『無意識な10のお題/鼻歌(リョーマ×海堂)



 だらり、と、溢れ流れ出した血。血管が破れた鮮やかな赤。
 大量のそれは頬を首筋をつたって流れ、ジャージまでも転々と赤く染まっている。うろたえ騒ぐ周囲に、けれど血を流す本人は痛みを感じていないように平然と振舞う。それが却って痛々しくて皆、海堂から目を逸らすのだけれど、見ていられないと思う本当の理由は違っていた。黒い髪に焼けない肌、その上をたあっと流れる真っ赤の血。黒と白と赤のコントラストはとてもシンプルで、それだけ強く目をひいて、見る人に綺麗だと思わせた。ぼうっと眺めた後、ようやく血に惹かれるタブーに気付いて顔を背ける。痛そうで見ていられない、と理由を付けて。それは至って普通の反応だ。けれど、リョーマはタブーを知らなかった。育った環境が悪かったのためか、ただ純粋に越前個人の資質なのか、知る術はない。ただ間違いなく言えることは、海堂にとって非常な不運だった、ということだ。
 リョーマが以前負ったのとまるで同じ場所の傷を、同じようにテニスコートの中で。奇妙な符丁に加えて、あんまりに鮮やかな赤。リョーマの何某かを刺激しないでは、いなかった。

「……いたい?」
「分かってんなら、やめろ」
「やーめない。楽しいもん」
「悪趣味ヤロー」
 …・・・それに付き合っちゃってるセンパイも、けっこうイイ趣味してるよね。リョーマは仏頂面の海堂を可笑しく思ったが、これ以上機嫌を損ねても仕方ないので口には出さなかった。その代わり、止めていた動きを再開させる。途中まで剥がしたこめかみのガーゼを、勢い良く引っ張った。乾いて張り付いたガーゼが取り去られ、傷口がピリリと痛む。そこから血がにじむのと海堂が眉間にシワを作るのを、交互に見やってリョーマは笑う。
「なかなか治んないね」
「……テメーのせいなんじゃねぇの」
「そう?」
 六角戦で作ってしまった海堂の傷は、派手に出血しただけあって深いものだった。しかし病院には行ったものの、かなり広範囲を擦ってごっそり皮膚が剥がれていたため縫うことも出来ず、化膿止めを塗ってガーゼを当てておくのが精一杯だった。それなのに海堂はどうということは無いという顔をして傷の手当てをなおざりにしていたため、激怒した竜崎が毎日必ずガーゼの交換と薬の塗布を行うよう海堂に命じた。しかもただ言うだけではなく、手当て一式を竜崎が学校用に一組保管し、毎朝それを取りに来るよう監視するという念の入れようだ。その際には前の晩にきちんと交換したかもバッチリ見張っており、どちらかといえば生真面目な海堂はもう従うしかなかった。朝練のあと、とても面倒くさそうに海堂が傷の手当てをしているのを、見逃さなかったのがリョーマだった。リョーマは自分が手伝ってやると海堂に申し出て、そして現在の状態に至っている。
「何ならセンパイ、自分でやる?」
「めんどくせぇ」
「センパイ、練習はマメなのにね」
 変なの、とリョーマは笑った。海堂はもう答える気もしないのか、仏頂面のまま押し黙っている。リョーマが妙に、今回の傷に執着していることは海堂も気付いていた。奇妙だとは思ったし、ガーゼを取り去ってからじっと傷口を見つめるリョーマに気味が悪いとも、正直、思った。けれど、そのぐらいどうでも良いと思えたから、リョーマの好きにさせている。海堂が妥協してしまう位に、リョーマは海堂の赤い色を気に入っていた。
「きれい」
「……そうかよ」
 リョーマはうっとりと呟くと、その色を隠してしまうのを惜しむようにノロノロと、消毒液を含ませた脱脂綿を傷に押し当てる。少し残念そうにしたリョーマは、けれど、消毒が染みて海堂が顔をしかめるのに再び嬉しそうにする。海堂はちっと舌打ちをした。ぼそりとこぼす。
「サド」
「センパイはマゾだから、ぴったりでしょ」
「勝手に決めんな、ボケ」
「ちゃんと経験から言ってるんスけどね」
 ほら、証拠、と言って。リョーマは海堂のこめかみに、自分の唇を押し付けた。舌でベロリと傷口を舐め上げる。皮膚が削げたところと残っているところの境目をリョーマの舌がゆっくり辿ってくと、海堂は小さく身を震わせた。リョーマはそれを見て、嬉しそうに笑う。嫌味や嘲りは全く含まれない笑いだったから、海堂はただ顔を赤くした。

 放課後。部活が始まり、海堂はいつも通り熱心に練習を繰り返す。けれど目の上には大きなガーゼが覆っている。その白い布はひどく目立ったので、皆ふと目の端に止めては痛々しく見るのだ。ベンチで休憩中の黄金コンビは、海堂が入っているテニスコートを見ながら話す。
「海堂のあれ、なっかなか治んないね!」
「ああ、竜崎先生も心配してたしなぁ。傷が残っちゃうかもね」
「えー、薫ちゃん綺麗な肌してるのに。かわいそうだにゃ〜」
 確かに可哀相だね。リョーマは黄金のふたりが座るベンチから、少し離れたところでその話を聞いていた。けれど思う。センパイの顔に傷が残ってしまうことは可哀相だが、悪くない、と。あの赤い色が、自分の傷跡と同じ場所に、海堂に消えない痕を残す。それはまるで、この不安定な関係を繋ぎ止めるくさびのようだ。
「あー……?」
「え、何だ?エージ」
 海堂を肴に大石とだべっていた菊丸は、急に言葉を止めて、周りを見回すようにする。
「ああ、おチビかぁ」
「越前が、どうしたんだ?」
 へえーと驚いたように顔をほころばせる菊丸に、大石はまだ訳が分からない風に尋ねる。菊丸は、あのね、と笑っていった。
「鼻歌が、聞こえたんだよ。んで誰だろーと思ったらあっちにおチビがいたの。もうどっか行くところだったみたいだけど。珍しいよね、おチビがそんなに浮かれるの」
「へぇ。良いことがあったんだろうね」







初出:2004/11/23、日記にて
ページ作成:2004/12/08



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