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第26宿芦田宿 あしだじゅく
 芦田宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠6軒ほどの小規模な宿場であったが、この先の笠取峠を越える旅人、越えてきた旅人の休憩で賑わっていた。笠取峠を越えてきた皇女和宮もここで昼食を取っている。

平成21年2月5日   笠取峠の松並木は、昔も今も旅人に大変人気があります。

 畑の中の一本道を通り、芦田川を渡ると、交差点角に「常夜灯」(左)が設置され、「これより中山道 芦田宿」(左)の道標も。


 次の交差点を渡ると、さっそく芦田宿の紀行文によく使われる「街灯」(右)が出迎えてくれる。行灯(あんどん)風のデザインがなんとなく郷愁を誘うのだろうか。

ここから平成21年6月3日

 数分歩いた先の門は土屋家の「本陣門」(左)。 中山道が整備される以前の慶長2年(1597)に宿場が成立しているが、この時から本陣を務め、以来270年、明治維新まで代々引き継がれている。

 門を入った左手の建物は寛政12年(1800)に建て替えられた「客殿」(右)で、皇女和宮もここで昼食を取られたそうだ。

 土屋家は客殿以外にも主屋、問屋場、荷倉、酒造蔵、長屋など多くの建物で構成されていたのだが、現在は客殿のみが当時のまま。

 芦田宿には脇本陣が2軒あったが、そのうちの1軒が本陣の向かい側にあった山浦家脇本陣。

 残念ながら昭和52年(1977)の火事で焼失してしまい、今は駐車場の奥に「芦田宿脇本陣」(左)と記された標柱があるのみである。


 その先の交差点向こう側に藤屋商店という蕎麦屋さんがあるが、ここがもう1軒の「脇本陣跡」(右)で、ここも山浦家が務めていた。

 脇本陣対面の商店は味噌・醤油の蔵元「酢屋茂(すやも)(左)。
江戸時代は街道筋で酢の醸造・販売を営んでいたが、明治の半ば頃から味噌・醤油の醸造を始めたのだとか。

 酢屋茂の対面 斜め先、旅籠行灯が置かれた「金丸土屋旅館」(右)は江戸時代から続く旅籠。木鼻彫刻の施された出梁造りの建物は200年前に建てられたものである。

 2階の庵看板に「土屋」とある。ところが、京都側から見ると「津ちや」と記さている。旅籠時代の面影が偲ばれる看板だ。
 

 土屋旅館の先あたりで宿場街は終わりだが、もう少し先の路地を左に入った奥の正明寺に枝振りの素晴らしい松の老木がある。その名を「紫雲の松」(左)。  云われは・・・・・残念ながら?。

 正明寺を出て街道に戻り数分歩いたところの土手の上に、なんとも素朴な夫婦道祖神を発見。風化が進みお顔は丸くなってしまっているが、なんとも言えない風情がある。

 街道はこの先で国道142号を横断し、国道254号を100mほど進むと旧中山道がしっかりと残されている。

 R142を横断したところに「常夜灯」(右)が設置されているが、これは比較的新しい。


その先R254との分岐点には菅笠を持った「母娘の道祖神」(右)があるが、これも比較的新しい。

 母娘道祖神の前を入っていくと「笠取峠のマツ並木」(左)と刻まれた石碑が建てられており、彼方にみえるのは松並木。

 小諸藩が、芦田宿と次の長久保宿の間の峠道15町(約1.6キロメートル)に数百本の赤松を植栽。国道から外れた事が幸いして、当時のままの風景が今も残っている。

 江戸時代の旅人には「笠取峠の松並木」(左)としてよく知られた存在で、冒頭の歌川広重(安藤広重)が描く「木祖海道六十九次の内 あし田」もまさにこの地。今も街道歩き人には魅力的な松並木だ。
 

 緩い坂道の松並木を上っていくと休憩所が設けられているが、その一角に「金明水」(左)なる水場が造られている。江戸時代、峠の茶屋小松屋にあった水場を再現したものだとか。

 この休憩所には「和宮東下の行列」や「笠取峠の茶屋風景」などのレリーフ、さらには「松並木説明板」や「歌碑」など見所が多い。

 松並木は休憩所の先で国道に分断されるが、そこに常夜灯と「従是東小諸領」と刻まれた「領界石」(右)建てられている。この石標は小諸藩が文化3年(1806)に建てた2基のうち1基を復刻したもの。
 

 国道を横断するとその先にも松並木が続くが、4〜5分歩くと「国道142号」(左)に合流。この先は峠まで国道を歩くことに。

 国道際の田んぼの畦道には「カキツバタ」(左)が満開。その綺麗さに思わず1枚。

 しばらく歩くと歩道と反対側の斜面に「笠取峠一里塚跡碑」(右)と説明板が建てられている。一里塚には赤松が植えられていたが、その大木(右側の赤松)が往時を偲ばせてくれる。

 やがて峠の頂上となるが、そこには「笠取峠碑」(左)が据えられている。当時の峠道は現在の国道より高い所にあり見晴らしがよかったそうだが、切通しとなった今の道は見通しが良いとは言えない。

 峠を越えると、その名も「峠の茶屋」が右手にあるが、江戸時代にも「峠の茶屋小松屋」があり大変賑わっていたようだ。

 茶屋の先に「中山道常夜灯」(右)が国道の両側に据えられており、「これより長久保宿」と記されている。坂道を下った先は27番目の宿場「長久保宿」である。


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