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第17宿坂本宿さかもとじゅく
 坂本宿は、既存の集落が発展してできた宿場ではなく、寛永2年
(1625)
、3代将軍家光の時代に、安中・高崎藩の領民を移住させ
計画的につくられた宿場町であった。
 碓氷峠を越えてきた旅人、厳しい取調べの碓氷関所を通り抜け、
これから碓氷峠を越えようとする旅人で大変賑わっていたという。

平成20年12月3日   中山道は、目の前の山を頂上まで登り、さらにその先の碓氷峠を頂上まで登るのです。

薬師坂を上ってきた旧中山道は再び国道18号と合流して、一直線の緩い坂を坂本宿へと向かって行く。

 まもなく上信越自動車道の高架が見えてくるが、そのちょっと手前に
原村の「水神宮」(左)が祀られている。

 坂本宿が出来る前の原村は40戸ほどの小さな集落であった。その集落の生活用水を守っていたのがこの水神様。


 水神宮の隣りのモミジが、見事に赤く染まっていたので(右)1枚。

 

 高速道路の高架下を通ると、ほどなく坂本宿の 「下木戸跡」(左) に到着する。当時は明け六ツに木戸を開け、暮れ六ツに閉めていました。

 ところが、夏と冬では開け閉めの時間が大きく違っていたのです。
何故って、時計が無いので、人の顔がやっと識別できる頃を六ツと判断していたのです。 このアバウト、いいですね。

 先ほどから見えていた正面の山は、これから登る「刎石(はねいし)山」(右)。碓氷峠はその向こうです。

坂本宿には本陣2軒、脇本陣が4軒あったが(坂本宿屋号一覧より)、これらを含め昔の屋号などがじつに丁寧に表示され、説明されている。

 下木戸跡から数分の左側、ちょっと奥まったところに「金井本陣跡」(左)がある。今は普通の民家だが、当時は建坪180坪という大きなもので、皇女和宮も一泊している。

 説明書きによると、和宮は七ツ時(午後4時)に金井本陣に到着し、翌日五ツ時(午前8時)に出立されたのだそうだ。強行軍ですねー。

 その数軒先の上州櫓造りの建物がある場所は「佐藤本陣跡」(右)で、上の本陣とも呼ばれていた。佐藤家は明治中頃に他所へ移住しており、写真の建物は明治34年に建てられた「旅籠小竹屋跡」。

 さらに数軒先に「みよがや脇本陣跡」(左)の看板が見える。道路を挟んで反対側斜め先の白壁と屋敷門は「永井脇本陣跡」(右)。


 永井脇本陣の先に「中山道坂本宿屋号一覧」が掲示されているが、それによると坂本宿には本陣2軒、脇本陣が4軒あったと記されているので、かなり大きな宿場であったようだ。

 今は山間の静かな集落である。


 坂本宿屋号一覧の隣りにある建物は「酒屋脇本陣跡」(左)で、現在は地区の公民館として使われている。


 さらに3軒先の格子戸の古民家は「旅籠・かぎや跡」(右)。宿場時代のおもかげを残す代表的な建物で、写真では分かり難いが、二階真ん中にある「かぎや」と彫られた看板が往時をしのばせる。

2〜3分歩くと 小林一茶の定宿「たかさごや」(左下)と記された説明板が建てられている。

 この時代、坂本宿では俳諧・短歌が隆盛で、ひとたび一茶が草履を脱ぐと近郷近在の同好者が集まって大変賑わったのだとか。


 そこからさらに数分、若山牧水が泊まったという「旅籠つたや跡」(右)がある。この頃(明治41年)になると宿場の機能が失われ、牧水はただ一軒残った旅籠に宿泊したのだった。

夜半、外に出た牧水がふと耳にした糸繰り唄に、思わず
 秋風や 碓氷のふもと 荒れ寂し 坂本の宿の 糸繰りの唄

 賑わった坂本宿も「上の木戸」(左)まで。 木戸を出て5〜6分歩くと、そこは中山道最大の難所、碓氷峠の登山口となる。

 登山口へ行く前に、まだ見どころがある。
 木戸のすぐ先、街道際に「芭蕉句碑」(右)が据えられている。

 ひとつ脱て うしろに負ひぬ 衣かへ   芭蕉翁

 この句碑は、刎石山にあったもので、中山道が明治年間に廃道となったため現在地に移したもの。

 句碑のすぐ先の赤い鳥居は「坂本八幡宮」(左)。

 鳥居横の御由緒略記に「創立年代不詳なれど・・・・景行天皇40年、日本武尊の勧請」とある。この年は日本武尊が草薙剣を受け取った年。うーん、2000年近くも前だ。

 鳥居の向こう側にいる「狛犬」(右)がなんとも愛嬌のある顔をしている。


 八幡宮を出て2〜3分歩くと国道は右へ曲がって行くが、「旧中山道は真っ直ぐ」(左)である。巨大な給水塔の脇を通って突き当たりを左に曲がり崖下を数十メートル歩く。

 コメント:給水塔の前に左に曲がる林道があるが、ここは中山道ではない。

 そのまま真っ直ぐ行くと薮の中に入ってしまうので、「中山道」の表示がある所で「右側の階段を上がっていく道」(右)が旧中山道である。

 階段を上ると、さきほど分かれた国道と交差するが、その手前に煉瓦の低い塀がある。  ひょっとすると。

 煉瓦塀の脇の階段を下りると、そこは旧信越線トンネル」(左)の出口でした。今は「遊歩道アプトの道」としてハイキングコースとなっているが、貴重な歴史遺産のトンネルである。

 国道を横断すると「碓氷峠登山口バス停」(右)がある。いよいよ中山道最大の難所である碓氷峠へ登って行くことに。
 コメント:ここに停まるバスは、現在は運行されていない。



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