ひどいひと   ※ゲーム『学園祭の王子様』設定





 部活の練習だけでも十分忙しいのに、妙な学園祭の準備まで加わって、最近は本当に時間が無かった。好きなことをやっているのだから文句は無いけれど息が詰まる。なので仁王は久々に丸一日空いた日曜日、単館上映の少しマニアックな映画を観て、好みの服屋を覗いて、路上で売っているケバブを食べて、自分の好きなことだけ満喫して過ごした。誰にも気を使わないでいい開放感は格別で、本当に素晴らしい一日になった。けれど、明日に備えて早めの帰路についた夕方四時、何か物足りないような気がして仁王は駅のホームで頭をひねる。そして傾いだ視線の先に足りないピースを見つけて、仁王は完璧に仕上がった『素晴らしい一日』に思わず笑顔になった。
 向かい島のホームの真ん中辺りにある後ろ姿。黒いパンツと明るい茶のジャケットを合わせたシンプルな装いは、仁王が見立てたものだ。柳生は体が綺麗だから飾り立てないほうがいいなと言ったら隣の顔は真っ赤になって、ようやく仁王も言葉の意味に気付いてうろたえた、なんて恥ずかしい思い出も付いてくる服。仁王は記憶の淡い照れににやけながら、けれど柳生の家は仁王と同じ方向のはずで、違うホームに居るのに首を傾げた。いぶかしいの半分、話す口実を見つけて嬉しいの半分で仁王は携帯電話を取り出す。リダイアルの一番に出てくる「やぎゅう」で決定ボタンを押そうとした時、仁王の手が止まる。視線の先の柳生が少し動いて、その先の人影が見えたからだった。
 人影は小さかった。ホームに立つ柳生と電車のドアのところに立つ相手。柳生より高い位置に居るのに柳生の陰に隠れてしまう、女の子だった。名前を知っていた――合同学園祭でテニス部の担当になった広瀬静だと名乗っていたのを仁王は覚えている。広瀬は柳生を見上げて一生懸命話していて、柳生は笑って聞いていた。そして発車のベルが鳴ると彼女はペコリと頭を下げて、柳生はその手をとって指先に口付けた。遠目にも広瀬は真っ赤になって、その瞬間にドアが閉まった。発車した車内に向って柳生が小さく手を振る。彼女は顔を赤くしたままおずおずと手を振り替えして遠ざかる。
 とんでもなくキザで笑えてしまうが、良く様になっているのが柳生らしい、と仁王はどこか遠くで思って、手にしていた携帯を無意識にパクンと閉じた。そして滑り込んできた電車に飛び乗る。発車を告げるベルもアナウンスも聞こえなかった。仁王はドアの前に棒立ちになって、カーブで慌てて手摺りにつかまった。けれど妙に手に力が入らなくて何度も握り直す。熱くもないのに掌は汗で濡れて気持ち悪い。勝気そうな女の子だった。柳生にすっかりまいった風だった。よかったの柳生、年下の彼女とね、そんな言葉を頭の中で無理矢理組み立てる。電車がトンネルに入って窓に顔が映ると、泣きそうに歪んでいた。けれど祝福してやらねばならない。それが柳生との約束だったことを、仁王はふたりを見た瞬間に思い出していた。

 お互いの告白を受け入れた日、柳生はひとつだけ約束を望んだ。これは気の迷いできっとすぐに無くなってしまうものだから、お互いを縛るのは止めよう、と。仁王は生真面目な柳生らしい予防線がむしろ可愛くて切なくてその約束を了解して、けれどその時は柳生が自分以外の誰かに目を向けるなんて欠片も考えなかった。広瀬の指先に触れた唇がはじめて仁王のものになった時のことだった。





