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第32宿本山宿 もとやまじゅく
 本山宿は中山道のルート変更に伴って慶長19年(1614)に設立された
宿場で、上町、中町、下町の3町から成り立っている。

 国道19号の
バイパス化により静かになった町並みには、出梁造りの
古民家が並び、ゆったりとした時間が流れる旧宿場町であった。


平成21年3月19日   ついに「木曽路」の文字が見えてきました。

 国道を南下し、「本山」の表示が見えたら右の道に入ると、「中山道本山宿標柱」(左)があり、その先に秋葉神社と石塔が並んでいる。

 まもなく畑の奥に 本山そばの里 なる看板が見えるが、ここは地元のお母さん方が経営するそば店。 ソバ打ちはもちろん、薬味のねぎや大根などもお母さん達の手作りなのだとか。

 「そば切り発祥の里」(右)と記された看板に芭蕉門下森川許六の文が記されている。「そば切りといっぱ もと信濃国本山より出でて あまねく国々にもてはやされける

 国道から外れた本山宿は時間が止まってしまったかのような静かな静かな町だが、比較的広い街道の両側に「格子戸の古民家」(左)が点在し、風情ある町並みが続いている。

 宿場の中ほどに出梁(だしばり)造りの家が3件連なっているが、元旅籠だった家に掲げられた屋号は「川口屋」(右)。

 そのほかにも米屋、清水屋などの屋号が下がった趣きある家が何軒もあリ、多くの旅人が行き交った江戸時代がちょっとだけ想像できる。

 川口屋の対面にある路地を入ると明治天皇本山行在所跡と刻まれた石碑が建てられているが、ここは「本陣跡」(左)。皇女和宮は本山宿に一泊されているのでここに宿泊されたのだろう。

 このお宅の屋根上にも「雀おどり」が。

 街道に戻り数軒先まで歩くと広場と公民館があるが、ここは「脇本陣跡」(右)。表示は無いが、代わりに据えられているのは中山道碑と本山宿碑

 宿場の終わりまで来ると左の崖下に「秋葉常夜灯」(左)と「秋葉大権現碑」(左)が建てられている。秋葉大権現と言えば遠州地方を中心に広く信仰されている「火防の神様」。目にするのは久しぶりだ。


 そのまま真っ直ぐ坂を下り国道に合流。この先しばらくは「国道19号とJR中央西線」(右)の間を歩くことに。

 しばらく国道と中央線の間を歩いた後、旧中山道は右の細い道に入り第2中仙道踏切を渡っていく。

 踏み切りを渡った先の工場裏に「日出塩の青木跡」(左)なる場所がある。貴人の塚の上に大桧があったのだが、これがなかなかの銘木。
「洗馬の肱松日出塩の青木 お江戸屏風の絵にござる」とはこの桧。

 数分歩くと国道から分かれた道に合流するが、中山道はその先の細い道を「右へ下っていく」(右)
 

 すぐに先ほど分かれた道に戻るが、戻った対面に「一里塚跡」(左)の標柱が建てられている。ここは江戸から六十一里(約244km)なので「六十一里塚」とも呼ばれたそうだ。


 日出塩は本山宿と次の贄川宿の間の「立て場」であったが今は往時の面影はほとんど感じられず、わずかに「路傍の石塔群」(右)が江戸時代の面影を残している。

中山道はこの先で再び国道19号に合流。奈良井川と国道の間の歩道を歩くのだが、トラックがうなりを上げて通り過ぎるのには参った。

 日出塩の集落を出て国道19号をかれこれ20分。「これより南 木曽路」(左)の道路標識。ついに信濃路の旅が終わり、この先からいよいよ木曽路の旅となる。

 標識から100mほど歩くと見落としそうな境橋があるが、ここは松本藩と尾張藩の国境。これからは尾張藩の領地を歩くことに。

 境橋の直ぐ先に、木曽路を歩く者にとっては絶対に見落とすことができない「是より南 木曽路」(右)と刻まれた石碑がある。この先の桜沢茶屋本陣百瀬家が昭和15年に建立したもの。

 次の贄川宿から先は「木曽11宿」と言われた木曽山中の宿場。島崎藤村の「夜明け前」に「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、・・・・・・」 夜明け前をもう一度読まねば。

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