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間の宿茂田井宿 もだいじゅく
 茂田井宿は立場より規模の大きな町場であったが、幕府から認められた宿場ではなかったので、間の宿と呼ばれ旅籠などは存在しなかった。

 江戸時代に
タイムスリップしたような茂田井の町並みは、どこを切り取っても絵になる。

平成21年2月5日   しーんと静まりかえった白壁土蔵の道。江戸時代のような。

 望月宿を出て20数分、右側に濁池が見えたらその先の右に下る細い道が「茂田井宿入口」(左)。入口に「茂田井宿説明板」(左)が建てられているので要約を。

 ・茂田井宿は間の宿(あいのしゅく)と呼ばれていたこと。
 ・江戸時代の面影が残る民家や造り酒屋が軒を連ねていること。
 ・望月宿の加宿にしようと幕府に願い出たが却下されたこと。
 ・元治元年、小諸藩兵士400人の宿となっていること。
 ・皇女和宮が通過したこと。
                    などなど縷々記されている。

 坂を下り左に曲ると、突然、白壁の土蔵に白壁の母屋。
 しーんと静まりかえった街道に白壁の土蔵が続く町並みは、懐かしさいっぱいの景色である。

 町並みに入ると、白壁の先に酒林(さかばやし)が下がっているが、ここは明治元年(1868)創業の造り酒屋「武重本家酒造」(右)。

 30棟ある建物が国の登録有形文化財だというが、この中で造られる酒は伝統的な「生もと造り」。 生もと造り にこだわるのは社長の道楽(武重本家酒造のホームページより)なのだとか。

 酒と旅をこよなく愛した詩人若山牧水はこの地を度々訪れていたということだが、武重本家酒造の正面に「若山牧水歌碑」(左)が建てられている。

   よき酒と ひとのいふなる御園竹 けふ飲みつ よしと思えり       牧水

   
しらたまの 歯にしみとおる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり   牧水

   ひとの世に たのしみ多し然れども 酒なしになにのたのしみ       
牧水

 牧水さん、よっぽど酒が好きだったんですねー。

 この先にも 「白壁が続く」 (左)が、こちらは元禄2年(1689)創業の「大澤酒造」(右)。300年以上続く老舗の蔵元だが、なんと、創業時の酒が白磁古伊万里の徳利に入れられて保存されているのだとか。


 大澤酒造では、酒蔵の中に民族資料館と山林美術館を併設しているので、時間が許せばぜひ見学を。

 大澤家の塀のはずれに「高札場跡」(左)の表示があり、簡単な説明書きが添えられている。それによると、「大澤家は元文2年(1737)から明治4年(1872)まで茂田井村の名主を務めた家柄であった」とある。


 この先も蔵造りの家が並ぶが、5〜6分歩くと字路の左側に高さ2m以上の「馬頭観世音」(右)が立てられている。 旧中山道は真っ直ぐ行くのだが、ちょっと寄り道を。

 馬頭観世音碑の横を入って数分歩くと、左奥に「諏訪社」(左)が見える。端整な社殿は文化15年(1818)、宮大工・田中圓蔵が建てたもの。周囲の彫刻が見事。


 境内のはずれに「夫婦道祖神」(右)が並んでいるのだが、なんと大小7基もある。街道にぽつんと立っていると風情があるのだが、これだけ並ぶとちょっとなー。

 街道に戻り数分歩くと石原坂に差し掛かるのだが、ここが思わぬ急坂。これはキツイ坂だ、と思ったらすぐに頂上。

 左奥に一里塚の説明板が見えるが、ここは「茂田井一里塚跡」(左)。説明板に「天保年間(1830〜1843)の差出帳に、当時この両側に土塚があり、榎の根本が残っていた」とある。


 まもなく見晴らしの良い畑の中の一本道。彼方の町並みは「26番目の芦田宿」(右)である。


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