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第14宿板鼻宿いたはなじゅく
 板鼻宿には本陣1、脇本陣1、旅籠は54件、茶店や商店も多数あり
上州・中山道7宿の中では最大規模の宿場であった。これは、徒歩渡し
であった碓氷川の川止めが多かったためだが、鉄道が敷かれるよう
になると急速に賑わいを失い、今は静かな町並みとなっている。

平成20年10月30日  彼方の山並みに煙がたなびいている。うーん、子供の頃見た風景だ。

 国道18号と別れ右に入ると、再度Y字路があるのでここは左に入って行く。数分歩くと道端に可愛らしい「夫婦道祖神」(左)。いつ見ても心が和んでくる道祖神だ。

 JR信越線の踏み切りを越えて数分、交差点の右端に「榛名道道標(右)が建てられている。

 正面に「やはたみち」と刻まれているのだが、達筆すぎる。かろうじて「や」だけ読めるが。南面に刻まれている文字は「はるな くさつ いかほ ・・・・ ・・・・ みち」と。

 この先から板鼻宿となるのだが、かつては大変な賑わいを見せていた宿場町も、今は旧宿時代の面影を少しだけ残す「静かな町並み」(左)に変わってしまった。


 2〜3分歩いて左側の細い道を入ると、「長傳寺の石塔」(右)が見られる。境内の外に並んだ石塔群は、庚申塔や二十二夜塔など様々だが、いずれも江戸時代のものを各所から集めたようだ。

 

 街道に戻り、上州櫓造りの家を見たり、「板鼻宿」と書かれた交差点の表示を写真に撮ったりしていると、やがて「板鼻宿本陣跡」(左下)と記された標柱が目に入ってきた。今は板鼻公民館となっている場所がかつて本陣だった場所。その裏に貴重な建物が保存されている。

 文久元年(1861)、皇女和宮が十四代将軍家茂へ輿入れのため江戸へ下向の途次、板鼻宿で宿泊した場所が、「本陣付属の書院」(左)であった。

 公民館隣りの花屋さんは、江戸時代末期に建てられたという土蔵造りの「旧てうちん屋」(右)。 

 ちょっと先には、宿場入口で見た道祖神より一回り大きい夫婦道祖神が見られる。甲州街道でもそうであったが、信州に近ずくと夫婦道祖神が多くなる。

 夫婦道祖神を見た後、7〜8分ほど歩くと宿場入口で分かれた道に合流する。ここでちょっと寄り道を。

 合流した道を200mほど戻ると、海音寺潮五郎が揮毫したという「中山道板鼻宿碑」(左)が見られる。これだけ立派な石碑を、何故、旧中山道から外れた場所に設置したのだろうか。 もったいない。

 元の場所に戻る前に、「鷹巣神社」(右)にも寄り道を。

 右側の山に入る細い道を上ると、かつて神社であった場所は荒れ果て楼門が朽ち掛けている。何故こんな場所へ。地元の人の話では「芭蕉句碑が有る」ということだったので訪れたのだが、とてもじゃないが中へは入れない。あきらめた。

 鷹巣神社から下ってくる途中、彼方の山並みを見ると「煙がたなびいている」(左)。

 夕暮れ、遊び疲れて家に帰るとき、ふっと広場の向こうを見ると煙が静かにたなびいている、そんな子供の頃を思い出す風景に思わず1枚。

 街道に戻ると、碓氷川に架かる「鷹之巣橋」(右)がある。かつては、もう少し先まで歩き碓氷川を徒歩渡しで越えていたのだが、今は橋を渡って安中宿へ。




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