13歳のこども・13


 東洋人の目の色は正しくはブラックでなく、ブラウンという。黒くみえるが実際には濃い茶色なのだ。
 至近距離で見た海堂の目に、リョーマはそんなことを思い出した。日本に来る前の古い記憶を引っ張り出したのは、アクリルの作り物のように澄んだ目の色だ。こげ茶色の虹彩に放射状の黒い筋が丁寧に彫り込まれ、その中心にはぽっかりと暗い闇がある。硬そうに光を映す眼球で、その中心だけが光らず、全てを飲み込むような深遠を覗かせていた。その瞳に見つめられることに、リョーマは改めて背筋を震わせる。
 一瞬のひらめくような笑顔のあと真顔に戻った海堂は、気持ち顔を赤くしたリョーマをじっと見た。まばたきする度上下に動く睫毛が空気を揺らす。その揺れが頬に伝わってきて、後輩は距離の近さを実感した。けれど無遠慮に近づいた当の本人はその危うさに気付く様子もない。リョーマは耐えかねたように口を開いた。リョーマの動揺をそのままに、言葉は乾いて喉にからみボソボソと擦れる。
「何、スか」
「知らないヤツだと思って」
 やっとのリョーマの声に、海堂はひどく簡単に答える。これが机をはさんで向こうとこちらの会話なら、何も可笑しいことはなかった。ただ、お互いの息遣いがはっきりわかる距離で、リョーマにはあまりに不自然に思えて仕方ない。意識し過ぎているのだろうかとリョーマは一瞬自分を疑いかけて、けれど湿った海堂の息を唇に感じて、そんなはずないと内心大きく頭を振った。努めて普通を装いながらも、海堂に深い茶色の虹彩に自分が映っているのを確認する度に、どうしようもなく落ち着かない。声が裏返ってしまわないよう腹に力を入れるほど、もっと変になってしまいそうだった。
「誰が?」
「お前以外に誰がいんだ」
「はあ!?何で!」
 けれど、リョーマの精一杯の虚勢はあっさりと崩れてしまう。ひっくりかえった『は』の破裂音に、海堂はうるさいと言わんばかりに顔をしかめた。眉間に寄ったシワを間近に見て、リョーマは既に弱り気味の心を投げ出しそうになる。けれど引き下がれなかった。当たり前のように返された海堂の言葉は、けれど、二年も一緒にやってきた後輩に向けるにはあんまりだった。まして明確な好意を抱いている相手なのだから、リョーマにとっては尚更だ。自分らしくないと頭の隅で自覚しながら、それでも言葉は急ぎ声は乱れる。
 一方海堂は後輩の動揺が分からない。リョーマが言葉でなく態度で示す理不尽な非難に耐えるため眉を寄せた。そして、何でって、と低い声で理由を並べる。
「身長オレと変わらねぇし」
「成長期っス」
「余裕の表情しやがるし」
「そう見えるように頑張ってるっス」
 海堂が挙げる理由にリョーマがひとつづつ返す。その度に海堂の眉間のしわが深くなった。普段に増して声は低くこもり、海堂の機嫌は目に見えて急降下していく。重ねたまま外すタイミングを掴み損ねている視線の先で、リョーマは海堂の瞳が少しだけ揺れるのが分かる。真っ直ぐな視線を歪めて、唇を噛んで、不機嫌をあからさまにした様子は、どう見てもふて腐れていた――リョーマは、自分が海堂に甘えられているような、どうにも変な感覚がして仕方ない。気まずさを誤魔化すような海堂の不機嫌は、獲物を捕まえ損ねてそっぽを向く猫にも似て、リョーマは何となく口元が緩んでしまう。それを、チラ、と海堂の視線が追った。
「そのくせ、疲れた顔してやがるし」
「え?」
「無駄に張り切るからだ、馬鹿。全部自分でやろうなんて自信過剰も良い所だ」
「え……」
 突然の指摘と厳しい言葉に、和んだ気分でいたリョーマは付いていけなかった。とっさに何を言われたか理解出来ず呆けた声を上げる。しかし海堂は止めなかった。正しくリョーマの目の前で、先ほどから一転攻守を交代して非難を続ける。
「青学の柱だって、ふざけんな。柱一本で支えられるものなんざねぇよ。何様のつもりだ」
「オレは手塚部長に!」
「何もかもひとりでやれなんて、手塚先輩は言ってねえよ」
 地を這うような声が、ようやく言葉を理解したリョーマの反論を断ち切った。リョーマは海堂を睨み上げる。海堂に好意を持っていても、自分の一番のプライドまで貶されては許せなかった。ついさっきまで見返すことすら緊張した至近距離の目を今は、音が鳴りそうに睨みつける。お互いの険しい視線が、試合中のような鋭さで交わされる。けれどそれは、ほんの一瞬だった。
