鞍骨坂 を上り、刈安神社前を通って 炭焼立場跡を通り過ぎ、吾郎坂、樫ノ木坂を上っていく。

 樫ノ木坂の途中に「権現山一里塚」(左)が、左右両塚とも現存している。この先しばらくは両側がゴルフ場。時折り人の声が聞こえる中山道を歩くことに。

 さらに上り坂が続くが、この辺りの坂を 巡礼水の坂 と呼んでおり、ほどなく「巡礼水」(右)にたどり着く。

 説明板によると、「その昔、旅の母娘の巡礼がここで病気になってしまったのだが、念仏を唱えると目の前の岩から水が湧き出し、命が助かった」 のだとか。

 巡礼水の先から びあいと坂 を下ると、ちょっとした広場に出るが、ここは「阿波屋の茶屋跡」(左)で石碑が建てられている。


 広場端の石窟に祀られているのは「十三峠の三十三観音」(右)。天保11年(1840)、大湫宿の馬持ち連中と近隣の村々からの寄進で建立されたのだそうだ。

 もう少し下ると、街道際に「尻冷やし地蔵」(左)が鎮座している。

 この場所は旅人にとっては貴重な清水の湧き出る場所。この清水に感謝して建立されたのだそうだが、清水で尻を冷やしているように見えるので、こんな愛称で呼ばれるようになったのだとか。


 この先で県道を横断して しゃれこ坂(八丁坂) を上り、少し下ったあと 山の神坂 を上っていく。上りきったあたりの開けた場所に、比較的新しい「童子ケ根」(右)と刻まれた石碑が据えられている。

 まもなく 寺坂 と呼ばれる急坂を下っていくが、途中に「寺坂の石仏群」(左)が見られる。

 そのすぐ先で長かった十三峠も終わりとなるが、京都から来た旅人にとっては十三峠の入り口。 「是より東 十三峠」(右)と刻まれた石碑が建てられている。

 上り下りの連続であったが、十三峠の説明板によると、昔の人達は十三峠におまけが七ツと呼んでいたそうだ。

 



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