『無意識な10のお題/爪噛み』(乾←海堂←越前)
ねぇ、それ、やめて。 部活中、先輩たちの試合を見ている時、いつの間にか隣に並んでいた越前に心底嫌そうに言われた。けれど何を言われているのか分からないで黙っていたら、せっかちな腕がぐいと伸びてオレの顔のすぐ傍に来る。そして口元を覆っていたオレの手を掴んで、盛大に文句を言った。 「なんでこんなことするんスか?爪、ぼろぼろじゃん。見てて痛いっすよ」 「…………ああ、」 越前がオレの小指を両手でしっかり掴み、覗きこんで嫌な顔をするのに、越前の嫌がる理由にようやく気づく。無意識の行動に、自覚はなかった。食いちぎられ、限界まで短い小指の爪はがたがたで、肌とのふちが赤く血の色を覗かせていた。それは最近になって随分当たり前になってしまったので、オレは気にしてもいなかった。 「あんた、そんなクセあった?」 「うるせぇよ、ほっとけ」 「ほっとける訳ないでしょ、好きなんだから」 「頼むからほっとけ」 「嫌」 オレの母親はうるさい方だったから、幼いころの大抵のクセは全て矯正されている。最近になって爪を噛むクセが出てきたというのなら、それはきっとストレスのせいだ。いっそうギュッと手を掴んできた越前に、そのストレスとはこの後輩の異常行動ではないかと思えてくる。 「キシキシカチカチ、嫌な音するしさ。何より海堂先輩さ、すごい怖い顔して爪噛んでるっすよ。やめなよ」 クソ生意気な、けれど間違いなく強いことだけは認めていたこの後輩と、オレは決して仲が良い方ではない。そもそも部活中にオレが言葉を交わす相手はほとんどいない。なのに、近頃、越前は急にオレの周りにまとわりつき、やらたと話しかけ、強引に触りたがった。意味が分からなくて、どうやって追い払ったら良いのかも分からず、ここ数日は押し切られぎみだった。そう、正に今、現在進行中な具合に。 「うっせえよ、手ぇ離せ。試合見んだよ」 「いいじゃん。見なくて。あんなの」 越前は掴んだ手をさらに強く握って、手を離す気など全く無いと態度で示してくる。けれどそれ以上に、越前が低く吐き捨てた台詞にカッとなる。 「あんなのって、テメ、先輩だぞ!?」 「オレのが強い!」 オレの怒鳴り声に、越前はさらに声を荒げた。周りの部員はちは驚いてオレたちを見た。コート脇はシンと静まりかえる。試合に集中する乾と桃城のみはそのやり取りに気づかず、ただラリーを交わす鋭い音を響かせた。オレは越前に握りこまれた手を反対に掴み、テニスコートを抜けだした。 「てめぇは一体何のつもりなんだ、何が言いたいんだ、何がしたいんだ」 「あんたが好きなんスよ」 「意味が分からねぇな」 部室の裏。もはや怒鳴る気にもならず、苛立ち半分、訳が分からないの半分で越前に問えば、答えにならない答えを返される。もう、誰かコイツをどうにかしてくれと、内心泣きが入る気分だった。 「あんたが悪いんスよ」 「オレのせいかよ」 「そうッス」 ぎらりと下から睨みつけられる。一年のくせに堂に入った眼光だとは思ったが、もう、まともに相手をする気にもならなかった。好きだと言ったり、先輩を馬鹿にしたり、人のせいにしたり。怒りを通り越してため息が出た。こんな風に、後輩のカウンセラーをやるのはオレの役回りではないはずだ。 「気分で人を振り回すのはやめろ。迷惑だ」 「……振り回す?」 オレを睨みつけた目が意外そうに見開かれ、越前が言葉を繰り返した。その馬鹿にしたような響きに、萎えたはずの怒りが再燃しそうになるのを、オレはなんとか堪える。越前がようやく理由を話す気になったらしいから。 「オレに振り回されてんの?違うでしょ?……あんたを振り回してんのは、乾先輩でしょ!?」 ヒステリックに荒げられる声。越前のこんな声を聞くのは初めてで、何故これほど切羽詰った声を出すのか分からなくて面食らう。そもそも、なんでここで乾先輩が出てくるのか分からなかった。けれど、越前はオレが答えるのも待たずに続ける。 「何でオレがあんたの隣に居るか分かってんの?気付いてないの?乾先輩がいないからっしょ?あの人が、……あんたに飽きたからでしょ。気付きたくないの?それでも良いよオレは別に。やっとあんたの隣が空いたんだ。でもさ、でも、それならやめてよね、あんな顔すんの」 越前が何を言っているのか、良く分からなかった。 「やめてよね、あんな風に爪噛むの。血が出るまで、なんて、自傷みたいの。……やめてよ」 越前こそが痛いように、顔をくしゃくしゃにしていた。オレは左の小指を眺める。ぎざぎざの爪に、血の色が滴っていた。けれど痛くなんか、なかった。 初出:2004/11/18、日記にて ページ作成:2004/12/08 |