大山街道 八王子道 道中記 八王子道の表紙に戻る

①八王子から相模原・田名まで
甲州街道の八日町交差点から出発した八王子道はしばらくは浜街道(絹の道)と重なっているが片倉の兵衛川を渡ったら浜街道と分かれ
国道16号の長~い上り坂を通って御殿峠へ。御殿峠からは雑木林の中の草道を下って境川を越えると神奈川県相模原。 JR横浜線
の大山街道踏切を渡り国道16号を越えて県道63号に入り、下九沢を経て田名へ。
片倉城跡に寄り道したり、歩いても歩いても終りが見えない国道16号の上り坂や、よくぞ残ったものだと思う雑木林の中の細い草道を
歩いたり、とそれなりに変化がある八王子道であった。
街道地図
①八王子から田名まで     ②田名から厚木下荻野まで   ③厚木下荻野から伊勢原まで
令和2年3月24日

中山道熊谷宿から出発した大山街道八王子道は甲州街道の「八王子・八日町交差点」(左)を横断していく。 写真の横に走る道路が甲州街道で、向うへ進む道路が大山街道八王子道。現在の国道16号(東京環状)である。

八王子道を歩き始めて5~6分、JR中央線の踏切に「相模街道踏切」(右)と表示が。国道16号は横浜街道、あるいは八王子街道とも呼ばれていたが相模街道と呼ばれた時期もあったのだろう。
いつ頃付けられた踏切り名か分からないが、この先もずっとこの名前を引き継いでもらいたいものだ。

この辺りは八王子市寺町。その名の通り寺院が多い場所なので何軒か寄り道を。

街道から数分奥の本立寺は八王子千人同心の千人頭 原家の菩提寺。その奥の法蓮寺には組頭であった「並木以寧の墓」(左)がある。臥牛の上に墓石が乗るというユニークな墓だ。以寧は書道家でもあったことから墓石には「門弟五百名余り」と刻まれている。

千人同心がらみをもう一カ所。「観音寺山門」(右)は千人同心の千人頭旗本中村左京の屋敷門を移築したものと伝えられている。 本堂は大正時代の建築でそれほど古くは無いが、珍しいのは屋根の上に巨大な擬宝珠が。

街道(国道16号)に戻り黄金橋を渡ったら左側の旧道に入り数分、八王子医療刑務所の高い塀を見ながら坂道を子安町交差点まで上ると国道に合流。
その先は下り坂。京王線のガードを潜った先から再び旧道が復活。その前にちょっと寄り道を。

向かった先は片倉城跡。室町時代に築かれ、戦国時代には北条氏の支配下にあったと云われているが詳しいことは分からない。本丸跡」(左)と二の丸跡が城址公園として整備されている。

本丸裏に鎮座している「住吉神社」(右)は片倉城主・永井大善大夫道弘が応安5年(1372)に城の鎮守として摂津国・住吉大社を勧請したもので慶安2年(1649)に徳川三代将軍より朱印七石を拝領。

城址公園入口脇にちょっと気になる建物が。大正7年(1918)に建てられたレンガ造りの米蔵が今は「Coffee Bricks」という喫茶店に。

京王線のガード先から旧道に入るが残念ながら湯殿川で行き止まり。しかし川の向うから旧道が復活。ところがJR横浜線のガード先で今度は兵衛川で行き止まり。ここは釜貫橋で対岸へ。

橋を渡ったすぐ先で浜街道(絹の道)と分かれ旧道を行くのだが日本文化大のあたりから先はルートが不明。しかたなく国道16号に出て緩い上り坂をかれこれ30分ほど歩き御殿峠南信号から右に入ると旧道が復活。

旧道は御殿峠(杉山峠)を越えて相模原に抜けていくが、明治中頃に東側に大道(現国道16号)が整備され廃道。しかしどういう分けか旧道が残ったようだ。旧道への入口が分かりにくいが、八王子日本閣駐車場入り口の反対側にある崖に細い踏み跡があるのでここが「旧道への入口」(左)。崖を上りきると雑木林の中にしっかりした踏み跡の「草道」(右)が残っており20分ほど歩いた先からは住宅地の中の一般道路。