 柳生と広瀬は、ほかの部員たちには分からない程度に、けれどあの光景を見てしまった仁王には分かる程度に、控えめな親密さを漂わせて文化祭準備の日々を送っていた。さりげなく彼女をエスコートする柳生と、はにかむ広瀬。仁王は半ば諦めた気分でふたりを眺めていた。柳生に後ろ暗い様子は無く、今まで通り仁王に接してくるのが完全に心を移してしまった証拠のようで、ただ哀しくなるだけだった。
 そして文化祭最終日、優勝し喜び合うふたりを見るのは流石に辛くて、仁王はそっと部員の輪から抜け出した。後夜祭へと向うみんなを見送って、その場にぺたりと座り込む。他の生徒たちも後夜祭に行ってしまった会場は暗くガランとしていて、仁王には都合が良かった――おかげで嫉妬に焼かれた男の姿を人に見せずに済んだ。仁王はぐしゃりと自分の髪を掴んで身を縮める。もう柳生は諦めていたけれど、親しく寄り添う姿を見て耐えられるほど潔くない。目を瞑ればふたりの姿が浮かび、耳を塞げはふたりの会話が再生される。気が狂ってくれれば楽になれるのに、と半ば本気で考えながら仁王はうずくまっていた。
 けれど、コト、という物音に仁王は跳ね立つ。テニス部のブースに電気が付いていた。いぶかしみながら中を覗き込むと、教壇の端に座り込む人影。小さな後ろ姿はほんの少し前までの仁王と同じく、どこか虚脱感が漂っていた。
「……どうしたん?」
 刺激してはいけない気がした仁王がそっと呼びかけると、ゆっくりと丸まった背が伸びて振り返る。強張った顔は仁王を見て力なく笑った。実行委員を買ってでる、前向きで元気な、仁王の恋敵である女の子。柳生のことが無ければ仁王だって好感を持っていた。広瀬のらしくない表情に、仁王の違和感は高まっていく。微笑みを作りながらもう少し近づくと、彼女の膝に本がのっているのが見える。
「本ば読んでた?でも今じゃなくても良かとね。後夜祭いかんの?」
 さも当然そうに聞く仁王に、広瀬は、人のこと言えないですよね、とすかさず切り返す。そして空ろながらも笑みを浮かべて、違います、と答えた。読んでたんじゃないんです、と。彼女の視線が本に落ちて、仁王に比べれば二回りも小さな手が表紙を撫でる。すこし日に焼けたその表紙に、仁王は見覚えがあった。思わずじっと見てしまった視線に広瀬が気付いて、照れたように白状した。
「貸してくれるのじゃなくて、プレゼントしてくれるなんて、期待していいのかなって思うじゃないですか」
 そう思いません?と仁王に同意を求めながら、彼女は仕方ないように笑う。
「でもまあ、本は面白かったし、凄く優しかったし、私は嬉しかったんですから、とても楽しい学園祭でした」
 独り言のように言う広瀬の口調は明るくて、仁王にはひどく痛々しく聞こえた。にこりと笑って、もうちょっとここに居ます、という彼女が本当は笑いたくなどないのが伝わって、仁王はそれ以上掛ける言葉が無かった。すごすごと来た道を引き返しながら、仁王は恋敵の退場に喜ぶことが出来ないで記憶を掘り返す。ふたりが本を話題にずっと話していた駅までの帰り道、ふたりの連名で提案された学園祭の企画、この短い間で柳生と広瀬は傍目にもひどく密な関係を結んでいるように見えた。けれど仁王は気付く。ふたりが並んだ姿はよく見たが、向かい合ったのはあの駅での光景きりしか無かった。
 そして気付けば仁王は後夜祭の会場に着いていて、目敏くその姿を見つけた柳生は人の輪を抜け出した。引きとめかかる周りの手を笑顔で振り払って、文字通り仁王に駆け寄る。
「遅かったんですね、どうなさったんです?」
 キャンプファイヤーのオレンジに照らされた笑顔は見たことがない位はしゃいだもので、そこに少しの不満をのせて仁王の目をまっすぐ見つめる柳生はひどく新鮮だった。理知的に抑制の効いた普段とは違う、子供のような興奮ぶりが無邪気であどけなくて、仁王は目を奪われた。可愛い、と呟きかけて仁王は我に返る。仁王にとっては今もまだ、可愛くて大切な恋人だけれど、女の子を泣かせるのはいけないことだ。仁王は改めて腹を決めて、柳生を見た。
「今ちょっと、よかね?」
「ええ?はい、構いませんよ」
 経緯を問い詰めてやるという決意とは裏腹に、弱気な言葉しか出てはこなかったが。





