『無意識な10のお題/呼吸(仁王×柳生)



 あなたを待つのは嫌いじゃない、むしろ好きかもしれない。何の拍子だったか仁王くんにそう告げたことがあった。仁王くんはすこしの間の後含んだように笑って、そうだと助かるぅよと言った。何かワタシの意図したのと違うものを受け取ったようだった。そしてそれは彼に有りがちなことだった。人より早く回るらしい彼の脳味噌は、時に事実を奇妙なふうに結びつけ一風変わった結論を導き出してしまうようなのだ。彼自身はその働きを丸っきり信じて人より物が見えているように振舞うが、見当外れの憶測で動くさまはワタシにはとても可笑しく見えた。もちろんだから嫌いになるとかそいうい事ではなくて、すこし抜けた所にますます愛しさが募る。そう、ちょうど今のように。
 現在午後1時45分。場所図書室。父母会で午前終わりだった今日、特に約束した訳ではなかったが一緒に帰っていつもより長くふたりで居ようということになっていた。なっていたというか、朝練のあと仁王くんがぼそりと「オレ、今日掃除当番なんだけど」と言い、それにワタシが「じゃあ図書室で待っています」と返したのだが。そして1時半くらいだったろうか、仁王くんが図書室に顔を覗かせた。それから10分ほど経った今、彼はワタシの隣で机に突っ伏し恨めしげにワタシを見上げている。けれどワタシは気付かないことにしている。一心不乱に小説に集中しているように見せかける。何故って、仁王くんが愛しくて仕方ないから。何か途方も無い勘違いをしてうろたえている彼が、それは可愛くて仕方ないものだから、ワタシは気付かない。
 そもそもワタシは手持ちの文庫を読んで時間を潰すのだから、別に図書室でなくて構わない。教室でも食堂でもロビーでもいい。それをわざわざ校舎の奥まった場所にある図書室に指定しているのは、ただ仁王くんが図書室を苦手としているから。行き慣れない上に独特の閉鎖的なムードが性に合わないらしく、図書室の分厚い扉を押し開ける時、仁王くんはなんとも言えない緊張した顔になる。まずそれが良い。次にワタシが本を読んでいると、仁王くんは声を掛けてこない。ワタシが気付くまで、どれだけ時間が掛かろうと傍でじっ待つ。『待て』を食らった日本犬のような風情の彼はこの時以外見れるものじゃなくて、お陰でいつも随分待たせてしまう。申し訳ないなと思いつつ、けれど彼の思い違いが愛しいのと裏腹に少し悔しくもあるから止められない。
 仁王くんはあまり本を読まない人だから『読書』という響きになにか高尚なものを感じてしまうらしい。けれどそれを割り引いて見ても彼の態度は可愛らしい反面ワタシをひどく苛立たせる。ワタシを何だと思っているのですか、そう問い詰めたくなる衝動をぐっと堪えて、そのかわりにささやかな『待て』を示すのだ。
 ワタシは本を読んでいると周りが見えなくなる。確かに本当のことで、情けないことだが時々電車を乗り過ごしたりする。仁王くんはそれを知っているから自分が来ても気付かないのは仕方ないと思うのだろうが、けれどワタシにしてみればあんまりな侮りだ。ワタシが仁王くんに気付かない、なんてことは、有り得ないのに。ワタシの中のヒエラルキーが彼より本のほうが高くて当然と、彼が思っていることが腹立たしい。だから言ってやりたくなる、ワタシを何だと思っているのですか、と。自分ばっかり好きだと思い込んでいるのは彼の自惚れで、ワタシに対する大きな侮辱だった。
 急いで図書室に来てくれたらしく、先ほど隣の席についたとき仁王くんの息は少し上がっていて、ほんの僅かに汗の匂いがした。そして今はフウとため息をつく。視線は本に固定しておかなければならなかったが、視覚以外の全身は全て感覚器にして彼を探る。焦れたような視線、頻繁な衣擦れの音、そして息遣い。彼を全部知っておきたくてその一挙一動に集中すると、ますます彼に『待て』を伝えるタイミングを計り損ねた。いつ気付こうかと迷う一緒に、彼が自分のヒエラルキーを上げたいと思ってくれないだろうかと期待もした。自分に気付けと強制してほしいとも、思ってしまう。流石にこれは、ただのワガママになってしまうのは分かっているが。
 現在1時50分。……もう少しだけ、腹立たしくて愛しい貴方を見させてください。






初出:2004/11/28、日記にて
ページ作成:2004/12/08



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