『無意識な10のお題/唇を噛む』(リョーマ×海堂)



 正直に言えば尊敬している。憧れていると言ってもいい。その強さと、試合への執着。年数や環境を引き比べることすら無意味に思えるほど圧倒的な力の違いを見せ付けられることに、屈折した喜びを感じていることも本当だ。どれほど努力しても追いつけない存在に打ちのめされる度、いつか追いつき追い越すのだと心が奮い立つ。ただ問題なのは、その存在があまりに身近すぎるということだ。海堂は必死に追いすがって結局取れなかったボールの後姿を眺めながら、バランスを崩してコートに倒れこむその一瞬に思った。
「Won by Echizen, six games to four!……オレの勝ちっスね」
 得意そうな声が夕方の境内に響く。その息がすっかり上がっているのが海堂にとってせめてもの救いだったが、負けに変わりは無かった。これで16戦0勝16敗。リョーマと二人で練習するようになってから、海堂はリョーマに勝てたためしがなかった。倒すべき目標があるのは喜ぶべきこと。けれどこんなに頻繁に打ちのめされては、一々立ち直るのだって体力が居るというものだ。少しは手加減しやがれとか手を抜きでもしたら殺してやるとか、悔しさのあまり海堂は頭がグルグルする。コートに倒れこんだまま起きる気にも、ましてリョーマに応えてやる気にもなれず突っ伏した。
「セーンパイ?かいどー先輩?」
 どうかしたの、とリョーマがネットを越えて近づいてくる。海堂は声の調子でそれに気付いていた。どうかしたのじゃねえよテメェに負けたんだよ。心の内で呟いた。けれど言葉に出すにはあんまり情けなくて、海堂はリョーマを丸っきり無視して地面になつく。リョーマはそれをちょっと見下ろした後、横にひょいと座り込んだ。
 海堂の片頬とバンダナはすっかり土で汚れてしまっていて少しみっともない。けれど、今のふて腐れた様子の海堂には妙に似合っていて、リョーマはついつい笑ってしまう。ふ、と漏れた不揃いな息に、それまで視線を下げていた海堂が敏感に反応する。リョーマをジロリと睨みあげる目付きは、相変わらずのガラの悪さだ。けれどリョーマはそれに怯むどころか益々楽しげに笑う。
「なんでそんなに拗ねてるんっスか?」
「……年上を捕まえて拗ねるとは何様だよクソ生意気が」
「リョーマさまvって言われてるっス」
「…………………………もっと日本語勉強しやがれ……」
 海堂はひょうひょうと応じるリョーマにため息をつく。なんでこんなヤツに、こんなヤツが、いや日本語が不自由なだけで馬鹿じゃないはず、でも言葉の問題か?海堂は再びグルグルしはじめて、けれどもう考えるのに疲れてそれを放棄した。根底にあるのは常にたった一つだった。海堂はため息とは違う、長い息を吐き出してゴロリと仰向ける。直ぐ真上に、面白そうに口角をきゅっと上げてこちらを見るリョーマの顔があった。
「悔しい。勝ちてぇ」
 リョーマの目をじっと見据えて海堂が言う。海堂の本音そのものの言葉に、リョーマは笑顔を作り変える。楽しいというより、嬉しそうな笑顔。そうして海堂の汚れてしまった頬に指を伸ばした。親指でぐいと土ぼこりを拭い取る。海堂は少し粗いリョーマの手つきに眉を寄せたが、特に止めはしなかった。
「オレは、アンタが悔しがってると、凄く嬉しい。絶対に負けてやんない、もっと強くなる、て思う。アンタが唇かみ締めて睨みつけてきたりすると、何かもうゾクゾクするっスよ」
 言葉と一緒にリョーマは海堂の唇を指でなぞった。海堂はリョーマの目を見て微動だにしない。初夏の長い日差しも徐々に暮れてきて、二人の居るテニスコートもだんだんと群青色に呑み込まれていった。
「……こういう風に、跡がついちゃうのだけは嫌っスけど。ああ、でも、刻印みたいでちょっと良いかな?」
 嬉しそうに尋ねるリョーマに海堂は、知らねぇよ、とすげなく返す。けれどリョーマは、今更つれない返事にへこたれるようなことは無かった。じゃあやってみる、と呟くと、都合良く忍び寄ってきた宵闇に隠れてリョーマは海堂に顔を寄せる。じっとリョーマを見据えていた海堂が目蓋を落とすまで、至近距離で見詰め合った。一瞬、二瞬、三瞬くらいの攻防。そしてお互いに目を閉じ、唇を重ねた。
「……どう?」
「…………ってぇよ、馬鹿野郎」

 もうほとんど真っ暗の空の下、二人の体が離れ、立ち上がる。短い沙汰をして、あっさりと別れる。リョーマはすぐ隣の自宅に、海堂は歩いて家に。けれど海堂の唇にはうっすらと赤い筋が残り、リョーマの舌には鉄の味が生々しく残った。
 そうして二人には、いつか解けるかもしれない絆がまたひとつ、増えた。








初出:2004/11/25、日記にて
ページ作成:2004/12/08



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