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第45宿中津川宿なかつがわじゅく
                     
(前半)
 中津川宿は中山道以前の東山道時代から周辺物資の集散地として大変賑わっていた宿場で、特に商家の多かった新町界隈は今でも賑やかな商店街となっている。
 また枡形の先の横町には江戸時代に建てられた家が軒を並べており、往時の面影がよく残っている。

平成21年11月10日    脇本陣の『上段の間』を見ることができます。

 落合宿を出てかれこれ1時間、急な坂道を上ったり下りたりを繰り返し、国道下の中山道地下道を通って住宅街の中の道へ。

 地下道を抜けた旧中山道は住宅街の中を通っていく。まもなく山茶花の大木が見えるが、そこは「尾州白木改番所跡」(左)。

 木曽桧の領外搬出を厳しく取り締まっていた尾州は、天明2年(1782)から明治4年(1871)まで、ここに番所を設けていたのである。

 数分歩いた先の旭ケ丘公園「石仏三井寺観音」(右)が見られる。ごく普通の如意輪観音であるが、歯観音として人気があるそうだ。「虫歯が痛いよー」と言っているようなお姿が人気の理由だろうか。

 旭ケ丘公園前の坂を下ると、道路際に俗称「すみれ塚」と呼ばれる「芭蕉句碑」(左)が据えられている。
 山路来て 何や羅遊かし(ゆかし) 寿みれ草  はせを

 旧中山道は句碑の前から石畳道を下り、歩道橋を渡ってさらに坂道を下っていく。(歩道橋を下りたら階段を下ると近道)

 この辺りの坂を「茶屋坂」というが、その坂を下ったところに「高札場」(右)が復元されている。当時はもう少し北寄りにあったそうだ。傍らには「常夜灯」や「二十三夜塔」なども集められている。

 高札場の前から中津川宿の淀川町に入り、数分歩いて駅前通りの交差点を横断すると、その先は東新町

 東新町の入り口に栗きんとんが名物の「すや」(左)という和菓子店がある。創業は元禄年間だが、当初はその名の通り酢の店であったそうだ。いつの頃からか和菓子店となっていた。

 

 贋作が非常に多いという日本画の巨匠前田青邨が生まれたのは旧中津川村。すや のちょっと先、愛知銀行駐車場前に「前田青邨画伯誕生之地碑」(右)が据えられている。

 和菓子店すや から数分歩いた先の路地を左に入った奥にあるのは「桂小五郎隠れ家跡」(左)の「料亭やけ山跡」。

 尊皇攘夷を唱える桂小五郎はここで京に向かう藩主の毛利慶親を待ち、歴史に名を残す「中津川会談」が行われたのである。やがて長州藩は倒幕運動の中心勢力となっていったのであった。

 街道に戻ると、その先は西新町。 煉瓦門柱の奥に見える蔵は、東濃随一の豪商と云われた「間家大正の蔵」(右)である。土蔵にコンクリートが併用された珍しい蔵として市の有形文化財となっている。

 「大正の蔵」の対面に冠木門があり、奥にはなまこ壁の土蔵が見える。門を入ると江戸時代の街並みが。ベンチもある。ここは「往来庭」(左)と命名された休憩所であった。奥の蔵は、なんとトイレである。

 往来庭の数十メートル先に「四ツ目川」(右)が流れているが、この川がよく氾濫したそうだ。今は四番目の川筋なので「四ツ目」なのだとか。

 江戸時代には水面近くに巾9尺(約3m)の小さな板橋が架けられており、橋を渡ったら坂道を上って宿場に入っていったのだそうだ。

 今は常夜灯を備えた立派な四ツ目川橋を渡るとその先は本町の町並みである。

 今の本町通りは商店が少なく静かな街道に変わっているが、かつては本陣・脇本陣があり、旅籠が軒を並べる宿場の中心であった。

 1〜2分歩いた先の、今は駐車場となっている場所が「本陣跡」(左)で石碑が建てられている。建坪283坪というかなり大きな本陣であったようだ。

 本陣跡の対面は「中津川宿歴史資料館」(右)であるが、ここが脇本陣跡明治天皇中津川行在所跡碑 が建てられている。

 資料館の裏に「脇本陣上段の間」(右)が復元されており、入館者は申し込めば見学することができる。透かし彫りの施された欄間は当時のものだとか。
 
 脇本陣跡隣の卯建の上がった大きな建物は「曽我家住宅」(左)と呼ばれている庄屋屋敷である。

 庄屋・脇本陣も務めたことがあった肥田家が江戸中期に建てたもので、明治中頃に曽我家が入居したのだが、ほとんど手を加えることなく修復をしながら保存してきた建物だそうだ。
 

 1〜2分歩くと街道は突き当たって左に曲がる枡形道となる。曲がった先が横町通り

 横町に入ると、十八屋・天満屋・旧中川家・吉本屋など江戸時代後期に建てられた家が連なっている。

 その中で目を引いたのが見事な卯建の上がった「白木屋」(左)である。天保13年(1842)に建てられたというから170年ほど前。当時作られた4畳ほどの中二階の隠し部屋が今も残されているのだとか。

 横町で忘れてならない店が元治元年(1864)創業の「和菓子店 川上屋」(右)。少々お高いが、季節限定の栗きんとん と 栗蒸羊羹は絶品。

 横町通りを100mほど歩くと突き当たりとなり、街道はここから直角に右へ曲がっていく。曲がった先が下町で宿場町はここまで。

 横町から下町へ曲がったところに薦被り(こもかぶり)があるではないか(冒頭の写真)。ここは蔵元の「はざま酒造」(左)。薦被りに酒林、いつ見ても良い景色だねー。ついでに、卯建が4つも上がっていました。


 はざま酒造のちょっと先に常夜灯があるが、その脇から右へ下る細い道が「旧中山道」(右)なのだが、残念ながら行き止まり。

 常夜灯から100mほど先の中央橋から下を見ると、川ではなく遊歩道が見える。橋際から遊歩道に下りてみると、植え込み毎に宿場名が刻まれた石碑が設置されているという「ミニ中山道」(左)であった。

 さきほど行き止まりであった旧中山道は、標柱の辺りを横切っていたようだが(写真の細い黄線)、今はその痕跡が全く無い。標柱で知るのみである。

 中央橋のすぐ先が地名にもなった「中津川」(右)で、宿場もこここまでであった。



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