第6宿桶川宿おけがわじゅく
 桶川宿は今も蔵造りの建物が残るなど宿場時代の面影を感じることが
できる。
 あまり大きな宿場ではなかったが、周辺で生産される農産物の
集散地として賑わっており、特に「桶川臙脂
(えんじ)」と呼ばれた紅花は
最上地方に次ぐ大生産地で、桶川宿に多くの富と文化をもたらしていた。

平成20年4月9日   お地蔵さんが女郎買いをしていたそうですよ。

 上尾宿から桶川宿までは、途中で雷電神社に寄り道しても小一時間。宿場入口の「木戸跡碑」(左)が交差点手前にポツンと立っている。



 交差点を渡った2軒目でついに「屋根瓦の上の鍾馗様」(右)を発見。屋根上の鍾馗様に会えたのは日光街道の粕壁宿、杉戸宿以来である。

 街道の左側、ちょっと先に「武村旅館」(左)と看板が掲げられた建物がある。江戸時代、紙屋半次郎なる人物がここで旅籠を営んでいたそうだが、その当時の間取りが引き継がれているという貴重な建物。


 武村旅館から数分、路地奥に見えるのは「浄念寺仁王門」(右)。

 朱に塗られた仁王門は元禄14年(1701)に再建されたもので、楼門下の一対の仁王像は明和5年(1768)に開眼されたもの。 仁王さんに話が出来るなら、皇女和宮一行の行列のことを聞きたいものだ。

 浄念寺には見どころが多い。
 その一つが「石塔婆」(左)。古いものは正和4年(1315)、新しいものでも天文19年(1550)のもの。その他にも元禄のころ水谷某の畑から掘り出されたという不動尊や、狩野派絵師の碑などもある。


 街道に戻ると、ちょっと先の味わいある家は「島村老茶舗」(右)。創業は嘉永7年(1854)、ペリーが来航した年だが桶川宿にぺりー情報はどのように伝わっただろうか。ちなみに建物は昭和初期の建築である。

 賑やかな商店街の先に見える 「蔵造りの商家」(左) は時代江戸の穀物問屋矢部家の建物。紅花商人としても活躍していたが、そんな豪商がこの家を建てたのは明治中頃だそうだ。

 道路を挟んだ対面の建物は「旧旅籠小林家」(右)。こちらは国指定登録文化財であるが、江戸時代末期に建てられた旅籠である。

 このほかにも街道沿いに味わいのある民家が何軒かあり「旧街道を歩いている」そんに雰囲気を味あわせてくれる桶川宿であった。

 蔵造りの数軒先の冠木門は「府川本陣跡」(左)。
奥に皇女和宮も泊まられたという本陣建物が今も残っているが未公開。一般公開してくれると嬉しいのだがなー。

 府川本陣跡斜め先の中山道宿場館が、旅人を優しく迎えてくれるので、ここはぜひ立ち寄りたいところ。

 宿場館の先に「桶川宿碑と桶川宿案内板」(右)が建てられており、見どころの再確認ができるのでありがたい。

 ちょっと寄り道を。宿場館先を右に入り、数分歩いたところの 稲荷神社拝殿前 に紅花商人が寄進したという安政4年の石灯籠がある。

 その稲荷神社にびっくりする物があった。 「大磐石」(左)と呼ばれる力石である。重さは610kg。なんと、この力石を持ち上げたのが三ノ宮卯之助という江戸時代の力士。いやー信じられん。

 街道に戻ると数分先の大雲寺「女郎買地蔵」(右)という不名誉を着せられた地蔵が鎮座している。

 この地蔵さん、夜な夜な女郎買いに出かけるので、住職が背中にカスガイを打って鎖で縛ってしまったのそうだ。でも本当は若い修行僧が女郎買いするので、それへの戒めだったのだとか。

 大雲寺を出て街道を先へ行くと、歩道橋の右側に 「レンガ造倉庫」(左) がある。近所の人は「かなり古いよ」と言っていたが、いつ頃の建築だろうか。

  
 その少し先右側に「木戸跡碑」(右)、さらにその先の交差点際に「桶川宿碑」(右)が。


 上尾宿と桶川宿は僅か1時間足らずの距離であったが、次の鴻巣宿まではちょっと遠い。途中で現存の一里塚が見られるので楽しみだ。

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