トゥエンティフォ/セブン


あなた持ってっちゃいたい! 
とは言えないリアリティー
かなり意気地なし。



 視線を感じる。多分、あの子。かいどう、かおる君。
 手元の資料を読みながら、思わず溜め息が漏れてしまう――そりゃ、まあ、ワタシがいけなかったのかもしれませんけど。
 初めて見た時、綺麗な男の子だなあ、と思った。
 さらさらの真っ黒い髪の毛、大きなネコの目。膝から下が驚く程長い。もうすこし姿勢が良ければ、本当に綺麗なシルエットだろうと思わせる成長期の細い体。本当に綺麗な子だと思った。
 だから、手を出した。
 ただそれだけ。
 本気の相手になんて当然する気もなくて、本当にちょっとつまみ食いした感じ――本命、居るし。そう、その本命と今、ほんのちょっとだけギクシャクしてるから、気晴らしをしたかった。そしたらお誂え向きに綺麗な男の子が居た。本当にそれだけだったんだけど。
 計算違いは、彼が本当にキレイな子だったって事。姿だけじゃなくて、心も。
 まだ彼はこっちを見ているらしい。
 その視線に応じて顔を上げると、予想通り海堂くんと目が合う。彼はパッと顔を赤く染めて在らぬ方向に目をそらしてしまう。普段とのギャップが凄い。かわいいなあ、とは思うけど、もう、これで三度目。いい加減周囲の人間が何事かと注意し始めている。例えば、隣の、井上先輩とか。非常に、マズイ。でも今ワタシから彼に話しかけたら、それこそ大変な事になってしまいそう。
 どうしよっかなあ。
 ・・・・・・あ。海堂くんが乾くんに呼ばれる。そのまま、コートを出て行く二人。手塚くんも解っているらしく、何も言わなかった。あれだけ挙動不審なら、フツー解る。殊に海堂くんは普段凄い練習熱心だから。その彼が部活中にうわの空、なんて、誰だって気になるっていうものだ。その証拠に、桃城くんとかリョーマくんとか不二くんとか、実はさりげに見てるっぽい。
 そして、井上先輩も。凄く、何か切り出したげだ・・・・・・ヤバイヤバイ。こういう時は、先手必勝に限る。
「井上先輩、ワタシ、お手洗い借りてきますね。」
「っあ?ああ・・・・・・。」
 カメラを押し付けて言うだけ言って、とっとと校舎にむかう。
 とりあえず現場から逃亡。といっても、10分以上も戻らなきゃ怪しまれるだろうけど。
 名案なんて浮かばないから。
 本当にお手洗いに行っとこう。
 戻ってきたら、戻ってきたで、その時どうにかしましょうか。

 ああ、ワタシの人生綱渡り、て、つくづく思うわ。


 何でこんな事になったんだっけ、と、校舎への道すがら思い返す。


 確か、三日前。
 本命の彼と、トラブった。
 そもそも同じ職場の人間と付き合ってる事自体間違ってるのかもしれないけれど、惚れちゃってるものはしょうがないと思う――結婚、とかは考えてないし。仕事中はお互い節度を守って同僚やってる。それでイイと思ってたのに、彼は、違ってたらしい。イイ年してるくせに(してるから?かもね)、この愛は終わらないものだとか言い始めた。また変な本でも読んだかなー、と聞いてたら、要するにプロポーズだった。冗談じゃないと思った。そう、言った。それで、喧嘩。もう最低。
 せっかくの休日だったのに、夕食前に一人になった。彼と食べるつもりだったから、家にも買い置きなんてなくて。でも、一人で外食なんて冗談じゃなかった。ナンパ待ち状態で渋谷をブラブラしてたら、本当にたまたま海堂くんに会った。
 地元じゃたりないテニス用品の買出しだって言うから、アドバイスという名目で付いて行って、無理矢理食事に誘って、悪ふざけのつもりでお酒を飲ませた。もちろん、本人には内緒でちょっとだけ。そしたら、彼は酔ってしまった。アルコールに弱い体質らしく、気分が悪いようだったから、慌ててその辺のホテルを取った――言い訳するようだが、この時は何にも考えてなかった。少し休ませたら良くなるだろうとしか。ちょっと悪い事をしてしまったかな、としか。
 ただ、綺麗な若い男の子と(一方的に)遊んで、気分が良かっただけだったのに。
 ベットに横たわらせた彼は、思いの他「男」だった。華奢に見えた体はしっかりした筋肉に覆われていて、酷く堅い感じがした。テニスをやってる割に白い肌が紅潮して、息が荒くなっていた。気持ち悪いというよりも、体に熱が篭ってしょうがないといった様子に見えた。
 彼に魅力を感じたのがいけなかったのか、自分もアルコールが入っていたのがいけなかったか。それとも暫くゴブサタだったのが?今となってはもう解らない。
 何かタカが外れてしまったのだ。
 そうとしか思えない。
 世話をするように冷やしたタオルを額にあて、洋服を寛げた。指先が体をチラチラ掠めていく。
 多少の理性は残っているらしい彼が、恥らうようにしたのに余計煽られた。
 水を、口移しで飲ませた。驚いた彼と目が合って、にこり、と笑いかけた。そのまま体を重ねた。
 青少年の高い体温を、性欲と勘違いさせる事ぐらい、カンタンな事だった。
 ワタシはあの時、ただ彼とシたかった。本当に、それだけだった。


