間違ったままでいて



 獄寺くんの八つ橋を半分もらって――獄寺くん曰く「10代目への土産なんですから分けて頂いてるのはオレの方です!ありがとうございます!」だけれど――取り合えずお腹は満たされた。食べている間中、獄寺くんはいかに京都が不可思議だったかを熱く語り、オレは社会の授業に習ったなけなしの知識で獄寺くんの誤解にツッコミを入れ続けた。ふたりともずっと笑っていたのは、現実逃避が無かった訳ではないけれど、それでも本当に楽しかったからだ。ひと通り笑いあって、はーっと長い息を吐いた後、すぐ近くにある顔を見上げれば嬉しそうに微笑んでいた。ちょっと不思議に思って目で問えば、照れたように獄寺くんは首を傾げる。
「10代目がお元気になられて良かったと思いまして」
 少し沈んでいらっしゃるようでしたから、いえ、それが当たり前だと思いますけど。自分の言葉がオレに失礼に聞こえると思ったのか獄寺くんはグタグタと言葉を続けたけれど、オレは半分以上聞いていなかった。
 だって、なんて。こんな状態でなんてことを言うんだろうとびっくりした。突然訳の分からない場所に連れてこられて、どうやら状況は最悪で、これからどうしたら良いかなんて検討もつかない時なのに、オレが元気で嬉しいって言って幸せそうに笑うなんて。
 きっと、状況を考えれば笑ってなんて居られないはずだ。客観的にみたら獄寺くんは物凄い馬鹿に見えるだろうなと思う。けれどオレは、そんなことでも思わないと堪えきれないくらい、獄寺くんの笑顔と言葉が嬉しかった。
 こんなに人に大切に思われたことなんて無かった。どんな状況でもオレが笑えば嬉しいなんて特別な感情を向けられるなんて考えたことも無かった。オレは教室の隅のほうで周りに合わせて笑っているのが自分だと思っていた。オレの適当な笑顔でこんなに嬉しそうにする人が居るなんて、自分が誰かの特別になれるなんで、有り得ないはずだった。それなのに獄寺くんは、オレを見て綺麗な顔立ちをくしゃくしゃにして笑う。その事実は、叫びたいくらいの興奮だった。
 オレは言葉にあわせてひらひらと動く獄寺くんの掌を捕まえた。きょとんと無抵抗なその手にぎゅっと指を絡める。オレより大きな手はよく見れば、新旧取り混ぜて火傷の跡があちこちにあった。新しい跡は間違いなく、オレのために付けられた傷だった。そして古い跡は、オレの知らない獄寺くんの過去だった。そのどちらにも胸が痛くなる。
「……怪我を、しないでね。獄寺くんは無理ばっかりするから。オレ今どうしたら良いか分かんないんだから、この上獄寺くんが怪我なんかしちゃったら困るんだからね」
 けれど、想いに逆らって口は勝手な要求しか伝えられなかった。こんな時、随分甘やかして自分を育ててくれた母さんを恨めしく思い、そう思ってしまう自分勝手にまた落ち込む。ああもう、オレってどうしてこんなだろう。生まれてから何度思ったかしれない後悔に苦笑する。落ち込みついでに俯いてしまっていたから、その顔を獄寺くんに見せずに済んのはラッキーだったが。
 自己嫌悪に落ちたのは時間にすればほんの一瞬。仕草は少し俯いただけ。見た目には何があった訳でもなく、実際、獄寺くんは何も気付かなかった。けれど、きゅっと手を握り返してくれた。思わず視線を上げる。獄寺くんは笑っていた。
「了解です、10代目。10代目が望んで下さるのなら、オレはきっと何でも出来ますよ。だからどうか、お傍に置いといて下さいね」
 心底嬉しそうな笑顔で、真摯な声で告げられた言葉はオレの身には余り過ぎるものだった。オレは、当たり前だが、そんなたいそれた人間ではない。格好良くて綺麗で賢くて強い獄寺くんにそんな思いを貰えるはず無かった。けれど、獄寺くんの錯覚が一秒でも長く続くように願いながら、オレは「もちろんだよ」と微笑み返した。――オレが本当に、獄寺くんの言う『10代目』なら良かったのに、と泣きたくなった。



(20070907)



 八つ橋後のツナと獄。ツナは偶にずる賢いところが好きです。