2002年6月28日
アーティスト名 | 曲 名 |
ピーター・ガブリエル | ヒア・カムズ・ザ・フラッド(洪水) |
心に残る格闘 |
僕は中学の頃は柔道部に入っていました。 まずはボクシングの畑山−坂本の対決。まるでマンガのようなボクシングだったので印象に残っている。パンチが飛ぶたびに鈍い破裂音がして、ドスッとかバスッといったような擬音が見えてきそうな試合だった。きっと、僕を含めたボクシングをあまり知らない人たちはああいうのを観て「いい試合だったね」と思うであろう試合。今思い出しても興奮するが、あれはボクシングではなく、ただのどつき合いだと言ってしまえる自分もいて今となっては複雑。 そして、何故か高校生の時の自分。体育の授業でレスリングがあったのだが、中学の頃にやっていた柔道も卒業とともにやめて、その頃はもう柔道からも遠ざかっていたころで、なるべくなら、もう格闘技はしたくなかったという時期。しかし、学期末には実技試験という感じで試合をさせられることになった。それが結構本格的で、クラス内で体重別に階級を4つに分け、その中でトーナメント戦をするというもの。僕の高校は男子校で、一クラス50人近い人数全てが男。だからトーナメントを勝ち進めば3回は戦わなくてはならない。しかし、僕の覚えているのは準決勝と決勝だけ。ひょっとしたらシードだったのかもしれないし、初めの対戦は印象に残らなかっただけかもしれない。さて、準決勝と決勝の記憶があるということは、そこまで勝ち進んでしまったということだが。実はあまり本意ではなかった。 でも、たまたま勝ったのかというと、そうでもない。でも、なんて言うか、「なんか、勝っちゃった」って感じだろうか。それがなぜ印象に残っていたのか。準決勝の相手は自分よりも重い柔道有段者。僕はと言うと、その重量級の中では軽い部類の、柔道「経験者」。途中の経過なんか憶えちゃいない。気が付いたらフォールしていた。ちなみに、アマチュアレスリングはプロレスと違って、両肩ついたら3カウントではなく、両肩がついた時点、つまりたったワンカウントで勝負が決まる。そして僕は上にいて相手は下にいた。相手がうっかり倒れたかと言うとそうでもない。自分はしっかり押さえ込む形を取っていたからだ。どうやら僕がフォール勝ちを収めたようだ。自分、必死になってやったんだろう。終わっても腰が抜けて立てなかった。クラスのやつらは、こいつ勝ったのに笑わせてくれるよ、などと言って茶化すが、当然そんなつもりも、そんな余裕もない。 異常な疲労を引きずったまま決勝戦へ臨んだが、この相手がまた怖い。プロレスマニアだったからだ。この決勝までも豪快に相手を投げ飛ばす姿を何回も見た。体重はこの階級で最も軽い相手だったが、すごくパワーがある。案の定僕も試合開始早々、高々と放り投げられてしまった。正直言って、これで「あ、負けるな」と思った。だけど僕にも意地があって、同じ技は二度は食らうまいとしていたが、何分か経った後、再び天井を間近に見上げることとなる。しかし、その時はすでに試合は終了して数秒たっていたようだ。気が付いたら寝技でポイントを稼いでいた僕が勝っていた。結局重量級を制覇してしまった。テレビゲームの格闘ものでボタンを適当にガチャガチャやっていたら勝ってしまった。そんな感じだ。でも、その中でも、自分は一応何かをしていたと言う意識はあったので、きっと勝つために、守るために何かはしていたのだろう。 しかし、いずれも「ベストバウト」(最高の闘い)ではなかった。なので、「心に残る格闘」とした。 さて、ここにきて困ったことが一つある。「オチ」を準備していなかった。 ついでにワールドカップに目を向けるか。準決勝のトルコ−ブラジル戦はよかったが、終了間際、すでにベンチに下がったブラジルのロナウドが、自軍がキープしているボールをトルコがなかなか奪えないのを見て笑っていた。カメラワークのせいでそう見えたのかもしれないが、視線とベンチの位置関係からしてプレイを観て笑っていたものだと思っている。その瞬間、その試合に幻滅した。そんなヤツのいる国に対しては勝てとも負けろとも思わない。 まあ、負けた時のための「ざまぁねぇな」という言葉は準備しておくが。 と言うことで、あの試合、最も印象に残ったのは、我らが日本の皇太子と雅子さんが、試合中一度だけ映された時、カメラに気づいた雅子さんがちょっと嬉しそうに笑って旦那に何か言った時(きっと、「自分達が映ってるよ」くらいのことは言っていたと思われる)。あの時の顔は、自分が情報媒体を見て知る限り、今までで最高の笑顔だったように思えた。面倒くさい誤解を避けるためにあえて言わせてもらうが、自分は皇族ヲタクでもミーハーでもない。ただ、あのひとコマは、なんか安心できただけだ。 |