 海堂の視線が遠くを見るように緩む。そしてトンと、リョーマは頭に何かが触れるのを感じた。次いで肩にも同じ感覚がくる。一方は髪を、もう一方は服をはさんで伝わってくる人の温度。じらされるように直ぐ近くに感じていた暖かさだった。頭の後ろでゆっくり手のひらが移動して、髪が梳き下ろされる。その動きにリョーマは肩透かしを感じるより早く、細い息を吐き出した。海堂はお互いの表情を隠すようにリョーマを引き寄せる。自分の肩にリョーマの頭を押しやって、抱きしめるというより体温を分け与えるような、興奮した子供をなだめる仕草。
 一定のリズムで動く手のひらに、破れかぶれに逆立った心が凪ぐ。リョーマは丁度良い位置の肩に頭を預けて、奇妙にこわばっていた全身から力を抜いた。あっさり引いてしまった激情が可笑しくてフッと息をつく。海堂は耳の横で漏れた笑いにチラリと目を動かした。リョーマがようやく虚勢を解いたのを海堂は首筋で確認して、後輩と同じように、安堵の息をつく。
 色々の責任をわざわざ一人で背負い込んで当たり前のように笑った後輩に、海堂は自分を恥じるのと一緒に、どうしようもない無理をリョーマに透かし見た。以前の生意気な笑顔が自負と責任のそれに様変わりして、誰にも頼ろうとしない姿は頼もしいのと同じくらい危うかった――簡単に言えばリョーマらしくないと海堂は思った。そして感じた、違和感と疎外感と、熾火のような怒り。
 海堂の手がもう一度リョーマの髪を梳き下ろす。リョーマがその柔らかい感覚に目を閉じると、もう片方の手はリョーマの腕から分厚いファイルを奪い去った。ぱ、と起き上がりそうになる頭を海堂が止める。腕で包むように抱き込むと、軽く自分の頭をぶつけた。頬と頬が重なって、直接に体温が流れ込む。肩も胸も太腿もぴったりと重なって、リョーマはもう眩暈がしそうだった。それに追い討ちを掛ける様に、ちょうど耳の隣から、海堂の声と息が届く。
「テメェがオレを引っ張ってきたんだろうが。オレを無視してんじゃねぇよ、何考えてやがる」
 冷えた空気の中で鮮やかに熱い息と、苛立って怒った声。海堂は掠め取ったファイルを片手に掴み、そしてリョーマにとって決定的な言葉を淀みなく続けた。
「こんなのはオレがやる。オレが居んだ、忘れんな馬鹿野郎」
 責める言葉を、けれど、リョーマは怖いくらい心地よく全身に響かせた。もう一度溜め息のような長い息を吐き出して、海堂の肩に顔をすりよせる。リョーマよりも薄い肩は制服越しにも骨を感じる。一ヶ月前の夜に涙で濡らしてしまった同じ肩の今にも折れそうな、怖いくらいに脆い手触りを思い出す。けれど今、頬に感じる尖った硬さは、無駄を捨てて凝固した金属を思わせた。自分が海堂を守りたかったはずなのに、思わず甘えてしまいたくなる。リョーマは自分は本当に子供だとひっそり笑いながら、ファイルを取られて空いた腕で、海堂の背中に抱きついた。
 沈黙が下りてしばらくした後、海堂が何かを思い出したように、ああ、と呟いた。目を閉じて海堂の体温に甘えきっていたリョーマは薄く目を開く。耳に直接流れ込む位置で、海堂は言った。
「誕生日おめでとう」






おわり




(200501016)

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 リョ海なれそめ話最終話。終わりです。
 解説という名の言い訳に付き合ってくださる方はレッツスクロール。





















 さて言い訳です。
 なれそめって言うクセくっついてないよ?ですが、
 お互いが特別を認識した瞬間が恋のはじまりというコトでひとつ。
 リョーマはもう海堂が大好きですが海堂はまだ弟とリョーマの差が分かっていません。
 でもこういうのは経験の差だと思うので、想い的にはイコールだと思っております。
 「13歳のこども」というタイトルは、ラストでばらした通り、リョーマのことでした。
 元ネタは「twelve Y.O.」という福井晴敏の小説と、
 『自分が子供だと自覚した瞬間に人は大人になる』という昔どっかで読んだフレーズです。
 大人には程遠いふたりですが、大人へのステップを踏み始めた一歩としてタイトルに付けてみました。
 13話も費やしてキスもない相変わらずのカマトトっぷりですがお楽しみいただけたなら幸いです。
 読んでくださってありがとう!!