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 中山道鳥居峠  とりいとうげ
 奈良井宿から薮原宿へ向かう中山道は標高1197mの鳥居峠を越えて
いかなければならない。古くは「県坂峯
(あがたさかみね)」と呼ばれていたが、
戦国期に木曽義元が御嶽山遥拝所を設け鳥居を奉納したことから「鳥居峠」と呼ばれるようになったとされる。

平成21年4月9日   はるか彼方の御嶽山がきれいに見えました。(左上写真)

 江戸時代の旅人は「鎮(しずめ)神社」(左)に道中の安全祈願をしたのち鳥居峠を登っていったそうだ。ならば自分もここで安全祈願を。朝のすがすがしい空気に拍手(かしわで)の音がよく響く。


 安全祈願をしたので、無事に鳥居峠を越えることができるだろう。神社から100mほど歩き「右側階段」(右)から旧中山道へ。

 階段を上がった先はわずかな区間であるが「杉並木に草道」(右)。まさに「江戸時代の中山道」。すぐに先ほど分かれた車道に合流しヘアピンカーブを上って行く。


 ヘアピンカーブの途中からちょっとだけ林の中に入ると、昨日歩いた「奈良井宿の町並み」(右)が眼下に見渡せる。碓氷峠でも、坂本宿を見渡せる「覘き」という場所があったが、似たようなロケーションである。

 ヘアピンカーブを曲がって100mほど歩くと旧中山道の「石畳道」(左)が出現。車道から右に曲がって石畳道に入ると、いよいよ本格的な中山道鳥居峠越えだ。


 しばらくは緩くもなく急登でもない石畳道を上り、その先のジグザグ道を登っていくと展望台の案内があるのでちょっとわき道に入って休憩を。樹間から見える「中央アルプス」(右)がキラキラ光っている。

街道に戻り比較的平坦な道を進むと沢の向こうに小屋が見えるが、ここは「中の茶屋跡」(左下)。

 小屋の中に菊池寛の「恩讐の彼方に」のことが記されているが、小説を読むと次のようなくだりが。

 (小説の主人公 市九郎=了海)は、いつとなしに信濃から木曽へかかる鳥居峠に土着した。そして昼は茶店を開き、夜は強盗を働いた。そして舞台は美濃に移り、さらに、彼方の「青の洞門」へ。

 茶屋手前の沢を「葬沢(ほおむりさわ)(右)と呼んでいるが、ここは天正10年(1582)、木曽義昌が武田勝頼の二千余兵を迎撃した古戦場跡。このとき、武田方500余名の戦死者で沢が埋もれたのだとか。

 中の茶屋跡の先も草道や沢に架かる木橋を渡り、つづら折りの道を登っていくのだが、ちょっと気になることが。動物の糞があちこちに見られるのである。犬の散歩などあるわけが無い。とすると、イノシシ? 鹿? それとも熊? 熊除け鈴をガンガン鳴らしながらの登坂でした。

 石畳道が終わったところに道標があり、ここで旧国道と合流。100mほど先へ行くと「中利茶屋跡」(左)がある。今は立派な休憩所となっているが、かつては中村利兵衛茶屋があった場所。

 ここの標高が1197m、鎮神社の辺りが約900mということなので300mほどを登ってきたことになるが、小一時間の登山であった。

 旧国道はこの先で下っていくが、旧中山道は休憩所横の「草道」(右)をもう少し上っていく。

 草道を上って数分、御岳講中が建てた「明覺霊神碑」(左)が崖の途中にあるが、その説明板に「御嶽遥拝所まで30m」とある。それらしき場所を懸命に探したのだがついに見つからず。

 30mほど先にあったのは「明治天皇駐蹕所跡碑」(右)。明治11年の北陸東海御巡幸の際の休憩所である。

 ここはちょっとした広場になっているが、ここから御嶽山がよく見えるので説明板の「御嶽遥拝所」とはこの場所のようだ。本当の遥拝所はさらに10分ほど歩いた先。

 旧中山道は、広場の先から藪の中に分け入る細い道であるが、その先はほとんど消滅状態。ここは安全を取って階段を下り旧国道に合流。合流したらすぐ左の「明治の道」(左)に入ると、旧中山道に戻れる。

 明治の道に入ると、恐れていたことがついに現実に。熊です熊。
「熊除けの鐘」(右)と大書されたカンバンと小型の鐘が。「熊も人が怖いので、鐘で知らせてあげよう」と書かれている。熊さん、鳴らすから聞いてね。

この先にも何箇所も「熊除けの鐘」がある。  ということは・・・・。

 数分歩くと「子産の栃」(左)なる大木がある。昔、この大木の穴に捨て子があったのだが、村人が育て幸福になったことから、この木の実を煎じて飲むと子宝に恵まれる、と言い伝えられてきたのだとか。

 ちょっと先に「天然記念物 鳥居峠のトチノキ群」(右)と刻まれた石碑が建てられている。回りを見ると確かにトチの大木が多い。ということは、ここは熊の食料庫。熊が多いはずだ。

 熊さん、さきほどの熊除けの鐘、聞こえたかい。熊除けの鈴も鳴らしているのでよく聞いておくれ。

 数分歩くと道が二手に分かれる。中山道はまっすぐだが、右に曲がると「御嶽神社鳥居」(左)があり、その奥に御嶽神社が鎮座している。ここは御嶽山遥拝所

 木曽側から上ってくると、最初に御嶽山が見える場所がここであることから、木曽義元が戦勝祈願の鳥居を建て御嶽神社を祭ったのである。以来どれほど多くの旅人が御嶽山に手を合わせたことだろうか。

 本日は快晴。神社裏に回ると山並みの向こうに雪をかぶった「御嶽山」(右)がちょこっと見える。

 街道に戻り坂を下ると、すぐに道は3本に分かれる。中山道はさらに左の道を下るのだが、真ん中の道の先は丸山公園。公園には多数の石塔が立っているが、その中に「芭蕉句碑」(左)がある。

 木曽の栃 うき世の人の 土産かな


 公園を奥まで進むと街道に戻れる。この先は「つづら折りの下り坂」(右)を一気に下っていく。

 しばらく下ると旧国道を横切るが、その先から再び「石畳道」(左)。


 石畳道が終わり数分歩くと先ほど横切った「旧国道に合流」(右)する。 ここにも 「散策中に熊などの動物を見かけることがあります。・・・」
と記されたカンバンが。 おー怖。

 しかし、ここまで下ると民家も近いのでもう安心。
まもなく薮原宿である。


 
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