五街道
 江戸時代、五街道と呼ばれた 東海道 、中山道 、甲州道中、日光道中、奥州道中は、幕府の道中奉行が管理し
良く整備された街道であった。 今でも、往時の面影が各所に残り、また残そうと努力が続けられている。

「五街道の旅」は、当時の五街道とその脇往還を巡り、歴史に残る遺構・遺跡を訪ねた記録である。

脇往還・歴史街道
脇往還 歴史街道
日光御成道 木下街道
日光西街道 鮮魚街道
佐屋街道 金沢街道
水戸街道 金沢道
成田街道 五日市街道
例幣使街道 筑波街道
川越街道 浜街道(絹の道)
矢倉沢往還 鎌倉古道・湯坂路
下田街道 鎌倉街道下道
千人同心街道 鎌倉街道中道
青梅街道  東金御成街道
日光東往還
中原街道
児玉街道の旅です
五街道  
*東 海 道 平成18年6月12日完.
*中 山 道 平成22年12月9日完
*甲州街道 平成19年2月2日完
*日光街道 平成19年4月26日完
*奥州街道 平成19年11月22日完
関連資料 
*五街道のルート
*脇往還のルート
*東海道の一里塚
*東海道の芭蕉句碑
*中山道の一里塚
*中山道の芭蕉句碑
*中山道の歌枕
街道を旅されている方のリンク集
 徳川家康は全国の支配を磐石なものとするために、慶長6年(1601)から交通網の整備に着手。特に江戸日本橋を基点とした
五つの街道を主要幹線と定め、幕府の道中奉行に管理を行わせている。また、五街道に接続する主要街道を脇往還として定め、
勘定奉行の管轄で
(一部道中奉行管理の脇往還もある)地元の藩に管理を行わせていた。

 これらの街道には宿駅を設け、公用の書状や荷物の運搬取次ぎを行う問屋場、公用人の宿泊を行う施設として本陣・脇本陣を、
一般旅人のためには旅籠が設けられていた。また、旅人の便宜の為に街道筋には一里毎に一里塚が設けられてもいた。

 明治維新で国の制度が変わりこれらは廃止されたが、その遺構・遺跡が各地に残り、整備・保存が行われている。

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