第5宿上尾宿あげおじゅく
 上尾宿は江戸から約10里、日本橋を七つ立ちすると最初の泊まりが
上尾宿であったことから旅籠の数は多かった。
 しかし安政7年
(1860)の大火とその後の火事で建物はほとんど焼失
してしまい、往時の面影を残すものは少ない。

 

平成20年3月29日   鬼と鍾馗様が睨みあってバチっと火花が。

 大宮宿を出て幾つかの庚申塔や道標、神社を見ながらかれこれ1時間半、交差点を渡るとその先に愛宕神社があり上尾宿に入って行く。

 愛宕神社の前の小さな祠の中に「庚申塔」(左)が鎮座している。野ざらしではなく祠の中とは幸せな。ごく普通の庚申塔であるが、享保7年(1722)建立ということなので280年も前のもの。

 上尾名物の土産を探していたら和菓子店の店頭に「鍾馗様」(右)が。

 これは素通りするわけにはいかない。伊勢屋和菓子店は創業180年という老舗。お勧めは鍾馗羊羹。ほんのり柚子味がなんとも旨い。

 上尾宿は火事が多かったことから魔除けの鬼瓦を屋根の上に乗せる家が多かったそうだ。が、いやいやもっと強いのは鍾馗様。 道を挟んで
鬼瓦と鍾馗様が睨み合ってバチッと火花が、またまた火事になって。 冗談はともかく、今は鍾馗様があまり見られなくなってしまった。

 ところが、鬼瓦と鍾馗様が睨み合っていました。道を挟んで。

 伊勢屋和菓子店から数分歩いた右側、駐車場奥の塀の上に鬼瓦が2基。「脇本陣井上家の鬼瓦」(左)が街道を睨んでいる。

 その斜め先、「おしゃれ工房新井屋」の看板の下に「鍾馗様」(右)が。足を踏み出して探しているのは、どうも脇本陣の鬼瓦らしい。

 多少離れているので 「睨みあい」 というほどではないが、街道の両側でした。

 おしゃれ工房のちょっと先が「お鍬様」こと御鍬太神宮、今は「鍬神社」(左)と呼ばれる上尾宿の鎮守様。 創建の云われが面白い。

 江戸初期・万治のころ、3人の童子が鍬2挺と稲束を持ち、白幣をかざしながら踊り歩いて上尾宿へ。と、童子はふっと消え鍬と稲束が残された。その鍬を祭ったのが鍬太神宮なのだそうだ。

 境内に「二賢堂跡」(右)が残されている。「学僧の雲室上人が開いた聚学義塾、菅原道真と朱文公の二賢人を祀ってあることから二賢堂」 。 「七賢」という銘酒があるがこちらは「二賢」・・・関係ないか。 

ここから平成20年4月9日

 上尾宿を歩くのに先立ち、上尾在住の会社の先輩 Hさんからの誘いに厚かましくもお宅を訪問。上尾宿のことや中山道のことなど、奥様ともども話が盛り上がり上尾宿のことをより詳しく知ることができました。Hさんありがとう御座いました。

 鍬神社から4〜5分、右奥の「遍照院」「遊女お玉の墓」(左)がある。遊女個人の墓石は珍しいが次のような云われがあるそうだ。

 お玉は越後の生まれであったが、故あっって上尾の大村楼で遊女に。大変美しくしかも気立てが良かったことから、19歳のとき参勤交代の加賀前田藩の小姓に見初められ、ともに江戸へ。ところが病に倒れ上尾に戻ったが帰らぬ身に。大村楼の主人が墓石を立てたのだそうだ。

 さらに4〜5分歩くと歩道際に庚申塔があり、その向こうに真っ黒な建物が見える。「造り酒屋・文楽」(右)であるが、うーん、この黒、なんとも言い難い。

 はなみずき通りとの交差点までくると「上尾宿案内板」(左)があり屋根瓦の上に「鍾馗様」(左)が。鍾馗様は屋根瓦の上が似合う。 しかし、民家の屋根の上の鍾馗様はついに見られなかった。


 しばらく街道を歩くと黒板塀の上にうっそうと樹が茂った「須田家」(右)が見えてくる。最上地方についで、全国2位の生産量をほこった桶川紅花の仲買を行っていた豪商の跡だそうだ。



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