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第44宿落合宿おちあいじゅく
 美濃に入って最初の宿場が落合宿であるが、旅籠14軒という小さな
宿場であった。現在の町並みに往時の面影は少なが、文化12年
(1815)
の大火後に再建された井口家の本陣門は当時を知る貴重な遺構となって
いる。

平成21年9月15日    上り下りの激しい急坂が連続する街道でした。

 馬籠宿を出てかれこれ30分、着いた所は新茶屋集落。いよいよ美濃路に入るのだが、ここには「信濃/美濃 国境(くにざかい)碑」(左)が建てられている。

 美濃路はこの先の落合宿から今須宿まで16宿 30里21町余。交通不便なところが多いが、その分江戸時代が堪能できる街道でもある。

 国境碑の先から右側の道に入ると120mほど石畳道が続くがここは平成の石畳。その先から「落合の石畳」(右)と云われている十曲峠の下り道が840mほど続く。途中何ヶ所かは江戸時代の石畳だ。

 石畳道を出てほどなくすると「医王寺」(左)に到着する。山裾の静かな寺であるが、虫封じの薬師として三河の鳳来寺、御嵩の蟹薬師とともに日本三薬師として広く信仰を集めているそうだ。

 また、助けた狐に作り方を教えられたという「狐膏薬」は大変よく効くので、遠くからわざわざ買いに来る人が絶えなかったのだとか。

 境内左手の池際に「芭蕉句碑」(右)がひっそりと立っている。
 梅が香に のっと日の出る 山路かな  はせを

 医王寺の先から下り坂だが、この坂が「はんでない急坂」(左)。 上りでなくてよかったー、 それでも疲れた足には辛い。やっと緩やかな坂になり、下桁橋を渡ると落合宿が近い。

 
 集落の間を抜け県道を横切ろうとしてひょいと左を見ると、「落合宿の高札場跡」(右)と記された石碑が立っているではないか。危うく見逃すところであった。

 落合宿は横町、上町、中町、下町の4町からなっているが、県道を横切った先が横町で、ここは江戸側の「枡形道」(左)。

 枡形道を右に曲がると上町に入るが、曲がった所に「秋葉常夜灯」(右)が設置されている。この常夜灯は寛政4年(1792)に建立されたもの。町内には4基の常夜灯があったが、他の3基は移設されてしまった。

 4基も秋葉常夜灯があった落合宿であるが、文化年間(1804〜1817)には2度も大火に見舞われ、宿場を焼き尽くしている。

 ほどなく「脇本陣跡」(左)があり、石碑が建てられているが、今はごく普通の民家となっており、脇本陣の面影は見当たらない。

 その斜め先に「井口家本陣跡」(右)の立派な本陣門が見えるが、この門は大火後に加賀藩前田候から贈られたものと云われている。

 井口家には皇女和宮や明治天皇も御小休みした上段の間や小姓の間などが当時のまま保存されているということだが、今も住居として使われていることから一般公開はされていない。
 

 本陣跡の斜め左先に容量1000リットルという助け合い大釜なるものが鎮座しているが、街道はその先あたりから緩い下り坂になる。

 坂の途中で、街道にせり出している松は樹齢450年という善昌寺の「門冠(もんかぶり)の松」(左)。解説板に「道路拡張や寺の移転で痛めつけられたためか、あまり大きくならなかった」とある。可哀想な松だ。

 街道はここで左に曲がる京側の枡形道となっているが、その曲がり角に「中仙道道標」(右)が1本。刻まれている文字は「右至中仙道中津町一里」と。

ここから平成21年11月10日

 門冠松の前を左に曲がり数分歩くとかなり急な上り坂となる。上りきった所が国道19号の上。旧中山道はここで分断されるのでおがらん橋
を渡って向こう側へ。

 橋を渡った先に「おがらん4社」(左)が見える。木曽義仲の家来であった落合五郎兼行の館があった場所と云われ「「おがらん様」と呼ばれていたのだとか。

 ちなみに「おがらん」とは「伽藍」(大きな寺院)からきたと推定されているそうだ。ここには 「落合五郎兼行神社・愛宕神社・山之神神社・天神社」の4社が祀られている。

 おがらん4社の前を左に曲がり旧中山道に復帰すると、民家の軒先に干し柿が。「晩秋の風景」(右)ですねー、思わず1枚。

 旧街道はその先も分断されているので、道なりに歩き、国道19号の下を通って「与坂」(左)の入り口へ。

 うねうねと曲がった上り坂だが、この坂も結構きつい。

 与坂を上りきった先にどっしり構えた大きな1軒屋があるが、ここは「与坂立場茶屋跡」(右)。越前屋と呼ばれた茶屋の名物は三文餅で、旅人には大変な人気であったそうだ。

 立場茶屋の先からは足が勝手に出てしまうほどの急な下り坂。

 坂を下りきって三五沢橋を渡ると、「子野一里塚跡」(左)があり、石碑が建てられている。ここは僅かにこんもりした小山で一里塚の痕跡が残っている。

 三五沢橋までが落合宿で、その先は中津川宿となるが、もう少し話を続けよう。一里塚の先からまたまた槙坂と呼ぶ急な上り坂。坂を上りきったところに 石垣と 石の柵と 石塔の「覚明神社」(右)がある。

 覚明神社の先から今度は急な下り坂。上ったり下ったりの繰り返しにいささか疲れたが、坂を下った所に疲れを忘れさせてくれる「見事な紅葉」(左)があったので、ここでも思わず1枚。


  道なりに歩いていくと前方に 「地蔵堂のしだれ桜」(右) が見える。今は葉を落としているが、春に花が咲いたらさぞや見事ではないかと。 晩秋にここを通ってしまったのが残念至極。

 しだれ桜の下はかつて地蔵堂があったと云われる場所。ここには元禄7年(1694)の庚申塔や地蔵、観音像などが集められ、今は「小野の地蔵堂石仏群」(左)と呼ばれている。

 地蔵堂石仏群から10分ほど歩くと国道19号にぶつかり、またまた旧中山道は分断されてしまう。 ここには「中山道」と記されたプレートが嵌め込まれた「地下に潜る中山道」(右)がありました。

 地下道を通って国道19号の向こう側へ行くと、まもなく中津川宿である。



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