「おんし、あん子が好きなんじゃろう?」
 仁王が柳生を連れて行った校庭の隅は、火の灯りとみんなの喧騒が遠い分だけ自分の声が響く。急く心のまま言った言葉は思ったより恥ずかしくて、仁王は言ったそばから照れに襲われる。ひとり慌てる仁王を余所に、柳生はきょとんと見返した。
「私が誰を、好きなんですか?」
 柳生は不思議そうに首を傾げながら続ける。
「あなた以外の誰を?」
 何を言っているんですかと言わんばかりの呆れた口調。言葉は仁王をいぶかしむ響きまで含んでいて、むしろ仁王がうろたえる。仁王はまるで言い訳のように続けた。
「だって、ふたりで会うてたとね」
「ご存知だったんですか?そういえば、あなたは随分、あの子を気に入ってらっしゃいますよね」
 思わず仁王が漏らした言葉に柳生が意外そうに返す。不思議そうに笑う顔はそのままに、緩く弧を描く目元の奥だけが鋭く仁王を見た。優しげな表情に穏やかな声で続けながら、けれど彼の機嫌が急激に下降したのを仁王ははっきり感じた。
「だって、何か、おんしに似とうもん。一生懸命やっとるの、ちょっと助けてやろう思ったとね」
 微笑みの冷気に押されるように口走った言葉は妙に言い訳臭くて、柳生を問い詰めるつもりでいた仁王が反対に問われる形になっていた。形勢の逆転した仁王は、柳生の笑みが一層深くなるのに自分が地雷を踏んだことを自覚して、不本意ながらも問い詰めるどころの話ではなくなっている。
「だから私は予防線を張ったんです。あの子があなたを好きにならないように」
「予防線て……」
「ちょっと努力してみたんです。上手くいって、良かった」
 呆然とする仁王をよそに柳生は、にこり、と嬉しそうに笑う。人が良さそうで気真面目な、少し潔癖そうな笑顔は、邪魔だったから惚れさせて捨てたとあっさり言ってのけるようには見えなくて、仁王は一筋縄ではいかない恋人に背筋がぞくりした。広瀬を哀れむ気持ちや柳生を責める気持ちはとうに萎えていて、代わりに強烈な安堵が襲ってくる。
「おんし、オレがどんだけ不安だったと思っとる。ホント、捨てられる、思った」
 軽く言うつもりが最後のほうで声が震えた。仁王自身がそれに気付く前に、柳生の笑みがすっと引く。そして仁王にまっすぐ手を伸ばし、目元に滲んだ涙を拭った。濡れた指先は遠い光を弾いて瞬き、その瞬きに柳生は唇を寄せて吸い取る。流れるような柳生のやり方を目で追っていた仁王は、ちゅっ、と唇の鳴った音に思わず顔を赤くした。真っ赤に染まった頬にむしろ柳生が驚いて、ふたりはまじまじと見つめあう。そしてお互い、堪えきれずに笑った。

 済し崩しに肩を並べて、仁王と柳生はみんなの方に歩きだす。キャンプファイヤーの灯りに照らされながら進めば、あちこちから遅れてきた二人に声が掛かる。並んだままそれらに応じる中、柳生はこそりと仁王に囁いた。あなたも私と同じに思ってくれて嬉しかったです、と。





(20070630)

END.
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 ナオさまに頂いた62000hitリクエスト「ひどい柳生v」より書かせて頂きました。優しい柳生もひどい柳生もお好き、とのことでしたので、「じゃあ優しくて酷い柳生を!」と目指してみました。人当たりソフトで実際は身勝手な柳生を書くのはとても楽しかったです(笑)。素敵なリクエストをありがとうございました!