大山街道 八王子道 道中記 八王子道の表紙に戻る

③厚木・下荻野から大山街道青山道の合流点(伊勢原)まで

大山街道の旅、3回目は神奈川工科大学前から。県道63号を南下し国道412号を横断。この先しばらくは県道を歩くことになるが、
小野まで来たら県道と分かれて旧道に入り小野の集落を通って津古久峠へ。 峠から先は自然散策路として整備された林の中の道。
江戸時代に大山参りの旅人が歩いた土道を味わうことができる。 雑木林を抜けたら伊勢原総合運動公園の横を下って新東名高速、
東名高速の下を通り、上粕谷で東京の赤坂御門前を出発した大山街道青山道に合流して八王子道の旅は終了。
 
街道地図
①八王子から田名まで     ②田名から厚木下荻野まで   ③厚木下荻野から伊勢原まで
令和2年10月12日

神奈川工科大学前を出発して まず目指したのは日吉神社。 古くは妙見社と称していたが別当であった妙見寺が廃寺となり日吉神社に改称。その日吉神社の社殿脇に「三兜大神碑」(左)が祀られている。
 
かつて、社殿の裏に妙見松と呼ばれる老大樹があったが枯れてしまいその根本を掘ったところ毛利の3つの兜が出土したという。毛利氏の祖・大江広元は源頼朝から相模国毛利庄屋を拝領しており、四男の毛利季光がこの地に居住していた。

街道に戻り10分ほど歩くと八王子道と大山街道府中通りが交わる荻野新宿交差点。ここに「大山街道」(右)と刻まれた石碑が建てられている。その後ろは先ほどとは別の日吉神社。

荻野新宿から数分先の法界寺本堂前に鎮座しているのは信州高遠の石工・伊藤勘助が享保4年(1719)に造立「座り地蔵」(左)。この辺りには高遠出身の石工が手掛けた石造物が多い。

荻野橋を渡ったら右の旧道へ。5分ほどで県道に合流するが合流点の植栽の中に「矢名街道碑」(右)が埋もれている。八王子から矢名村(現秦野市)を経て小田原まで結ぶ街道だが上粕谷までは八王子道と共通。

国道412号を越えて4~5分歩くと交差点際に4基の石造物と「富士塚碑」(右)がある。詳しいことは分からないが、元々あった塚を明治期に富士塚に改造したものだそうだ。

富士塚碑から数分歩いた弘徳寺の入口に 親鸞聖人御旧跡 と刻まれた碑がある。これは見落とせない、と思ったらその下に 善鸞上人墳墓の寺 とある。 善鸞上人?

弘徳寺北側の小高い丘にある墓地に入ると大木の下に「善鸞上人の墓」(左)がある。親鸞上人が関東の門弟達の間で起きた諍論を治めるため子息の善鸞を関東に派遣。ところが善鸞は門弟側に入ってしまい親子断絶。晩年、ここに逗留し六十五歳で没したと伝えられている。

街道に戻ったら小鮎川を渡り、大坂を駒ケ原台地まで上ると県道のすぐ左側に旧道が残されている。

旧道に入ったすぐの左側にある小さな公園にあったのは「愛甲郡競馬場跡碑」(右)。大正末から昭和初期にかけて開催された競馬場だが昭和6年(1931)に廃止。跡地を住宅団地として造成し地名を駒ケ原と命名。

ほどなく県道に合流し白山坂を下って行く。その途中の右下に「白山神社」(左)があるが、ここから神社の脇をUターンしながら下る急坂が旧道。この坂は足が勝手に前へ出てしまうほどの急坂だ。 ほどなく県道63号に合流。

この先は県道を30分ほど歩くのだが、途中の街道際に「石仏が3体」(右)。文字道祖神・双体道祖神・道祖神?の3体でかなり風化が進んでいるが賽銭が上がっているところを見ると忘れ去られた存在 でもなさそうだ。

県道をかれこれ30分ほ歩いたらちょっと寄り道を。向かった先は「堰神社」(左)。
天正4年(1576)、当時の長谷村は干ばつで田植えが出来ず困り、村を流れる玉川の堰を高くする工事を行ったが難航。大山詣での帰りだという山伏が「堰杭を立てなければダメだ。私が堰杭になりましょう」と衣を脱いで入水。おかげで立派な堰が完成し実りの秋を迎えることができた。村人は感謝のしるしとして山伏を堰大明神として祀ったという。

街道に戻り4~5分歩くと田んぼの彼方に石塔が見える。ここにもちょっと寄り道を。この石塔は堰神社ゆかりの塚で「衣塚」(右)と呼ばれている。山伏が衣を脱いで埋めた場所なのだそうだ。

再び県道に戻り玉川を渡った数分先に鎮座するのは「小野神社」(左)。 この神社は延長5年(927)の延喜式にも記載されている古社。建久5年(1194)に愛甲三郎によって再興されたと伝わっている。拝殿は嘉永元年(1848)に建てられたもの。愛甲氏の本家である横山氏は小野妹子の子孫だとか。

この先は山間の鄙びた街道。「道祖神」(右)を写真に撮ったりしながら坂道を上って行く。

うねうねと曲がる山間の道を上って行くと十字路の向うに「津古久峠碑」(左)が建てられている。側面の説明によると「後北条時代、小田原と武蔵を結ぶ小田原道として発達。江戸時代になると大山詣での旅人がこの峠を越えていき最盛期には茶屋もあった」のだそうだ。

八王子道はこの先で車道と分かれ「自然散策路」(右)と刻まれた石標の脇を山道に入って行く。 すぐに二又道となるが、ここは右の細い道へ。その先に「津古久峠 茶屋跡碑」(右)が建てられている。

茶屋跡碑から先は雑木林の中の細い道。数分歩いた先に見えた建物は「炭焼き小屋」(左)。

大山道はこの先で伊勢原総合運動公園・専修大学総合グラウンドの脇を通り住宅地に入って行く。新東名高速の下を通って再び県道63号に合流。東名高速下のトンネルを潜って住宅地の中を通ると東京の赤坂御門前を出発した「大山街道青山道」(右)に合流。ここで八王子道の旅は終了。

合流点の十字路をさらに5分ほど歩くと東海道藤沢の四ツ谷不動追分から出発した大山街道田村道に合流。
合流点近くに伊勢原駅行きのバス停がある。

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