2006年のクリスマス



 十二月に入ると、玄関に母が編んだクリスマスリースが飾られる。藤のツタにモミの葉と赤い実とリボンが絡まったリースが幾何学的な玄関に温かみを添えて、近くの鳥が赤い実を食べに寄って来たりするのだ。家の中のあちこちに小さなモチーフが飾られ、そして当日は母が焼き上げた飴色のチキンとホールのケーキを切り分けて、お互いにプレゼントを交換する。普段より多く家族と話して、まだ幼い弟に付き合って遊んで、弟がうとうとし始めるのを見計らってささやかなパーティーがお開きになる。いつも通りの、海堂の家のクリスマスだ。
 海堂はまだ遊びたい風にぐずっていた弟を風呂に送り出して、自分は着替えて家を出た。室内の暖かさに慣れた体を夜の空気は冷たく刺し、けれど冬を実感させるその感覚が海堂は嫌いでは無い。気合を入れ直されるような感覚にふっと短く息を吐くと、ランニングシューズの紐をきゅっと結びなおして門扉を開ける。小奇麗な住宅が並ぶ一角だ。各家がクリスマスと盛り上げるべく素朴なイルミネーションで家や庭を飾り、車がすれ違えばいっぱいになる細い道の両側は華やかに明るい。海堂は軽く伸びをしてから走りだす。
 視界を流れていく浮かれた風情の町並みは、星もサンタもキラキラと輝やく。屋根の上で二匹寄り添うトナカイが見えて、海堂は思わず笑った。鼻面をよせるように並んだ二匹はどこかとぼけて愛らしい。自分の家では嫌だけれど、ああいうもの可愛いよな、と白い息を吐き出しながら走り抜ける。その先にトレーニング場にしている公園が見えてきた。徐々に減速していけば、入り口の石の柱にもたれる、小さな人影。もこもこと着膨れた姿は、ずいぶんと長いことその場に居たようだった。ちょうど目の前で海堂は止まる。いぶかしげに顔を顰める海堂を、彼は楽しげに見上げて囁いた。
「Merry Christmas」
 やたら流暢な挨拶は寒さに擦れていて、だから、海堂はぎゅっと抱きついてきた彼の背中に腕を回してしまった。とたん胸の辺りから見上げてくる、得意げな笑顔。
「あんたなら、今日もここだと思った」
 ほんとトレーニング大好きなひとだね、と海堂をからかうように笑う彼の頬は赤く、体も腕も酷く冷たかった。たった一言を伝えるために何分ここに立っていたのだろうかと海堂は眉を寄せて、けれどこうして偶に見せる子供っぽい無邪気さが愛しかった。だから海堂は、うるせえよ、と不機嫌に呟いたけれど、回した腕はそのままだった。




 ぞくぞくっと、先端から冷たさが流れ込む。リョーマは無意識に身を振るわせて、あと10分だけ、と何度目か判らない約束を自分の体と心にしてやった。あと10分。そうしたら、きっと、あの人が来るから、と。何度も騙されている自分自身は、けれど心に浮かぶ姿にほだされて寒さと寂しさの訴えを少しだけ弱める。そして海堂が走ってくるだろう先を見つめて、ただ待つのだ。
 ぼんやりと眺める道は各家の暖かい色のイルミネーションに彩られている。視線の先でオレンジに瞬く光がまぶしくて、リョーマは寒さだけでなく目を眇めた。自宅の傍ではあまり見かけない光景だ。海堂はこういうところに毎日いるのだと思うとなんだか不思議だった。毎日あれだけ同じコートで過ごしているのに、それ以外はこんなに自分と違う。
 去年まで、リョーマの12月24日はそれこそ盛大だった。テニスクラブで練習終わりに開かれるクリスマスパーティーはリョーマのバースデーパーティーも兼ねて、不動のジュニアチャンピオンだったリョーマは賑わいの中心でもみくちゃにされ、祝われているのか騒ぐネタにされているのかリョーマ的には面白くなかったが、とにかくお祭りのような一日を過ごすのが常だったのだ。
 それが今は、ひとりで、公園の前に立ち尽くしている。おまけに靴下は二枚、裏起毛の手袋、モコモコのダウンジャケットとスポーツマンあるまじき重装備で、とんでもなく格好悪い。けれど寒さには勝てないし、海堂には会いたいのだから、これがリョーマの最善だった。どうしても今日会いたかった。抑えきれない衝動は、けれどリョーマの独りよがりだったから、ただこうして待つことしか出来ない。
 あと10分したら来る。もう何度目かも忘れた嘘を自分につこうとした時、明かりの先に白い影が見えた。ああ、体から蒸気が上がっているんだ。リョーマは妙に冷静にその影が近づいてくるのを見つめる。一定のリズムが徐々に間延びして、そしてリョーマの前で止まる。大分距離を走ってきたようで、汗はかいていたけれど、息は殆ど乱れていない。着膨れた自分とは違うすっきりしたシルエットが目の前に立ち尽くすのを、リョーマは半ばうっとりと見上げる。
「Merry Christmas」
 お約束の挨拶をして抱きつけば、少しだけ間を置いて、海堂の腕が背中に回る。きゅっと力を込められる。少しきついくらいの束縛にリョーマはフッと息を詰めて、けれどそれが気持ち良い。腕だけでなく、とくとくと聞こえる鼓動も高い体温も海堂が与えてくれるものは何でも気持ち良い。
 リョーマは待った時間もその辛さも忘れた。海堂の胸にぴったりと顔を寄せて、ふうと深く息をついた。間違いなく今までで一番幸せな12月24日だった。



(20061224〜20070121)




 付き合っているのかいないのか、くらいの初々しいクリスマスでした。ほんとうは誕生日おめでとうってちゃんと海堂に言わせてあげる予定でした、が。素直になれない思春期な海堂でした。