『無意識な10のお題/自分の癖』 (リョーマ×海堂)




 オレも人のことが言えた義理じゃなかった。人付き合いはとても苦手で、いつもどうしたら良いか分からなくて、いっそ煩わしいくらいだ。放って置いてくれてと思ったことは何度もあるし、思うだけでなく言葉に出すことも珍しくは無いから今では周りもそれなりに扱ってくれる。去年の春に入部したときこそ少し辛かったが、それでも早く強くなりたいという思いのほうがずっと強くて大して気にもならなかった。だから、分かるといえば、分かる。周りなどどうでも良いから兎に角、自分が早く強くなることだけを考えていたくて、強くなるために役に立つことだけしていたいと思うことは、相当歪んではいるが理解出来るのだ。けれど、それでも、突然垣間見えた越前の心はひどく馴染まないものだった。だから、オレも人のことが言えた義理じゃないが、そう前置きして話し出した。初冬の夕方の帰り道、空はもう真っ暗だった。越前はオレの隣を歩きながら、面白いものを眺めるようにオレを見上げていた。
「……お前は少し、おかしいと思う」
 流石に言いにくくて歯切れが悪くなった。けれど越前は何てことないように、へえ、と笑った。まるで当たり前のことに今更気付いたのだろうか、といわんばかりの軽い応じ方だった。

 きっかけは些細なことだった。火曜日の三時間目と四時間目。一年二組の音楽の授業は長引いてしまいがちで、三時間目のあとの十分休みに食い込んでしまうことがよくあった。そのため一年二組の生徒が教室を出ると、廊下にはもう四時間目の準備を整えた二年七組の生徒がズラリと廊下に並んでいる。一年坊主たちは少し急かされている気分でぱたぱたと上級生の前を駆け抜けていき、けれど中には悠然と歩くのも居て、それが越前だった。毎度毎度、海堂の前をのんびり歩き「ちーっス」と面白そうに挨拶をして通り過ぎていく。海堂は海堂で、越前の揶揄するような態度が気に食わないながらも律儀に返事をしていたものだから、最初はテニス部らしい一年の態度の大きさを見咎めていた海堂のクラスメイトも次第に越前を気にしなくなった。ただ海堂だけが、いつだって独りで廊下を折れ階段を下っていく越前の背中を眉をひそめて見詰めていた。隣に並んだ友人に「あの後輩が嫌いなのか」と聞かれてしまうほどに。
 一旦気付いてしまえば、海堂が驚くほど越前は独りだった。音楽室からの帰り道、そして音楽室の中でちらりと見える姿と、いつだって越前は同じ風に振舞っていた。強烈に周囲から浮くのではなく、集団の一番最後に付かず離れずの格好で、けれど本当は全く隔絶しているようだった。気をつけて見れば部活内でも同じ光景を見ることがあった。レギュラーとして集合を掛けられる前、他の一年たちと一緒にコート整備や準備体操をしている時がそれだった。誰とも話さない訳ではなく、暗く俯いている訳でもない。笑っていることもある。それでも越前と他の一年との間には紛れも無い断絶があるように見えた。少なくとも越前はそれを理解し、むしろその孤独を望んでいるようにさえ見えた。
 そして、越前がその孤独の膜を解くのは、レギュラーの上級生の間に混じった時だけだった。さらに厳しくを言えば、越前は自分より格上と思えるレギュラーとのみ接触を望んでいるようだった。越前が、学ぶところがあると思える相手にのみ越前は目を合わせ挑みかかった。一度気付いてしまえはそれは鮮やかなほどの選別で、海堂は胃の奥がゾワリとした。テニスが全て。それは海堂にだって同じことだ。けれど、越前の取捨選択は、あまりに度の過ぎた、幅の狭すぎるものに思えて、ひどく気持ち悪かった。海堂は思った。それじゃあまるで、まるで。

