晩秋のテニスコート





 地面に落ちた枯葉が風に吹かれてカラカラと軽い音を立てる。もう大分冷たくなった空気は肌から熱を奪っていくけれど、ネットを挟んで向かい合う二人はそれに気付かなかった。お互いに荒い息を吐きながら執拗に弱点を狙い打ち、あるいは力で捻じ伏せる。既に太陽は赤く染まり、黄色のボールも濃いオレンジになって二人の間を行き来する。影は長く長く伸び、あと三十分もしない内に闇に溶け込んでしまうだろう。それでも途切れることのないラリーと痛いほどの集中。二人はただお互いにだけ、その意識を向けていた。



 全国大会が終わってしまって、まだ3年の引退式までには間がある頃。付属校ならではの余裕は部活動にも例外でなく、秋はなんとなく宙ぶらりんな季節だ。文化祭に体育祭と行事ごとは目白押しで、そういった意味では皆忙しくしているが、あいにく華やかな行事を苦手に思う者もいる。例えば海堂は「性に合わない」と困惑半分で眉を寄せ、リョーマは「めんどくさい」とにやりと笑った。どちらにしても行事に精を出すよりテニスをしていたい二人は手持ち無沙汰に顔を見合わせる。しばらくの沈黙の後、リョーマが自宅のコートに海堂を誘って、海堂がその誘いに乗ったのは、当然といえば当然の流れだった。
「すごいな。本当に家にコートがあんだな」
「……まあ。寺の敷地だけど」
 誘われるままリョーマの後ろに付いてきた海堂が呟く。学校やスクールのように設備が整っている訳ではなかったが、間違いなくテニスコートが個人所有であることに、海堂は目を輝かせた。キュルキュルと手入れの足りない音を鳴らしてネットを張っていたリョーマは、純粋な感嘆に少し恥ずかしくなりモゴモゴと返事をする。
「いいな、ここ」
 けれど海堂は傲岸不遜な後輩が照れている珍しい光景に気付くことなく、ただ嬉しそうに小さく笑った。リョーマは横目でそれを見て、本当にテニスバカだなあと思う。ひたむきとも一途とも言える真っ直ぐさは、見ていて恥ずかしい。けれど眩しい。海堂と気が合うとは思わないけれど、こういうところがリョーマの好意を誘った。
 そして軽いアップの後、タンッ、とボールを弾ませれば、元より喋るほうでない二人に言葉は不要になる。どうしようもなく嫌な場所に向ってくるボールを感嘆と苛立ちを込めて打ち返し、相手のミスにニッと唇を吊り上げる。次第に何も考えられなくなって、反対に視界はどこまでも澄んで、体だけがお互いの動きに反応を返す。日が暮れて闇に沈んでしまいそうなボールを追いかける。お互いだけが世界から切り離されて薄い膜に包まれているような、混じりけのない集中。酷く心地よい瞬間に、リョーマはこの試合が終わってしまうものだとは思えなかった。
 けれど、突然の強い光。
「こら、ガキども。青春すんのも程ほどにしとけや」
 声と共にサッと向けられた黄色い光に照らされて、闇に慣れかけていたリョーマと海堂は一瞬目が眩む。その一瞬にリョーマが海堂のコートに打ち込んだボールはワンバウンド、そしてツーバウンド。あっけなくラリーは途切れてボールはもう闇に溶け込んだようなコートの端に転がっていった。海堂は訳が分からず、あっけに取られてライトを持つ方を見る。一方、海堂よりも少し早く状況を理解したリョーマはちっと舌打ちをした。
「邪魔すんなよ……」
「何か言ったか?にしてもすげー汗だなお前ら」
 大きな赤いライトを片手に二人に近寄った南次郎は、リョーマの抗議など聞かずにその汗で濡れた頭を掴んでガシガシと撫でる。
「頑張ってんのは結構だけどな、今日はこんなもんにしとけ。また明日やりゃいいだろうが。ほれ、センパイも」
 海堂の額をタッと汗が流れ、目に入りかかるそれを南次郎が袖で拭う。試合の興奮のまま、半ば呆然と立ち尽くし、海堂は子供に優しい大人の仕草を受け入れた。彼の息子にするように肩を叩かれる。
「フロ入ってけ、風邪引くぞ。何なら泊まってけば良い。明日は何かあんのか?」
「あ、いえ……」
「じゃ決まりだ。良かったなリョーマ」
 南次郎の親しい仕草に面食らいつつ、反射的に海堂は答える。南次郎は楽しげに頷くと、前を歩く息子に声を掛けた。リョーマはちらっと振り向く。唇の端の小さな笑顔。
「うん」



 もう暗い寺の敷地を、リョーマは器用にタン、タンとガットの上でボールを弾ませながら歩く。海堂が少し先を歩く小さな背中を何となく眺めていると、南次郎がしみじみと呟いた。
「あいつ、随分センパイに懐いてんな」
「別にそうでもないッスけど」
 返ってきた言葉に南次郎はちょっと意外そうに海堂を見る。そしてニッと笑った。
「そっか?あいつ、素直じゃねぇからな」
 まあ、仲良くしてやってくれ、と南次郎は海堂の背中を叩く。海堂は南次郎の唐突な上機嫌に面食らって、はあ、と曖昧に頷いた。何を言われているのか、正直良く分からなかった。ただ、いたずらめいた笑い方がリョーマと良く似ていることに気付いて、海堂は少し落ち着かず、そっと遠くに目を反らした。





(20071201)



 秋のリョ海さん、未だ無自覚なおふたりでした。海堂はさりげに南次郎さんのことを凄く凄く尊敬していて超ファンなんだが好き過ぎて何も言えない、とか、リョーマは海堂も息子亜種くらいに扱う南次郎になんとなく不愉快(海堂へ親しげ過ぎ 且つ 息子特権の侵害 の二重の意味で)、とか、そんな妄想もあったりしました。