星降る夜は君とふたりで/2






「あ、北極星」
「どれよ?」
「あの、北のほうの。北斗七星の短いところから5倍伸ばしたところの明るい星……って貴方、中学受験の知識はどこにやったんですか。理科の頻出分野だったでしょう」
「そんなもんは、とうの昔に星の彼方と」
「まったく…こんなでは、なぜ貴方があれ程戦術巧みなのか理解に苦しみます。到底結びつきません」
「能在る鷹は爪を隠すんよ」
「隠しすぎです。三学期は補習を受けなくても良い程度にはその爪を見せて下さいね」
「難しいのう」
 そらっとぼけた仁王の返事に、柳生はムッと彼の顔を見る。一瞬の睨みあいのあと、二人は噴き出した。もとより何かが知りたいとか変えたいとかのために話しているのではなくて、ただ話したいためだけに話す、じゃれあいのような会話だ。険悪なムードを設えたところで無理がある。周囲を考えて小さく笑った柳生は、改めて後ろを振り返った。11時まえに二人がこの神社に到着したときよりも、ずっと長い列が出来上がっていた。住宅地の真ん中にひっそりと佇む社への意外な人出に、柳生は驚く。そんなことは当然とばかりに並んでいる前後の人たちに聞かれたくなくて、柳生は小声で仁王に囁いた。
「凄い人数ですね」
「ん?ああ、あげな、ここの神社、先着30人に破魔矢ば配るとね。お守りが100人、だったかいな?だから混むっと」
「神社も面白いことをやるものですね」
「ちなみにうったちは29人目と30人目やけん破魔矢ば貰るうよ。よかとね」
 後ろの人にちらりと目をやって、いたずらが成功したかのようにフフと笑って仁王が言う。何も知らずに仁王が誘うまま付いてきた柳生は、喜ぶ前にその笑顔に呆れてしまった。仁王は柳生の呆れ顔さえ楽しむように眺める。
「そんなに欲しかったのなら、もっと前から来れば良いのに。ギリギリじゃないですか」
「柳生なまだまだ甘いのう。そうやのーて、最小限の労力から最大限の利益ば得ることの楽しいっと」
「そういうものですか…」
「柳生な堅実とね」
 仁王は喉で笑う。柳生はそれが気に触って少々毒を吐いた。
「いつもスレスレな誰かさんと組んでいるものでしてね。せいぜい試験でもその特技を発揮して頂きたいものです」
「お、話の戻らっしゃる」
 非日常は気分を高揚させるものだ。ふざけまじりに揶揄する柳生は、いつもよりもずっとノリが良くて、なかなか気分が開放的になっているらしい。目元は目深に被った帽子とメガネで、口元はマフラーで隠されて表情はあまり読み取れないが、それでも柳生が楽しげであるのが伝わってきて仁王は嬉しい。
 仁王は本当のところ、タダの破魔矢にそれほどの魅力を感じていたわけでもないしイベント好きでもない、どちらかと言えば年中行事全般を下らない因習と感じているほうだ。けれど何の機会だったか、柳生が大晦日の夜には毎年家族で初詣に行くのが恒例行事なのだと話していた。それは仁王に向けて話したのではなくて、丸井やら切原やらと喋っているのを漏れ聴いたのだが、その時の柳生の声がひどく印象的だったのだ。冷静にみせて意外に感情を隠さないタイプであるのは勿論知っていたが、子どものようにはしゃいだ色を滲ませたそんな声は初めて聞いた。その時の感情を、恐らく嫉妬というのだと仁王は思う。学校の掲示板に貼ってある、地域便りに目を留めたのは恐らくそのせいだ。結果、柳生が今家族ではなく自分と一緒にいて、この状況を受け入れている。つまり、仁王は幸せでたまらないのだ。
「あ…っ」
 二人の間に落ちた不快でない沈黙を破ったのは柳生の声。何かに弾かれたような、華やいだ声。社の障子ごしに動く人の影を興味深げに眺めていた視線が一瞬宙をさまよったあと、まっすぐ仁王に降りてくるのが彼をよけい幸せにする。
「何とね?」
「鐘の音が聞こえますよ」
「ああ、大分まえからと。お寺さんの近いかいな?」
「………………気が付いていたんですか」
 遠くから低く届く除夜の鐘。テレビ越しでない鐘の音を柳生は初めて聞いた。耳の奥にぼぉん、と鈍く響く重低音がそれであると気付いて慌てて友人にも教えてやれば、なんとも…な返事。仁王に悪気はないのが分かるだけに怒る気にもならず、柳生は自分の無知を披露したようで気恥ずかしい。けれど仁王と一緒に居るとこんなことはしょっちゅうだった。柳生のほうが成績はずっと良いのに、不思議と仁王と並ぶと柳生は自分が子供のように世の中を知らない気分になるのだ。そして重要なことに、翻弄される感覚は柳生にとって決して不快ではなかった。
