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第21宿小田井宿おだいじゅく
 小田井宿は旅籠5軒程度の小さな宿場であったが、隣の追分宿が歓楽地的な要素が強かったため、大名夫人や姫君などは小田井宿に泊まることが多かった。このため 『姫の宿』 とも呼ばれた宿場であった。

 江戸時代の建物が残る静かな町並みは、当時を思い起こさせてくれる。


平成21年2月4日   諏訪神社の藁(わら)馬、なんとも優しげな顔が印象的。

 追分宿から1時間ほど歩いてくると、「中山道は地下に潜ってしまう」(左下)。信濃鉄道の下を通った中山道は右側の交差点を渡って
行くのだが、この先も旧街道の雰囲気を楽しむことができる。

 5〜6分ほど歩くと人家もまばらとなり、時折り自動車が通るだけの「のどかな道が続く中山道」(右)。 途中には「野仏」(下)があったり、「屋敷塀」(下)があったりと、飽きない街道歩きである。

 しばらく歩きちょっと大きな交差点を横断すると「小田井宿入口」(左)の標柱が建てられている。足元には可愛らしい道祖神が祀られており、後ろには「筆塚」(左)も。

 小田井宿は小さな宿場であったが、標柱に記された説明では、当時の建物が現存しているという。期待が持てそう。

 数分先には「小田井宿案内板」(右)もある。 皇女和宮がご昼食休みをされたそうだが、 多くの姫君が休泊に利用したことから 『姫の宿』とも称された宿場であった。

 案内板の対面にある細い道を入った先の「諏訪神社・神馬舎」「藁(わら)馬」(左)が収められていた。2月8日に行われる道祖神祭りで子ども達が村内を引き回し無病息災を祈るのだそうだ。

 この藁馬はほぼ等身大であるが、ついつい鼻面を撫でてあげたくなるような見事な出来栄え。優しい顔をしている。

 街道に戻り、ちょっと先を左に入った奥の「宝珠院鐘楼」(右)は風情ある茅葺。 本堂の右側には樹齢300年のシダレ桜があり、左手には見事な赤松が見られる。ともに町指定の天然記念物。

 再び街道に戻ると立派な門構えが見えるが、ここは「小田井宿本陣跡」(左)。本陣を勤めた安川家は現在もここに住まわれている。宝暦6年(1756)に建てられたという客室は今も良好に保存されているそうだ。


 本陣隣の風格ある建物は江戸時代末期建築の「上の問屋跡」(右)。ここも安川家が務めていたのだが、こちらも当時の状態が大変良く保存されているという。

 残念ながら、両建物とも、内部の見学は出来ない。
 

 上の問屋跡の斜め先が「脇本陣跡」(左)であるが、こちらは標柱のみで建物などは無い。

 脇本陣跡から1〜2分先には尾台家が勤めた「下の問屋跡」(右)がある。屋敷塀の奥に見える建物は明和9年(1772)の大火以降に建てられたということだが、それでも230年以上前。切妻の白壁が美しい。

 この他にも出梁造りの古民家が何軒か見られる静かな町並みの小田井宿であった。

 宿場を出ると再び 「野仏」(左) などが見られるのどかな街道が続く。


 小田井宿を出て7〜8分、県道に合流した先に「皎月原(こうげつはら)(右)と呼ばれる場所があり、次のような伝説が。

 用明天皇元年(586)、皎月と言う官女が流されてきた。ある時、官女が乗り回していた白馬が空に駆け上がり、官女は「我は白山大権現だ」と云って岩山に消えたのだとか。その後、官女は時々小田井の原へ来て輪乗りをしていたのだが、その跡は草が生えなかったので、そこを「皎月の輪」と呼ぶようになったと伝えられている。



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