盲人のうそ・10





 キーボードを叩く高い音と紙の擦れる鋭い音、それに時折何かを書く鈍い音。そんな物音がよく響く静かな室内には、真っ直ぐな午前の日差しが差し込む。床に反射した光は部屋中に広がり、現実感がないくらい明るい。幸村はふっと書類から目を離し、白く発光するような室内を見た。力を抜いた掌から転がったペンが、カラリ、と鳴る。
 ひまという程ではないが特別差し迫った案件も無い今日、部のものの多くはここぞとばかりに訓練場に飛び出していった。今部屋にいるのは彼がサインしないと進まない書類に囲まれた幸村と、しかめっ面の上司を哀れんだ柳生だけだ。だからとても静かで、のんびりしていた。
 幸村は、くわ、と大きく口を開き、堪えきれない欠伸を漏らす。目尻に涙を溜めながら、こんな日にデスクワークなんて拷問だな、と内心呟く。書類に集中するどころではなく、眠気覚ましを探して視線が室内をさ迷う。けれど広くもない部屋で見るものと言えば部下の後姿くらいだ。幸村は漫然と彼を眺める。パソコンに向う背中はすっと伸び、茶色の髪は光を映し、まるで等身大の丹精な人形が座っているようだった。相手が気が付かないのを良いことに、幸村は無遠慮に視線を浴びせる。人形遊びをするならきっと、大人しくて内気な性格を割り当てられるだろう、静かな横顔。そして、そこに人形ではない印を見つけて、幸村は少し目を大きくし、ほんの少し気まずさに目を逸らし、けれど楽しげに口を開いた。
「ねえ柳生」
「はい?」
 呼びかければ、間髪入れずに返ってくる気持ちのよい返事と笑顔。釣られてこちらも笑顔になる感じの良さは柳生の素だ。あんまり自然に万人に向けられるそれは、あるいは無表情と同じなのかもしれないと、微笑みながら幸村は思う。
「最近、仁王が良い感じだよねえ。作戦中遊ばなくなったし、終わんの早くなったし」
「そうですね」
「これが教育の成果ってこと?さすが見事な手腕だね……代わりに、ずいぶん跡が増えたみたいだけど。仁王って淡白なほうだと思ってたんだけどなあ」
 感情を乱さず控えめな同意を示す、柳生のそつのない返事が可愛くない。幸村は仕返しのように露骨に柳生の体を眺めた。長めの襟足に隠れた首筋や、手首の内側。制服からぎりぎり出てしまう辺りを狙って、見せたいように付けられた鬱血の跡が覗いていた。柳生のストイックな印象と相反する印は、ぎょっとするほど艶かしく見える。
「どこかの中年みたいなこと言っていると、セクハラで訴えますよ」
 幸村の微笑みが下世話な気配を帯びたのを敏感に嗅ぎ取って、柳生は眉をひそめた。ふっと溜め息をつく。心底下らないとでも言いたげな仕草は相手を哀れんでさえいるようだ。畳み掛けるように柳生は言う。
「そもそも貴方、気付いていたでしょう?」
「何が?」
「私が仁王くんに化けた時。貴方は私だと知っていて赤也くんを付けたでしょう。正直助かりましたけど、掌で転がされているようで気分は悪いですね」
 穏やかな口調だったが、すっと細められた目は幸村がどこまで分かっているのかを見定めようと光っていた。全く油断ならないが、それ故に信頼出来ると幸村は思う。僅かなりとも柳生の本音を引き出したことに内心ほくそ笑んだ。
「嫌だな、怒るなよ。だってどっちに転んでもオレは良かったんだよ。仁王の性能が上がるのは勿論嬉しいし、あのまま破局しても柳生が戦闘員になるんなら手駒が増えるし」
「嘘ですね」
「なんで?」
 幸村がつらつらと並べた理由を聞いて、柳生は破顔した。窓から差し込む太陽の光を浴びながら、口元を押さえてクスッと笑う。幸村はそれに微笑みを崩さないまま首を傾げる。穏やかで平和な美しい光景だった――ガラス越しに見ているのならば。
「昔の私をご存知でしょう?生きる執着に欠けて大怪我ばかり、敵も皆殺しでなきゃ収まらなかった。自分も含めて人が居るのが嫌だった」
 柳生は、だから、と続けて、それまでと違う笑顔になる。幸村は緩く微笑んだままそれを見た。
「貴方に拾われて仁王くんに会えたことはとても幸運でした」
 目をたわませ唇の端を上げて作られる自然な笑顔から、ふいと力が抜けて蕩けるように笑う。幸せそうな、幸せしか知らない子供のような顔だなと、幸村はじっと見つめる。けれど、その笑顔からは、人の望む笑顔と言葉を振りまきながら人の血に塗れていた過去があったことなど、欠片も見付けられなかった。柳生にとって素晴らしく良い変化に間違いなく、けれど幸村には根本的に分からなかった。
「……何で仁王だった?悪いヤツじゃないけど、そこまで人生変えられる人間でもないだろ」
 本当なら自分で解きたい謎だった。だが幸村には見当が付かなかった。内心忸怩たる思いを抱えたまま、柳生の反応を見るためと自分に口実を付けて、幸村は柳生に尋ねる。微笑みを固定させたままの表情は優しいが、もう短い付き合いではない柳生はその不自然さに勘付いていた。子供の笑顔のまま、柳生はクスリと鼻を鳴らす。
「さあ、何ででしょう。上手くは言えませんが、あの人が居てくれることが、私にとって奇跡のようなものです。お聞きになっていたでしょう?あの人はわたしのために泣いてくれるんです。あれだけで、どれだけでも生きていってやろうと思える。あの人なしでもう一秒も生きたくないんです」
「へえ。お熱くって、良いねえ」
 幸村は茶化すように言って口を閉じる。けれど本当は、じゃあ、つまり、あれでコンビが解消になっていたら死んでいたっていうの?そう聞いてみたい衝動に駆られたが、笑顔のままで頷く柳生が想像出来て止めた。柳生は頭がおかしくなっているな、と幸村は冷静に思う。けれど今更それが何だと言うのだ。
 そして室内にバタン!と大きな音が響く。弾けるように柳生がドアを振り向く。
「昼飯誘いにきたんけど、連れてっても構わんと?」
「どうぞ。もうお昼だし、時間内なら好きなだけ」
「では、また後ほど」
 いつの間にか席を立って柳生がするりと仁王の隣に並び、幸村に小さく会釈して扉に向う。お互いの顔を見合わせるふたりは、ただそれだけで幸せそうだった。幸村は扉が閉まってふたりが完全に見えなくなるまで見詰め、そして、ふうと溜め息をついた。彼らがどこまでもふたりきりでいられればいいと、珍しく感傷的に願いながら。





(20070211)

END.
ブラウザを閉じて戻ってください


 おわりです。功殻機動隊な立海を妄想して楽しんでいたのが始まりの軍隊パラレルでした。仁王が好きすぎる柳生とそれを受け入れる仁王を書くのに生きる死ぬが隣り合わせな状況は分かりやすくて素敵だな、と思って書いてきましたが、果たして成功したのか否かは不明です。書いててすごく楽しかった!