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第35宿薮原宿 やぶはらじゅく
 薮原宿は鳥居峠の麓の宿として、また高山へ向かう飛騨街道奈川道の
追分の宿として、さらにはお六櫛の生産地としても栄えた宿場町であった。

  しかし、明治期の大火で町並みの大半を焼失し、近年は建物の改修が進んだこと などから往時の面影は一部に残っているだけである。

平成21年4月9日   国道のトンネル内を歩く という思わぬ体験をしました。

 熊とも出会わず無事に鳥居峠を下山。民家のある場所まできたらほっとしたが、薮原宿まではまだ1.5kmほどある。

 集落の間の緩い坂道を下ってくる途中で、下諏訪地方に多い雀踊りの原型とも言われる「棟飾り」(左)を発見。神社の屋根の鰹木に似ているが、このようなスッキリしたデザインもよいもだ。


 もう少し下ると「原町清水」(右)と言われる水場があり、傍らに水神様が祀られている。峠を越える旅人の喉を潤してきた清水だが、今でも飲み水として使用されているのだそうだ。

 さらに坂道を下り中央線手前のT字路で右の坂道を上がると「尾州御鷹匠役所跡」(左)があり、標柱が建てられている。地元の人は「おたかじょ」と呼んでいたそうだが、明治4年(1871)に廃止。

 元に戻り、坂道を30〜40m下ると「飛騨街道追分」(右)と記された標柱が建てられているが、ここは野麦峠を越えて高山までいく飛騨街道奈川道の入り口。今も旧奈川道が少しだけ残っている。

 旧中山道はこの先で右に曲がっていくのだが、今はJR中央線で分断され歩くことはできない。 

線路に沿って坂を下り、下りきったところで右に曲がりガード下の道を行くと旧中山道に戻れるが、ちょっと寄り道を。

 右に曲がらず真っ直ぐ坂道を1〜2分上ると朱鮮やかな鳥居があり、その奥の階段上が「薮原神社本殿」(左)。

 天武帝九年(680)の創始というから1300年以上の歴史を持つ神社であるが、文政10年(1827)に建てられた本殿は華麗な彫刻が施され、見る者を圧倒する。

 本殿へ行くまでの参道にさりげなく立つ石碑は「芭蕉句碑」(右)。
   杜かげに われらもきくや 郭公(ほととぎす)   はせを
 コメント:句碑には「はせを」と刻まれているが、芭蕉句集からはこの句が見つかりません。

ガード下の道を通ってT字路に突き当たったらそこが旧中山道で、この先は左に曲がっていくのだが、ちょっと寄り道を。

 右に曲がって100mほど歩くと「薮原宿本陣跡」(左)と記された標柱が建てられている。間口14間半(約26m)、奥行き21間(39m)というからかなりの大きさ。皇女和宮も鳥居峠を越える前に宿泊している。


 T字路まで戻ると角のところに、慶長13年(1698)創業という「旅籠こめや」(右)が今も旅館として営業を続けている。ガラス戸が嵌められているが、建物は明治の大火後に須原宿から移築したもの。

 旅籠こめや対面の造り酒屋は 「湯川酒造」(左)。なんと慶安3年(1650)の創業というから360年も続く老舗。明治期に入るとアララギ派の歌人が湯川酒造に集って酒を酌み交わしたこともあったのだとか。


 さらに湯川酒造の対面、斜め先の建物は「元旅籠日野屋」(右)。日野屋も明治の大火後に建てられたのであるが、古民家の趣たっぷり

 湯川酒造や日野屋がある丁字路から先はごく普通の商店街であるが、ちょっと歩くと「防火高塀跡」(左)を見ることができる。

 元禄8年(1695)、宿場のほとんどを焼失する大火があったが、その後、各戸が1間につき1尺づつ提供しあって広小路を作り、さらに石垣と土塀を築いて延焼対策としたのだそうだ。

 その先数分歩くと薮原宿の名産品「お六櫛」を扱う「お六櫛問屋篠原商店」(右)がある。かつては全国各地へ年間100万枚も出荷していたお六櫛だが、今はこれを手作りする後継者不足が深刻なのだとか。

 まもなく都会では見られなくなった朱色鮮やかな郵便ポストがあるが、その隣に「薮原宿高札場跡」(左)の標柱が建てられている。このあたりが宿場の終わりだろうか。

 旧中山道はその先を右に下っていき、お墓の前を通って先ほど分かれた道に合流する。

 3〜4分歩くと蒸気機関車D51が展示されているが、その前に自然石の「一里塚跡碑」(右)が据えられている。ここは江戸から66里目の「薮原一里塚」があった場所。

 旧中山道は一里塚の先で「県道を横切って木曽川沿いに進み」(左)JR中央線を横切って国道19号に合流するのだが、今は線路で分断されその先へ進むことはできない。

 ここは県道を左に曲り、中央線のガード下を通って国道19号へ。

 山と山の間を「木曽川と国道19号(旧中山道)」(右)、さらにJR中央線が通るという山間の大動脈を歩くわけだが、しっかりした歩道があるので大いに助かる。

 まもなく国道19号の旧道が現れるので左側に渡り旧道へ。

 旧道に入って2〜3分、「国道19号の巨大壁画」(左)が木曽川の向こうに見える。鳥居峠を行く旅人と馬子の壁画だが、国土交通省は予算が余ったのでこんな巨大な壁画を作ってしまったのだろうか。

 再び国道19号に合流。旧中山道はその先の吉田洞門の上を通っていたのだが、今は消滅しているので「吉田洞門の歩道」(右)を歩くことに。下に木曽川が流れており快適に歩くことができる。

しばらく歩くとコンコンとノミを打つ音が。民家の庭先でお爺さんがなにやら木彫りをしているようだ。ちょっとお邪魔して見せてもらうことに。

 庭先はもちろんのこと、軒下、家の中、あらゆる場所に「フクロウなどの木彫」(左)が展示してある。「素人細工だよ」と謙遜していたが、どうしてどうして。楽しいものを見せてもらいました。

 偶然通りかかった方が、「中山道かい  そこに旧道があるよ」と教えてくれた道が「旧中山道草道」(右)。

 ちょっと小さいが手作りの案内板が設置してある。嬉しいじゃないですか。

 旧中山道草道の先は木曽川の手前で国道19号に合流し橋を渡ってすぐに左へ曲がっていく。

 木曽川を渡ってきた旧中山道は国道19号を横断して国道の旧道から山に分け入り、巴渕の脇へ出るのだが、今は消滅に近い状態。

 ここは国道19号の「山吹トンネル」(右)を歩くのが無難な選択か。 トンネルの中は騒音が凄い。特にトラックが通り過ぎるときは物凄い音。  思わぬ体験をしたトンネル歩きでした。

 「山吹トンネル出口」(右)の先からは木曽義仲ゆかりの地、旧日義村(現木曽町)。その中ほどの宿場は「宮ノ越宿」である。



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