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第27宿長久保宿 ながくぼじゅく
 長久保宿は、西に和田峠、東に笠取峠、北には北国街道に至る大門峠を控えていたことから最盛期には50軒近くの旅籠があり、大変賑わった宿場であった。
 竪町と横町が直角に交わるという変わった町並みの宿場である。

平成21年6月3日   中山道原道と言われている草道を歩くことができます。  

笠取峠の頂上を過ぎると、わずかの区間だが中山道原道の草道を歩くことができるのでご案内する。

@ 峠の頂上前後は旧中山道が
消滅状態なので「国道142号」
歩くことに。
A 国道を100mほど下ると、左側に「中山道原道」の表示がある。 B 表示に従って中に入ると、
さっそく「中山道原道」の草道が。
C 草道を100mほど歩くと国道に
出るが、国道を横断した先に
再び「入り口」がある。

D 国道を横断して表示に従い
階段を下りるとしっかりした
踏み跡の原道を歩くことができる。
E 数分歩くと「旧国道に合流」
次の表示で林の中に。
F 再び中山道原道の草道です。 G 原道は途中で消滅。
案内表示に従って旧国道に出ると
「笠取峠原道標柱」が立っている。

 旧国道からさらに国道142号に入り数分歩くと国道は左に曲がっていくが、「旧中山道はここで国道から分かれて」(左)再び旧国道へと入っていく。

 ジグザグに坂道を下り、右下に「松尾神社」(右)の社殿が見えたら脇の細い道をおりて神社に向かう道が旧中山道である。

 松尾神社の本殿は万延元年(1860)に再建されたもので、総ケヤキの高床造り。欄間の竜が見事である。本殿が柵で守られているため上手に写真に撮ることができないのが残念。

 神社前の五十鈴川を渡り、鳥居の下を過ぎると真っ直ぐな緩い下り坂が彼方まで続いているが、ここは東西に延びる「長久保宿竪町(たてまち)(左)。宿場街の中心であった。

 竪町のバス停を通り過ぎて数分、「一福処濱屋」(右)の大きな建物が見えてくる。明治初期に建てられた総二階出梁造りの建物は旅籠として造られたのだが、急激な旅人の減少で開業には至らなかった。

 今は長久保宿を訪れる旅人の休み処、そして歴史・民族資料館として一般開放されている。

 一福処濱屋のちょっと先、右側が「本陣跡」(左)。中山道制定に伴い、真田氏配下の石合家が本陣を務めてきた。

 写真の門は江戸時代末の造営だが、門奥には上段之間・二之間などを含む江戸時代初期に建てられた御殿が現存している。石合家が生活の場としているため一般公開はされていない。

 本陣門の横は「高札場跡」(右)であるが、真新しい表示板が建てられている。

 本陣の対面に脇本陣があったのだが、今は「脇本陣跡」(左)と記された表示板が建てられているのみで説明板などは無い。


 その先右側の本うだつがある建物は江戸時代初期から昭和の初めまで造り酒屋であった「釜鳴屋・竹内家」(右)。この建物は享保16年(1731)以前の建築と言われ、長野県内最古の町屋である。

 釜鳴屋の斜め対面の建物は「問屋・小林家」(左)。宿場の草創期から問屋を勤めてきたのだとか。建物は明治3年(1870)の大火で焼失しその後再建されたものだが、2階の出格子が昔の面影を伝えている。

 旧中山道は小林家の少し先で直角に左へ曲がっていくが、曲がり角の右側の石標は「長久保宿道標」(右)。
 刻まれている文字は「中山道 長久保宿 左ぜんこうじ」。

 中山道は左に直角に曲がっていくのだが、その角が中山道を歩く旅人に人気の「旅館濱田屋」(左)。和田峠までは「民宿みや」と和田宿の「本亭」の3軒のみ。このどこかに泊まざるを得ない。


 濱田屋の先からは竪町に対して「横町」(右)と呼んでいる。

 笠取峠と和田峠に挟まれ、さらに大門峠への追分でもあったこの地は旅籠50軒近くまでに発展。竪町だけでは収まらず南北に伸びる横町へと旅籠が増えていったのであった。

 横町を4〜5分歩くと出梁造りの大きな建物が目に入る。紀行文などには「竹重家住宅」(左)と紹介されているが、江戸時代末に建てられた旅籠・辰野屋で、宿場全盛時代の贅を尽くした建物である。

 竹重家住宅の手前を左に入り坂道を上った先の長安寺に、江戸末期に建てられたという「経蔵」(右)がある。明治4年(1871)の火災で本堂などが焼失してしまったが、経蔵だけは難を逃れ現存。

 回転式の書庫に大般若経600巻が収められているのだとか。

 街道に戻り先へ行くと国道142号に合流。さらにその先で国道152号に合流するのだが、なんと歩道が無い。車道を歩いていると
大型トラックが道幅いっぱいに通り抜けていく。怖わー。

 無事に合流点を通り過ぎてもその先の国道も歩道が無い。トラックが来ないときを狙ってダッシュ。 4〜5分歩くと旧中山道は右側の細い道に下っていく。やれやれ安心。

 下り際に「四泊(よどまり)一里塚跡」(左)の説明版が建てられているのだが、国道に向いているとは不親切。これを読むのは街道歩きの旅人だけなんだがなー。

 数分歩いて国道を横断し、しばらく旧道を歩いて再び国道に戻ってくる。 途中に「見事な花菖蒲?」(右)が。 まさに琳派の世界ですな。

 国道に戻るとその先の大和橋を渡ってしまいたくなるが、旧中山道は手前を左に曲がり100mほど先の大門川に架かる落合橋を渡っていく。

 落合橋を渡って1〜2分、道端の草むらの中に「百万遍供養塔」(左)がひっそりと鎮座している。

 旧中山道はすぐ先の依田川に架かる同名の「落合橋」を渡って左に曲がっていくのだが、橋際に青色の「中山道道標」(右)が。 この先もポイント毎に立てられており、大いに助かる道標であった。

落合橋を渡り、青原の交差点で国道142号を横断すると「和田宿」が近いはずだが。

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