『とんがった10のお題/有刺鉄線(リョーマ×海堂)



 ただ一緒にいたいだけ。アンタが何をしていたっていい、ただ傍に居たいだけ。そう言うと、海堂先輩は不思議そうな顔をした。眉を寄せて唇を曲げて、理解出来ない風に見下ろしてくる。濡れた髪からポタリと落ちる雫。それが床に届くまでの短い沈黙。この人はいつだってそうだった。自分が納得しない間は内側に閉じこもり、消化できてからようやく口を開く。この潔癖な頑なさがこの人の魅力であり、けれど誤解を生む元でもある。沈黙と凝視が勘違いされ喧嘩になることも多くて、その度にこの人は誰も居ないところで落ち込んだ。部活の後の自主練がいつもよりずっと長くなって、その後グラウンド脇で頭から水を被る。夏が終わる季節になっても時折、びしょ濡れで部室に戻ってくるのに気が付いて、この人の弱いところを知った。一度知ってしまえば気になって、息が白くなってきても水を被るのをやめない姿に胸が痛くなった。何かしたいと思うようになった。この人が楽で居られるように、何か。自分は出来るはずだと考えて、けれど何が出来るのか分からなくて、結局、自分がこの人を傍で見ていただけなのだと理解した。出来ることなら笑った顔を見ていたい。オレが自分の思いをようやく納得した時に、図ったようにこの人がズブ濡れで部室に帰ってくるものだから、どうしようもないものに押し切られて言葉が滑りでた。
 冬の、しかも夜の部室は冷える。日差しに暖められた空気はとうに逃げ、簡単な作りの建物にはあちこちから風が入り込む。テニスコートを照らすライトを逆光に、暗い室内に入ってきた人は、やっぱり濡れていた。あまりに予想通りでため息がでる。
 こちらの姿は陰に隠れて見えないようで、ひどく無防備な顔をしていた――このまま黙って眺めていようか。ひとりきりの姿を掠め見ることは、とても魅力的に思えた。思わずつばを飲み込む。けれど直ぐにバレてしまうだろうと頭を振り、諦めた。そして代わりにタオルをほうる。薄闇のなかで白いタオルがふわりと広がり、海堂先輩はびくりと身をすくめた。その仕草で少し満足して、次の瞬間に付いた明かりの下でにやりと笑う。
「…………何しやがんだ」
「別に」
「何なんだ」
「頭、拭いたら」
 海堂先輩は少し不機嫌に見下ろしてくる。けれど部活中のイラついた、どうしようもなく急いているような雰囲気は無くなっていて、オレはほっとした。海堂先輩はひっかかったオレのタオルを見下ろすと、ためらう視線をよこす。それに頷いて返して、オレは椅子の上で手足を縮めた。ロッカーに向かいかけていた海堂先輩が振り返る。
「寒いならとっとと帰れ」
「別に。かいどーセンパイこそ、寒いんだから止めたらどうッスか」
 水なんて被るの、というのは言わなかった。あんまりハッキリ言い過ぎると、却って怒らせてしまったり負担になってしまうのは分かっていた。少しぼかした言い方に、はたして海堂先輩はバツの悪そうな顔になる。別にそんな顔をさせたい訳ではなかった。
「関係、ねぇだろ。本当に何の用なんだ」
「別に」
「…………テメェな。男テニじゃなかったら殴られるぞ」
 怒るのと、呆れるのと、そして心配してくれるのが混じった声。こんな声や言葉を吐くから悪いのだとオレは思う。無愛想で荒っぽい仕草に紛れて妙に優しかったりするものだから驚いてしまう。眉をひそめて人を睨みつける割に弱い姿を見せるから心が揺れる。けれどこんなことを言ったら、さらに怒らせて傷つけるだけだった。だから言えない。用事はアンタを見ることなのだとは、とても言えなかった。
 すこし間が空いて、海堂先輩はオレに背中を向けて着替えはじめる。しなやかに筋肉の付いた、オレよりも広い背中が蛍光灯にさらされる。何故だか痛々しげなその背中を庇いたいなと思うのに、思うほど負担になっているような自分が悲しかった。海堂先輩が動くたび、肩甲骨と背骨のくぼんだ所に落ちた影が、尖った図形を作る。動き続けるその影は、意思を持つ棘の群れのように見えた。








初出:2005/01/30、日記にて
ページ作成:2005/02/18



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