住宅地の中の急坂を15分ほど下って国道16号に合流し境川を渡ると神奈川県相模原。境川は武蔵国と相模国の境界を流れる川で、ここに架かる橋はその名の通り両国橋。

橋を渡って数分、桁行9.5間(約17m)というかなり大きな「牛久保家の長屋門」(左)が目に入る。名主であった牛久保家が江戸時代末期に建てたもの。この辺りはかつての橋本宿があった場所だが街道沿いで往時の面影残る建物はこの1軒だけになってしまった。

県道505号と交差する手前の香福寺は應永年間(1394~1428)開山の古刹。「山門」(右)は四脚門で鐘楼とともに江戸時代後期の建築。山門を入った右手の薬師堂に安置されている薬師如来像は聖徳太子の作と伝えられている。

香福寺参道の右側にある「秋葉大権現」(左)は天保5年(1619)に建てられたもの。秋葉大権現は言わずと知れた火防の神。天保12年(1841)の橋本宿大火で宿場を焼き尽くした火勢はこの石碑の前まで来るとピタリと鎮まったという。秋葉大権現の隣は文政2年(1815)に建立された徳本念仏塔。

県道505号を横断し真っ直ぐ南下する道に入って4~5分の右奥は「神明大神宮」(右)。永禄12年(1569)の創建ということだが天保12年の大火で古記録が全て焼失したため詳しい事は分からない。古くは「お伊勢の森」と呼ばれ伊勢神宮参拝の旅人がここで旅の安全を祈願したという。

神明大神宮を出て数分、JR横浜線の踏切りに「大山街道踏切」(左)と表示が。 踏切りを渡って真っ直ぐな道を十数分、突き当りの石柱は「棒杭碑」(右)。ここは大山道が田名方面経由と当麻方面経由に分かれる追分で「橋本の棒杭」と呼ばれる大山道道標が建てられていたが区画整理で旧道が消滅。

その旧道にあった「棒杭(大山道道標)(右)が住宅地の一角に保存されている。安政2年(1855)に建てられた不動明王道標で正面に「右 大山みち」と刻まれ、右側に「北 八王子道」、左側は「南 あつぎ道」。
今回は右側の八王子道を通って田名方面へ。

棒杭前を右に曲がり国道16号を横断して県道63号に入り田名方面に向かう。

かれこれ20分ほど歩いた先、下九沢の坂を下る途中に三叉路があるが右の道が新道、左が旧道。旧道に入ると「新道坂/神明坂」(左)と刻まれた石碑が1本。碑の脇に祀られているのは地蔵尊。その横の上り坂階段が神明坂のようだ。

すぐに新道坂に合流して10分ほど歩くと九沢橋交差点手前の祠の中に「夜泣き地蔵」(右)が鎮座。このお地蔵様は夜な夜な泣いていた、てなことではなく、夜泣きする赤ん坊の夜泣きが治るようにお地蔵様に願掛けすると夜泣きが治った、のだそうだ。  九沢橋交差点を左に曲がってちょっと寄り道を。その途中に可愛らしい地蔵石塔が。

向かった先は「金泉寺」(左)。武士であった多奈久坐和氏が弘仁3年(812)に一庵を創建、三女の湖年姫が尼僧となり金泉庵として開創。下って応永9年(1402)に源秀師が当地に堂宇を再建し金泉寺と定めたという。本堂は嘉永5年(1852)建立の総欅造り。

九沢橋交差点まで戻ると交差点際の塚に祀られているのは「塚場の庚申塔」(右)。元々は400メートルほど手前の塚場交差点際にあった塚だが道路の各幅工事で撤去され現在地に移転。庚申塔は安永4年(1775)に造立されたもの。両側に石塔が2基あるが右側は出羽三山碑、左側は六地蔵。

八王子道はこの先も県道63号を進むのだが、しばらくは見どころは無い。三菱重工の正門近くにバス停があったので今日はここまで。

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