 柳生は腕を組み、むう、と下を向いて考え込む。その仕草に隣で柳生を眺めていた仁王は慌てた。俯いた友人の顔は高く巻きつけたマフラーに一層深く沈んで鼻先まで隠れてしまっている。悔しいことに柳生よりも僅かに低い仁王の身長では、表情を読み取ることが難しくなった。おそらくどうでも良いことでグルグルしているのだろう柳生の意識を引き戻すため、仁王は無視してやろうと思っていた発見を柳生に教えてしまうことにする。
 まだ考え中の柳生の袖をツンとひく。まだ思索の世界にいるように緩慢に視線を向けた柳生に、仁王はニヤッと笑いかけた。
「もういっこ気付いてることのあると」
「……何ですか?」
「あんな、ちくっと後ろば振り返り。ばれんようにちくっとな、あすこの方」
 あすこ、と強い方言のまま仁王が顎をしゃくる。ひそめるような声と仕草はどうにも柳生の好奇心をくすぐって、言われるがまま斜め後ろのほう、初詣の行列が道路に沿って曲がった辺りを見渡した。
 薄暗い街灯と点滅する信号機の明かりだけを受けた行列はぼんやりとして個人を判別しにくい。柳生は仁王を振り返って、けれど企むような笑顔でもう一度示された場所を凝らして見てみれば、ふたつほど、周りからぬっと突き出た人影が見えた。正しく頭抜けた長身の二人連れ。柳生は間違いなく見覚えがあった。信号が強く照らす度に浮き上がる表情はとくに普段と変わりなく、これといって会話をしてるようにも見えない。ただ、隣に並んだふたりの距離は随分と近いようだった。
「あのお二人は…たしか、徒歩通学でしたね」
 それならば近所の神社に初詣に行くこともあるだろう、と常識の範囲内で事態を解釈しようとする柳生に、仁王が笑顔でストップをかける。隣り合った肩にポンと手を掛ければ、柳生は仁王が何が言いたいのか分からない様子で首を傾げた。妙に可愛らしい仕草に、何をカマトトぶって、と呆れながらも仁王は傾げた拍子にのぞく首の、線の浮き出た辺りに目がいってしまう。触ってみたい衝動が腹の底から顔を出す。仁王は内心の動揺を押し隠して笑ながら、これが意識したものなら詐欺師とは柳生のことだとチラリと思った。
「ただの部活仲間のふたりで初詣さい来らんけん」
「そんなものですか?」
 柳生は分からない、と眉を寄せる。
「そんなものじゃーなかなら、うったちは何とね?」
「え?」
「ただんダブルスパートナーと?違うとね」
「え…」
「だから、あのお二人さんもそーいうことと。下手に首ば突っ込むとは蹴らるうよ、放っときんしゃい」
 自分たちと同じことだ、と仁王は笑うのに合わせて柳生の肩に置いてあった手をスルリと落とす。柳生が何事か思うまえに手のひらに沿い、ぎゅっと繋いでしまう。とつぜん近づいた、毛糸の手袋越しに伝わる仁王の体温を気にする素振りを見せながらも、柳生は特に抗わず仁王の好きに任せる。そして再び、不思議そうに眉を寄せた。
「つまり、真田くんと柳くんは破魔矢が欲しかったのですか?」
 眉間のシワを深くして柳生が言う。でもあの場所では破魔矢は貰えないでしょうし、それ程欲しいとも思っていない私が貰えてお二人が貰えないのは何だか居心地が悪いですね、と真面目そのもので続ける柳生に、仁王は相槌も打てず笑顔のままぬるく固まった。
 果たして本気で言っているのか、それとも自分との関係をはっきりさせたくなくて誤魔化しているのか。
 仁王は、この季節にしては暖かいはずの空気が途端に低くなったような気がした。
「もしお二人が欲しいと思っていらっしゃるのなら、私の分を差し上げても構わないのですが。申し出たほうが良いのでしょうか」
「…………ほんなごと欲しいなら自分から買うやろ」
「それもそうですね」
 メガネの奥の目がにこりと笑う。安心するなり時計に目をやり、あと4分ですよ、と楽しげに告げてくる柳生に、仁王は、やはりこいつこそが詐欺師だろうと確信した。柳生を独占する幸せを噛み締めていたのはほんの数分前なのに、当の本人によってその幸福感は打ち砕かれた。
「お前さん、ほんなごとオレを好いとーと?」
 仁王は小さく呟く。しかしその声が柳生に届くことは無い。柳生は社の障子ごしに見える、準備のため慌しく動きまわる人影を楽しげに見つめていたし、あと少しでやってくる新年にざわつき始めた周囲の声も大きかった。
 いま仁王に確かなものは、繋いだ手のひらから伝わる柳生の体温。
 仁王はその手をもう一度、ぎゅっと握り直した。
 新年まで、あと2分。





におやぎゅ大晦日デート。
期間限定で公開していた凪ちなむさんとの合同立海サイト「7+1」からの再アップです。
2004/08/24up