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第40宿野尻宿 のじりじゅく
 野尻宿は「七曲がり」と呼ばれる曲がりくねった町並みが特徴で、
わずかだが出梁り造りの民家も点在し、宿場時代の面影を少しだけ
感じることができる。
 振り返ると中央
アルプス(左)の姿が素晴らしい。


平成21年9月14日    秋ですねー あちらこちらで 秋桜や秋海棠、秋明菊が 満開でした。

 須原宿を出た後、木曽の清水寺と呼ばれる岩出観音を見学し、天長院のマリア地蔵を見たりして到着した所は大桑駅入り口。
 旧中山道はこの先でJR中央線を横切り、国道19号に合流する。合流したら左に曲がっていくのだが、ちょっと寄り道を。

 国道を大桑駅方向に少し戻り、工場跡地脇の坂を下っていくと現存の「大桑一里塚」(左)を見ることができる。この一里塚は古中山道沿いにあったもので、旧中山道からは少し離れている。

 傍らの一里塚碑によると、ここは鎌倉時代からあった街道で、桃山時代にはすでに一里ごとに土を盛った塚が存在していたようだ。

 「国道19号」(右)に戻り、「道の駅大桑」の前を通り過ぎて数分歩いたら右へ下っていく道が旧中山道である。

 国道から分かれた旧中山道はJR中央線を横切っているのだが、むやみに線路を横切る分けにはいかない。ちょっと先の「第11仲仙道踏切」(左)を渡って線路の向こう側へ。


 木曽川沿いには水力発電所が多いが、まもなく川の向こうに「大桑発電所」(右)が見える。この発電所は大正10年(1921)竣工というからざっと90年ほど前。水力発電所は長寿だなー。

 この先で第12仲仙道踏切 を渡り、坂を上って野尻宿へ入っていく。

 坂を上りきったところに東の枡形道があるのでここを左に。

 次の角の所が「高札場跡」(左)で説明板もあるのだが、残念ながら文字がかすれてほとんど読み取れない。隣に南無妙法蓮華経と刻まれた「題目碑」(左)が建てられている。

 この辺りから宿場街。暫く歩くと「本陣跡」(右)があり「明治天皇御小休所碑」(右)が建てられている。 その先右側のクリーニング店辺りに脇本陣があったということだが、今は確認できない。

 野尻宿の町並みは「七曲り」と言われたほど街道が右に左にと曲がっているが、これは外敵の侵入を防ぐ目的だったのだとか。その七曲がりの終わりにある家の屋号が「はずれ」(左)と言うそうだ、

 旧中山道は、その先の二反田橋を渡り、次の上在郷橋を渡ったらすぐに右の坂道を下っていく。

 道なりに進み、中央線のガード下を通って左に曲がり数分歩くと「妻神社」(右)の石塔が建てられている。山の神・川の神に安全を願った所、ということだが詳しいことは分からない。

 妻神社の先でT字路となるが、ここを左に曲がると、なんと民家の庭先どころか「縁側の前を通っていく旧中山道」(左)にはびっくり。道は民家に沿って右へ曲がっていく。

 素朴なというのか、風情あるというのか、そんな街道を歩いていると、突然「モーッ」という鳴声。

 「牛です」(右)。この牛が人懐こいのだ。恐る恐る手を出すと大きな舌を出して舐めようとするではないか。可愛いね〜

 実は、この先で摩訶不思議なことに遭遇。第12仲仙道踏切の次は第13かと思いきや「旧第3仲仙道踏切」だったのだ。
写真を撮り忘れたのが至極残念。

  秋ですねー 野尻宿は秋満開でした。  秋桜(コスモス)、秋海棠(シュウカイドウ)、秋明菊(シュウメイギク)と秋の付く花が多かったです。

 今度は正真正銘の「第13仲仙道踏切」(左)を渡っていくのだが、旧中山道は踏み切りの手前から左側の山に入っていったそうだ。この道を「しらなみ坂」と呼んでいたが、今は通ることができない。

 踏み切りを渡ったら線路とダム湖の間の道を下っていくのだが(京都に向かっているので上っていくのかな)、このダムを「読書ダム」(右)という。「どくしょダム」ではないですよ。 「よみかきダム」 というのです。

 街道は読書ダムの横から第14仲仙道踏切 を渡って、坂道を国道19号へ向かって上っていく。

国道に出たらすぐ先の「町境の橋」を渡り、国道を横断して坂道を上っていくと、かつて立場であった十二兼集落へと入っていく。

 集落先のY字路を右に下っていくと「熊野神社」(左)前に出るが、ここの社殿に「牛の絵馬」(左)が飾られている。

 熊野神社に牛の絵馬は珍しいが、十二兼には牛方が多く住んでいたので牛の絵馬となったのでは。

 旧中山道は神社横を通って国道19号とJR中央線を横断していくのだが、今は通れない。代わりの道が国道下に設けられた「トンネル」(右)。元々は川用のトンネルだったようだ。

 トンネルを抜けて旧中山道に復帰すると、その先は木曽川に沿って下っていく。暫く歩くと階段の上に可愛らしい家が建っているが、これはJR中央線の「十二兼駅舎」(左)。

 ここは無人駅なので気兼ねなく駅に入り、跨線橋を渡って向こう側の国道19号に出ようではないか。

 目的は「十二兼一里塚跡碑」(右)を見るためである。国道に出たら右に1〜2分歩くと「十二兼南」信号の傍に石碑が建てられている。かつての中山道はこの辺りを通っていたのだろう。

 旧中山道に戻り、もう少し歩くと「木曽川」(左)に架かる「柿其(かきぞれ)橋」の前に出る。橋上から眺めた景色が素晴らしい。南寝覚とも呼ばれているそうだが、寝覚の床のミニチュア版といった感じであろうか。

 その先に「中川原明治天皇御小休所跡」(右)が復元されている。明治13年(1880)の全国御巡幸時に小休止された場所で、御膳水碑も建てられている。

 コメント:「国道19号の工事に伴い移転を余儀なくされ、この地に復元した」と解説板に記されているので、正確にはこの場所ではない。

4〜5分歩くと国道19号に合流。 この先は国道をテクテクと。

 今はJR中央線や国道が通り、立派な歩道もある「羅天の桟付近」(左)であるが、江戸時代は木曽川に崖が迫る難所中の難所。木曽路名所図会に次のように記されている。
 「木曽路はみな山中なり 名にしおふ深山幽谷にて 岨(そば)津たひに行く崖路多し 就中(なかんづく)三留野より野尻までの間はなはだ危うき道なり」 と。

 羅天橋を渡り左に入る坂道を上ると「蛇抜けの地蔵」(右)が鎮座している。天保15年(1844)の蛇抜けで犠牲になった99名の人々を弔うために尾張藩が弘化2年(1845)に建立した地蔵なのだそうだ。
     コメント:蛇抜けとは、木曽谷の人々が恐れていた土石流のことである。

もう少し国道19号を歩き、金地屋の集落を過ぎたら国道と分かれ左の道(県道264号)に入ると、まもなく三留野宿である。



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