ブランドXなんて、久しぶりに聴いた。曲のタイトルが気になったので辞書をひいてみる。「安楽死・・・」そうか。「安楽死のワルツ」ってことか。
わからん。
これを聴いていたら突然こんなことを思い出した。と、言うことで、暴露話です。
僕は自分のバンド(というか、「ユニット」っていう感じの2人組のグループ)の練習のとき、相方の子にいきなり「ちょっと、どこ見てるの!?」と言われた。そう言われて気づいた自分の視線の先には体のラインがはっきりと出ているシャツから浮き出る彼女の胸が。誓ってもいいが、このときはまったく意識して見ていなかったのだ。ただ、目が向いたところに彼女の胸があっただけで、焦点は別のところにあった。いや、特別どこも見てなかったのだ。
勤めていたときもそんなことがあったっけ。事務のお姉さんのところに書類を届けに行くときや、相談などをするときだ。そのお姉さんがしきりと足を気にしていることに気づいて自分の視線の場所に気がつく。そう。そのお姉さんのきれいな足に目がいっていたのだ。
相手は、意識して見るときに限って気にしてないのだ。それにしても重大な問題だ。
これは、現代社会では大きな誤解を招くクセではないか。いや、誤解されているときは意識してなくて、意識しているときには・・・ああもう。
無意識で眺めているものに意識の信号を送ってみる。何故か「いいとこ」ばかり見ていることに気がつく。前述のバンド練習のとき、ドラムをたたきながら無意識の自分が意識の信号を送ったときに見ていた先は相方の子の胸か局部のあたりだった。僕が彼女から目をそらすとき、それは、あらぬところを見ていると気づいたとき。最近は彼女も理解してくれているので気にしていないようだが。
しかし、この歳にしてエロオヤジの才能を発揮しているなぁ。我ながら嫌になる。そしてこんなことを公表すること自体、同情を求め、自分の行為を正当化するような気がしてきてさらに嫌になる。こうなりだすと思考の暴走が止まらない。この曲の入っているアルバムのタイトルは「アンオーソドックス・ビヘイビアー」、「異常行為」と訳される。一曲目は「ニュークリア・バーン」アメリカだったか、にある高速道路で「核の高速道路」と言うんだろうか?暴走する思考は加速されそうだった。
そんなとき、この「安楽死の円舞曲」が僕の心を慰めてくれた。
ただいま。
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