「お前はテニスのための機械みたいだ……」
 促すようにして海堂に言わせた言葉に、越前は傷つくでもなくにやりと笑う。海堂の見当違いが全く可笑しいと笑う。
「そんな訳ないでしょ。オレがやりたいからやってるに決まってる。海堂先輩だって同じでしょ?」
「でも、お前のは……違う」
 あっさり否定されて、海堂はどう言えば良いのか分からなかった。確かに海堂自身も同じようではあった。けれど、それでも違うのだ。海堂には、寄ると触ると取っ組み合いの桃城がいて、それを嗜める同学年の部活仲間がいて、手を差し伸べてくれる先輩がいた。彼らとの縁を取り持つのはテニスだけれど、間にあるのはテニスだけではない。誰とでも親しく出来るわけではないが、教室の中でも何となく気心の知れている友人のひとりふたり位はいる。言葉にすれば気恥ずかしくて仕方ないが、部活でも教室でも海堂は確かに友情のようなものを受け取っていた。
「……お前は、テニスをするためだけに此処にいる訳じゃねえだろ」
 海堂は、迷い迷い口を開く。普段は自分の考えを言葉にすることから逃げているためだろうか、思ったままを表す言葉が見つからなかった。テニスをすること、此処にいること、誰かといること。つまりは『生きる』ことだったが、海堂にはまだその言葉が使えなかった。
「オレはテニスをするためだけに青学にいるッスよ。じゃなきゃ、こんな湿気ばかりの国になんて来なかった。……海堂先輩だって、テニスがしたくて――手塚部長に憧れて青学に入ったって、言ってたでしょ?」
 越前は、この国に来る、と言った。その言葉は海堂に、自分と後輩の違いを改めて思い知らせたが、言った本人は気付かなかった。海堂の驚きに気付かず、越前の口調はふと弱気になる。海堂が何を言うのかと面白がってみたものの、理解出来ない言葉の羅列に少しだけ動揺したためだ。けれど、越前にしてみれば当然の動揺だ。殉教者のような直向さでテニスに取り組む海堂は、それこそテニスをするためだけに居るような人だった。自分があからさまにしない思いをストレートに出してしまう海堂だからこそ、越前はこの一つ上の先輩に好意を持っていた。それなのに、突然、この人は一体何を言い出すのだろう。越前こそ海堂が分からないと思った。
 海堂は考え込むように、越前を目を合わせたまま唇を噛む。その様子に越前はますます不安を煽られた。
「……オレがテニスのために青学入ったのは本当だけど、それ以外のもんだってあんだろうが」
「オレはテニス以外興味ない。もうずっと前からそうだ。それ以外なんて、あんたしか居ない」
 海堂自身はっきりとは言えなかったから、それ以外のもの、と、とても曖昧な言い方をした。それを越前は、低く重い声で、たったひとつに限定してみせた。海堂は越前の言葉を量りかねて、ただじっと越前を見る。
「オレはテニス以外大事じゃないけど、大事じゃないから、あんたが良いなって思ってる。テニス以外を見ないあんたが好きだと思ってるっスよ」
 たったひとつに偏った視界の中で、あんただけが特別。越前の言葉は、ひどくロマンチックな告白にも聞こえた。けれど海堂は否定する。
「オレは、テニス以外にも大事なものがある」
 日が落ちて、風が冷たくなっていた。越前は寒風にさらされながら、けれどぴくりとも動かずに海堂を見上げていた。海堂は一度言葉を切って大きく息を吐くと、冷たい空気で肺を満たす。そして言った。
「オレが例外ならそれでもいい。でも、もっと他に増やしやがれ。お前がテニスしか見てないのはおかしいし、気持ち悪いし、……悲しいとオレは思う」

 海堂がきっととても大事なことを言っているのは分かっていた。勿論自分も真剣に話していた、ついさっきまで。けれど。越前は海堂を見上げながら思う。……果たしてこれは両想いだろうか。




初出:2004/12/07、日記にて
ページ作成:2004/12/08



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