 自分の無軌道っぷりを思い出して頭が痛くなる。
 トイレの水道でバシャバシャと手を洗ったあと、鏡に写った自分の顔は哀れな位に情けなかった。解決策なんてちっとも浮かんでこない。せめて、とアイラインの目尻を上げてマスカラを派手につけてみた。少しはマシになる表情。ああこうして化粧が濃くなるんだと気付き、溜め息がでる。
 もう勢いで明るく乗り切るしかないと腹を決め、「元気な芝さん」を装いつつテニスコートに戻りかけていた途中。声を掛けられた。低めの響く声で、「ちょっとスイマセン。」、て。全然スマナイなんて思ってないのバレバレで、きっと言った本人も解ってるんだろう。多分、そういう子――海堂くんと、正反対。全然ワタシの好みじゃない、どっちかっていうと大嫌いなタイプだ。
 乾貞治くん。
 さっき、海堂くんと一緒に何処かに行った子。多分、彼から聞いたんだろう、あの事を。どう聞き出したかは解らないが、とにかく乾くんがワタシにイイ感情を持ってない事は間違いなさそうだ。メガネで隠れて殆ど表情は読めないのに、雰囲気がもう凄い。
「はあい?」
 なあに?と殊更明るく応じてやる。もう話なんて解ってるんだから、結果は見えてるも同然。精々嫌がらせでもしてやろうかなー、と思った――いい加減大人げない事は十分分かっているから、どうか放っておいてほしい。
 期待通り一瞬怯んでくれた乾くんに内心ニヤリとする。しかし敵も然る者、即座に体勢を立て直した。
「ちょっと、お話したいんです・・・・・・海堂の事で。」
 あんまりに直球な台詞に拍子抜けする。
 つまんないなー、と思い見上げた乾くんの顔はヤバい程に真剣だった。不覚にもゾクリとした。たかが、中学生に、まがりなりにもマスコミの人間が。そして同時に違和感を感じた。後輩が番記者と寝た、それは大変な事だ。でも、それでとうの先輩がここまで真剣になるって事、あるだろうか?困惑してる、んならよく分かる。でもそうじゃない、この雰囲気。
 乾くんの感情の理由が分からない。ただそれだけの事で足元がぐらつくほど不安になった――何か、薄ぼんやりと、分かる気もするんだけれど。
「ええ」
 返すワタシの言葉も酷くつまらないものになった。


 部室の裏手。誰も居ない、ちょっと荒れ気味の花壇の前。
 乾くんに連れてこられたのはソコだった。修羅場の舞台としては最適すぎる程だ。海堂くんは居ない。くるりと此方を振り返った乾くんと、真正面から対峙した。何でだろう?彼は単なる調停役だと思っていたのに。ワタシと、海堂くんの問題に。何を言いたいんだろう――確かに部活として表に出したくない話ではあるだろうが。
「貴女は・・・・・・海堂が、好きですか。」
 殊更に能面のような顔になった乾くんが尋ねる。
 その台詞の純情さにポカンとしてしまった。次いで自分がカナリ緊張していた事に笑えた。相手は中学生。恋とか愛とかに穢れなく夢が見れる年頃の、しかも男の子。本当に、純情なのだ――そう思うと、自分のした事が今後の彼にどれだけ禍根を残す事か。酷く後悔すると同時に、どこか痺れる感覚がある。
 返事をせずにちょっと笑った。
 乾くんが一気に表情を変える。僅かな陰影で喜怒哀楽を表す能そのもののように。静かだけれど、酷く怒っているよう。大分、その理由も見えてきた。そして本人からの最後通告。
「俺は、好きですから。」
 言い切る。凄いと思う。少年の純情。羨ましいと思う。
「そっかあ・・・・・・ごめんね。」
 不安、だったんだね乾くん。あと嫉妬。
 自分の言い訳と、彼の誤解を解くために。一度口火を切ってしまえば、言葉はツルツルと出てきた。ただ、寂しかったから。誰かと一緒に居たかった。海堂くんじゃなくても良かったの、本当は。でもそれなら彼を誘うべきじゃなかったよね、本当に悪い事をしたと思ってる。ごめんね?言葉を重ねていく。でも吐き出すほどに何か違和感を感じた。それでも止めない。本気じゃないの、出来心だったの、申し訳ないわ。
 彼が今後、引き摺るような事がなければイイと思う。
 それまで直立不動で聞いていた乾くんが、部室の窓をコンコンと叩いた。そして気付く、僅かに開いた窓とそれに寄りかかる人影。その人影に向かって乾くんは合図をし、話しかけた。
「聞いた?薫。もう、気にするんじゃないよ。」
 彼女にも迷惑になるからね。
 こちらを見やって二コリと笑った。
 やっぱり大嫌い。乾貞治くん。


 井上先輩のところに戻らなきゃね。
 乾くんと海堂くんはもうコートに戻った。海堂くんは、あるべき場所に戻った。
 頬に水を感じる。
 雨?と思ったらイヤな位の晴天。でも何だかぼけて見える。嘘みたい、ワタシ、泣いている。自覚なく泣いてしまうなんて事は初めてで。本当に雨かと思ってしまうものなんだなあ、と可笑しくなった。
 一人クスクス笑いながら、でも何で自分が泣いているのか分からない。
 本当に何でだろう。
 ちゃんと、清算出来て。どうやらお互い後腐れなさそうで、ワタシも井上先輩にバレずにすんで職を失わずにすんだ。めでたしめでたし。教訓は、よく考えてから行動しましょう。乾くんには大感謝。でも善意の第三者って訳じゃないからそこまで気をつかわないでイイ。
 何も悪い事なんてないじゃない。
 なんで泣いてるんだろうねワタシ。
 頬から拭い取った涙は、アイラインとマスカラ、それとファンデーションが混じってドロドロだった。
 井上先輩のところに、戻れない。


ワタシを持ってっちゃって!
とても言えないリアリティー
見て弱虫のダイヴ。
 


芝×海堂で乾×海堂でひっそり井上×芝。
20020205up